最終作 春から夏へと

 その後。

 特に大きな怪我があった訳ではないけれど、とにかく体力の消耗が激しかった私は一晩中昏々と眠り続けた。

 対外的には、道にはぐれた私が雨に打たれすぎて体力を奪われてしまったのだろうということになっている。

 さすがにね、激流に呑まれたとか言うとどうやって助かったんだの話になるし、忘れがちだけど私って公爵令嬢だから騒ぎになるし。

 本当のことは言えないよね。

 事情を知らないオーギュストには、心から謝罪をされてしまった。

 自分たちがきちんと私に付いていなかったからだって。

 いやオーギュストたちは何も悪くないし! クラスの女子たちの圧に負けた私が悪いのだし!!

 あんなに奥まった所まで行ってしまったのはムンクの所為だし!!

 と最後のは言わずに慌てて否定したけど、お互いに頭を下げ合う謎の攻防戦を繰り広げてしまった。

 クロードやフィンセントもだけど、本当に必死に探してくれたみたい。

 二人は何だか罪悪感でも抱いているのか、私にちょっと優しくなった。

 絶対クロードとフィンセントの所為なんかじゃないのに。

 私、もしかして友人に恵まれているのでは?


 ちなみにボッティチェリ公爵家に対しても、対外的な理由と同じ説明がされた。

 てっきり愚か者め! と叱責されるかと思いきや、幸か不幸か、レオナルドが介抱してくれたということでお父様はむしろ嬉しそうにしていた。

 ……本当、娘のことを政治の駒としか思ってないんだね。

 切なくなるけど、不信に思われることがなくて良かったというか。

 代わりにお兄様に号泣されながら心配された。

 そんなお兄様がいたから、気分的には落ち込まずにいられたと思う。




 ムンクは『デカダンス』に居た時の記憶を全て失ってしまったそうだ。

 正確には「『デカダンス』のことだけ」記憶から抜けているらしい。

 メンバーが誰なのか、拠点はどこか、何が目的なのか。

 何もかも忘れているそうだ。

 世間のことや一般的な出来事なんかはちゃんと覚えているんだって。

 私を襲った時のことも覚えているそう。

 その上で、もう彼には私に対する恨みがない、ということも確認できたとレオナルドは言っていた。

 レオナルドのプネウマを使って調べたのだから、間違いはないだろう。

 もしかして、『デカダンス』に憎悪の気持ちを植え付けられていたの? と思ったけれど、そうではないらしい。

 ムンクが断言したんだって。

 うーーん。複雑な気分だけど、もう襲われることが無くなったならとりあえず良かったか。


 で、結局、ムンクは元の男爵家に戻ることになった。

「行方不明だったムンクが、学園の裏の森で記憶喪失の状態で発見された」という触れ込みで。

 ムンク男爵も男爵夫人も泣いて喜んで、温かく迎え入れられたとか。

 そりゃそうだよね。

 娘が亡くなって落ち込んでいる時に息子まで行方不明になって、生きた心地がしなかっただろう。

 男爵と夫人が必死に彼を探していたのは確かなようで、今日まで諦めずに生きてきて良かったと涙を流したという。

 それを聞いて、思わず涙が出てしまった。

 お姉さんのことは残念だったけれど、自分も二人にとって大事な息子なんだということを、しっかり思い出してほしいなと思う。


 社交界はこの不可思議な出来事に大いに揺れ、色々な憶測が飛び交うことになるのだけど、結局真相は闇の中。

 ということになった。



 そんな訳で本当に色々とあったけれど、私は一旦日常の生活に戻った。

 でも、今回の一件で思ってしまったことがある。


 本物のサンドラは、どうなったんだろう?


