第8話 マイスとシエン
「っ、なんだ!?」
深夜。生命の森にある魔族の村。
眠っていたモルキルは飛び起きた。
これまで村に迷い込んでくる獣を警戒して見張りをおいていたが、神威結界によりその心配がなくなった。おかげで見張りの時間を減らしゆっくり眠れるようになっていた。
そのはずだったのだが、すさまじい気配がとんでもない速度で近付いてきた。一瞬で結界をブチ破り村に到達する。
とっさに武器を持って家を出る。せめて仲間を逃がす時間くらい稼がないと――
「モルキルー! モルキルー!! 講堂かしてー!!!」
気配の主は馬鹿でかい声で叫んだ。すごく聞き覚えがある声だった。
がちゃがちゃバキッどかっとリズミカルな音がした。
許可を得るつもりはあるが慌てているらしい。モルキルは思わず脱力したが、どこか切迫した響きがある声だった。
窓から外を見るとマイスが講堂のドアを力ずくで開けていた。
「マイスか? いったいこんな夜更けにどうしたんだ?」
「薬もらう!」
モルキルが講堂に入って声をかけるがマイスは振り向きもしない。
「薬ぃ? お前が怪我する相手なんか……」
「俺じゃねえシエン!」
「なっ」
マイスの体に隠れて見えなかったが、講堂に横たわっているのはシエンだった。
顔色が悪い。真っ白な顔には力がなく生気が感じられない。
モルキルはこんな顔をした仲間を何人も見てきた。
死ぬ寸前だ。それも、ほぼ死んでいると言えるレベルの。
ぱっと見た限りもう出血はない。服は真っ赤だが応急手当は済んでいるらしい。
胸はほとんど動いていない。呼吸が浅すぎる。失血が多すぎるのか、それとも他の要因なのか、だんだんと生気が抜けていっているように見える。マイスは無理やり口に薬をねじ込んでいるが飲み込む様子がない。
「神気の過剰投与で体が内側から傷付いてる。黒炎食らわせたからそのせいかもしれない。右腕も干からびたみたいになってる」
「なんでそんなことに……街で医者に見せた方がいいんじゃないか」
「俺は神敵になった。協力してくれるやつなんていない。俺が助けようとしているからって理由で薬の代わりに毒を盛られるかもしれない」
「……くそ、大したもんないからな、期待すんなよ――うおっ!?」
村人の治療をしてもらった借りがある。目の前で死にかけているのを見捨てるほど憎んでいない。
力になれそうな人物を頭の中でリストアップしながら講堂を出ようとするが、足が止まった。
呼吸も止まる。心臓も止まりそうになる。
なんでこいつが。なんでこんなところに。近くに村を作っても何の反応もしなかったのに。
「聖域の、ヌシ……」
講堂の外には幾重にも枝分かれした巨大な角を持つ白い鹿がいた。
神々しくも恐ろしいその威容にモルキルの腰が抜ける。
マイスを前にした時には何とかして追い返そうと思えた。
目の前の獣相手にはそんなつもりが起きない。ちらりと視線を向けられた瞬間に『終わった』とだけ思った。
ヌシはモルキルに頭を近づける。
鹿は草食動物だけどこいつは肉も食うのかな、なんて間抜けなことを考えていたモルキルだったが、
「へっ?」
服を噛まれ、ぺいっとどかされた。
唖然とするモルキルに目もくれずヌシは講堂に入っていった。どう見ても入口より大きい体はすうっと建物をすり抜けた。
巨大な気配を感じたマイスが振り返って睨む。殺意混じりの視線がヌシを貫く。
否、ヌシを素通りした。
ヌシはぬっとシエンに頭を近づけた。
マイスは動けなかった。あまりにも自然な動作で、全く敵意がなかったのでどう対処すればいいか一瞬迷ってしまった。
「……う」
ヌシの角がほんのり光るとシエンが小さくうめいた。
黒炎によるやけどが嘘のように引き、顔に生気が戻る。ほとんど動いていなかった胸がしっかり上下し、寝息が聞こえるようになった。ミイラのようになっていた右腕も元通りになる。
マイスがぽかんとしていると、ヌシがどこからともなく取り出したものをマイスの隣に置いた。
先日お供えした酒瓶だった。
ヌシは用が済んだとばかりにマイスから視線を切り、まっすぐ歩きだした。その先には講堂の壁があるのだが、当然のごとくヌシはすり抜けていった。
講堂はどこも壊れていない。ヌシの巨体を支えたような蹄の跡もない。
一分ほどの出来事だった。ヌシは白昼夢のように過ぎ去った。
残されたのは先ほどの半死人ぶりが嘘だったように顔色が良くなったシエンと、空になった酒瓶のみ。
「た、たすかった、のか?」
「……たぶん」
「そう、か。とりあえず医術や薬に詳しいやつを呼んでくる」
「たのむ」
マイスはヌシが消えた先を呆然と見ていた。
両手をついて深く一礼する。必ずもう一度お供えしようと心に決めた。
五分としないうちにふたつの気配が講堂に近付いてきた。
「親父、本当に大丈夫なの? やばい気配本体が講堂にあるんだけど」
「もっとやばいやつは去ったから大丈夫だ」
「これよりやばいって何よ……ってギャーーーーーー!?」
「うるせえ怪我人が寝てるんだ静かにしろ!」
マイスが入り口の方を向くと、モルキルと鳥の要素を持った魔族の女がいた。ミルメルと呼ばれていた魔族だ。
ミルメルはマイスの顔を見ると勝気そうな顔を一瞬で歪め絶叫しながら逃げ出そうとした。
マイスが顔をしかめるより早くモルキルがミルメルの襟をつかんで頭をひっぱたいた。
「だって、だってこいつ、あたしと親父を追っかけまわしたバケモノじゃない! なんで村にいるのよぉ!?」
「村に結界張ってくれた恩人でもあるんだ、態度には気をつけろ! 悪いなマイス、こいつはこれでも結構優秀な薬師なんだ。医学の知識もある。……師匠が死んじまった今、こいつが村で一番医学に詳しい」
「……怪我人って、奥で寝てる人?」
「ああ、俺の仲間だ。怪我はかなり良くなったみたいだが、念のため診てもらいたい」
マイスはミルメルにシエンの容体について説明した。
意見の対立により本気で戦い、神気を冒す黒炎を食らわせたこと。神気の過剰投与により体が内側からボロボロになっていたこと。応急処置はしたがついさっきまで死にかけていたこと。聖域のヌシが現れて治療してくれたこと。
ミルメルは仲間であるマイスとシエンが戦ったくだりで変な顔をしたが、今はもう真剣そのものの表情である。
「見たところ、顔色は良いし出血してる様子はないわね。念のためきちんと調べるからここから出てって」
「……何する気だ?」
「何って診察よ。神気を使って限界を超えた強化と治癒をしていたんでしょう? 見えない場所に傷があるかもしれない。だから裸にして詳しく調べるの。意識がない患者の裸をまじまじ見るつもり? それともあたしを信じられない? それなら診ないわよ」
マイスがミルメルを信用しないならどんな診察結果も疑わしいだろう。真面目に診察する意味はない。
ちらりとモルキルを伺うと頷いていた。
モルキルはマイスの戦闘力を知っている。うかつな人物を連れてきたりしないだろう。
マイス自身、自分に怯えながらも堂々と宣言したミルメルの胆力を認めていた。
「分かった。俺は口出ししない。シエンを頼む」
「できる限りのことはするって約束するわ」
マイスは立ち上がり、深く頭を下げた。ミルメルも最初の怯えぶりが嘘のように胸を張って答えた。
「はぁーーーー…………」
講堂から出るなり、マイスは深く長いため息をついた。背中を講堂の壁に預け、ずるずると腰を落とし、地面に座り込んでしまった。
「おい、よく見たらお前の方がやばいんじゃねえのか」
特に左肩がひどい。焼け焦げている上に骨が見えそうなくらい深く傷ついている。よく見れば細かい打撲や切り傷、やけどがそこかしこに残っている。
ヌシが治療してくれたシエンと比べたら今のマイスの方がよほど重傷に見える。
「ん、ああ。忘れてた。こんなもんすぐ治る」
マイスは額の文字を『超回復』に変更した。回復魔術を併用すると嘘のように傷が治っていく。こちらも見た目の上は完治した。傷の痕跡は服の損傷だけである。
くあ、とあくびするマイス。疲労とは無縁の活力あふれた人間だと思っていたが、今のマイスはどう見ても疲れている。
「とりあえず休んだらどうだ? ウチを使ってくれていいぞ」
「いや、いい。ここで待ってる」
「……信用できないか?」
「心配なんだよ。万一容体が急変しても俺がいれば回復魔術をかけられる」
ミルメルを信用することとシエンを心配することは別の話である。
今この村で最も強力な回復魔術を使えるのはマイスだ。重傷者の手当ては対応が一分遅れるだけで結果が変わる。なるべく近くにいたかった。
そうか、とモルキルは言って自宅に戻っていった。
「ほれ」
マイスが舟をこぎ始めた頃、いい香りが漂ってきた。
モルキルがマグカップを差し出していた。
「ありがとう」
中身は塩と細かい野菜のシンプルなスープだった。すきっ腹に染み渡る。ぐるぅと腹が鳴る。そういえば丸一日何も食べていないことに気付く。
すぐにスープを飲み干した。体が温まり気持ちにも余裕が出てきた。
「そういやあいつ……ミルメルだっけ。娘だったんだな」
「ああ、一人娘だ」
「……失礼かもしれないけど、顔がだいぶ違うんだな」
「親とは違う種族の特徴が出る子もいるんだ」
「そのへんは獣族と同じなんだな」
獣族もどこかで他の種族と血が交わっていると、猫系獣人の両親の間に犬系獣人が生まれたりする。両親と違う種族の子どもが生まれると子育てが大変だという話を聞いたことがある。
モルキルは自分の分のスープを飲み終えると、頬をかいてからマイスを横目に見る。
「なあマイス、シエンはどうするんだ?」
「どうするって?」
「……その、言いづらいが、お前とシエンは戦ったんだよな。お前は裏切り者に容赦しないって聞いてたんだが。いや、まさかとは思うが……」
裏切り者としてシエンを殺すのではないか。
モルキルが憂慮しているのはその一点だ。
シエンを助けようと必死になっているところを見ていたのだからそんなわけないと思っている。
一方で激怒したら神すら敵に回す思い切りの良さ、だんまりを決め込むモルキルの弱みを的確に見抜いた冷徹さも持ち合わせている。
シエンが持っている情報だけが目当てで、それが済んだら殺してしまうのではないか。
そんな欠片程度の疑いが消しきれなかった。
もしもマイスがシエンを殺せば、シエンを助けたミルメルはショックを受けるだろう。それは避けたかった。
「どうもしねえよ。そもそもシエンは裏切ってないし」
マイスは『何言ってんだコイツ』と馬鹿を見るような目をモルキルに向けた。
困惑したのはモルキルである。
「でも、戦ったんだよな。お前の傷だって普通はそう簡単に治らないくらい深かったように見えたが。実は浅かったのか?」
「わりと死にかけた。左肩はやけどと骨折と筋肉断裂で、神気使わなきゃ動かなくなってたんじゃないかな」
シエンの最後の一太刀はマイスに深い傷を負わせた。魔術と神気で強化した肉体を裂き、骨を折るに至っていた。間違っても軽傷ではない。
「なのに裏切りじゃないのか」
「もともと俺とシエンじゃ主義が違う。自分の意志で教会騎士やってるあいつと魔王しばくためしぶしぶ勇者してた俺の意見が合わないなんて当然だ」
マイスはシエンを信用している。それは今も変わらない。
シエンは信仰を持った教会騎士である。共に魔王討伐したよしみでマイスに協力してくれていただけ。マイスが神を殺すと言い始めたのだから対立するのは当たり前である。
むしろ、神殺しを容認していたら、その時こそマイスはシエンを軽蔑しただろう。
「意見が違ったくらいで裏切られたなんて言わねーよ。立場が違うんだからそういうこともあるだろ」
「そうか。安心した」
マイスはシエンに背中を任せられる。仮に背中を刺されたとしても文句は言わないだろう。相応の理由があると信じているからだ。
一度戦ったから敵なんて短絡的な考え方はしていない。
シエンは対立したが敵ではない。
周りには壮絶な殺し合いに見えたかもしれないが、マイスにとっては殴り合いのケンカくらいの感覚である。巻き込んでしまった兵士たちに申し訳ないと思っているくらいだ。
友達とケンカしたら相手が死にそうになってしまったのでとても焦った。黒炎は人に向けないと心に誓う。
「……もしかしてこれおれたちにとってもマズくないか。マイス、さっき神敵になったとか言ってたよな。そのお前にさらわれた教会騎士が生きていて魔族の村を弁護したら怪しさ満点じゃ」
「たぶん大丈夫だろ。神域の場所を教えてくれた大神官がいたんだけどな、そいつがシエンの頭を蹴りやがったんだよ。神を売った大神官に虐げられていたとなれば、俺と最後まで戦った英雄扱いされるんじゃないか。狂信者たちが目撃してたし。頑張って俺の手から逃れたことにしとこう」
「大神官ってのは胸糞悪くなるようなやつだな」
「魔族排斥派だしな。まあクソ野郎だ」
「前の村を焼いたのもそいつの差し金じゃねえだろうな」
「それは分からん。けど今頃はひっどい目に遭ってると思うぞ」
「? 今の言いようだと殺してはいないんだよな。なぜそんなことがわかる」
「狂信者たちの目の前で神を売ったんだぞ。ちなみにすぐそばには俺が作った棘付き金属棒が太いの細いの揃ってた」
「……うーわ、想像しちまった。ざまあみろって感じだがグロいのはちょっと」
「それくらいの感覚が正常じゃないか」
「終わったわよー」
などと話しているうちにミルメルが講堂から顔を出した。その声に緊張感はまるでない。ちょいちょいとマイスたちを手招きする。その様子に安堵しながら講堂に入る。
シエンは寝やすそうな服装に変わっていた。深く寝息を立てながらぐっすり眠っている。起きた様子も起きる気配もない。
「結論から言うと、怪我はなかったわ。触っても痛む様子がなかったから体の内側も大丈夫だと思う」
「そのわりにめっちゃ寝てるけど」
「疲れてるからよ。このまま一週間くらい寝てるんじゃない? あ、あと無意識にお腹をさすってたけど心当たりある? 簡単な胃腸薬くらいなら調合できるけど」
「ごめんなさい、よろしくお願いします。ありがとうございます」
シエンの胃痛に心当たりがありすぎたマイスはミルメルに深々と頭を下げた。
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