 最初はここが創作の元になる世界だって聞いていたから、あまり深く考えていなかった。

 だって要は作り物の世界っていうことでしょ? って。

 だからなんて言うか、すごくリアルなVRの世界に居るっていうか、こう、サンドラは私のアバターみたいな気分だったんだよね。

 そう設定されているだけというか。

 でもムンクとの一件で、この世界には元のサンドラが存在していたんじゃないかって、そう思うようになった。

 だって「そう設定されているだけ」と片付けるには、あまりにもリアルな過去があるから。

 人々の、悲しみや喜びが、確かに存在しているから。

 それにこの世界は「創作物の世界」じゃない。

「創作物のアイデアの元になる世界」、つまり、この世界自体は創作物じゃないってこと。

 ここで生きている人たちは、本当に生きている実在の人物なんだ。

 それに創作の神様が、「この世界をやり直した」と言っていた。

 つまり、少なからず最初は元のサンドラが居たはずなんだ。


 サンドラの魂は、どこにいったんだろう。

 全くもって私のせいではないし、神様のせいでしかないんだけど。

 それでも、私がサンドラの人生を奪ってしまったことになるんじゃないかって、そんな風に思えた。



 サンドラはムンクのお姉さんから命をもらった。

 そして私は。

 一度死んだはずの私は、サンドラの命をもらったんじゃないのかな。


 次に創作の神様に会ったら、そこのとこを強く問いただしたい。





 悶々とした気分のまま、1か月が過ぎた。

『デカダンス』の動きはようとして知れず、更に創作の神様も現れない。

 くそう、もどかしい!!

 けど、とりあえず今はこの政治理論の宿題に集中だ。

 私はさ、民主主義で育ってきた訳よ。

 絶対君主制の社会構造はさ、いまいち感覚で分からんのよ!!


 そんな訳で自分の机でうんうんと唸る。

 朝のホームルーム前。自席で勉強中だ。

 先ほどまでオーギュストとクロードに勉強を教えてもらっていたけど、もうそろそろ時間だからと二人は自席に着いた。

 ええ。もう勉強がやばすぎて周囲の目を気にしていられない。

 クラスの女子たちの目は怖すぎるんだけど、放課後に勉強を教えてもらう時間がないから、朝の時間にやるしかないのだ。

 ぎゃばー!!!



 ガラリ。


 心の中で奇声を上げていたら、教室の扉が開く音がした。

 にわかに教室が騒がしくなる。


 どした?

 先生が服を裏返しにでも着てきたのか?

 うちの担任、優しげなおじ様先生なんだけど、ちょっと抜けてるのよね。


 そう思って手元の教科書から視線を上げると、思わず私は固まってしまった。


 ボサボサ気味のオレンジの髪。

 黄色い大きな瞳。

 多少良くなったけれど、相変わらず目の下に鎮座しているクマ。

 今まで気づかなかったけれど、こうして見ると結構猫背。


「えーー。今日から皆さんと一緒に勉強する、転入生を紹介します。皆さんもご存知ですね。はい、エドヴァルド・ムンクさんです」

「……エドヴァルド・ムンクです。皆さんより年は一つ上ですが、初めて学校に通うので2学年に入ることになりました。よろしくお願いします」


 先生の挨拶に、ボソボソした声で俯き加減で挨拶をする彼。

 クラスの生徒たちが一気に騒がしくなる。

 ええ、彼ですね。

 ムンクですね!


「ええーーー!?」


 私は思わず大きな声で立ち上がってしまった。

 ムンクは私を認めると、「あっ」という顔ををした。


「あれ、君たち知り合い? ならちょうどいい。ムンクさんはボッティチェリさんの隣に座ってもらおう」

「えっ本当に!?」

「だって君の隣空いてるじゃないのー」


 ええええ空いてますよ!

 ちょうど教室の真ん中あたりの最後方、クラス人数の関係で右隣がね、空いてるんですよ!!


「……ボッティチェリ……さん?」


 いつの間にか隣にやってきたムンクが、私をじっと凝視している。

 私と彼が会ったのは、あの日を最後にこれが初めてなのだ。

 なんていうか、めちゃくちゃ気まずい。


「えっと、よろしく?」

「あのさ……なんか変わった?」

「え?」


 ムンクが何だか不思議そうな顔で首を傾げている。

 なになに? 特に髪型を変えたりとかしてないんだけど。

 ああ、必死に逃げたり雨に当たったりしてないから、髪型とメイクがきちんとしてるせいかな?


「なんか……もっと綺麗だったような」

「は!?」


 なに喧嘩売ってるのこいつは!!

 今の方がきちんと綺麗になっとんだぞ!!!?


「いや、ごめん。何でもない」


 そう言ってムンクは、目を泳がせてぷいと視線を外し、がさごそと授業の準備をし始めた。


 いやいやどういう状況よ!?

 右前の方に座っているクロードが、めっちゃ振り返ってムンクをガン見している。

 あの感じ、クロードも知らなかったのか。


「その……色々ごめん。これから、よろしく」


 実にか細い声で、横から声が聞こえた。

 見れば、どこか恥ずかしそうにムンクが視線を外しながらもじもじしている。

 あんなに大きな叫び声が出せるのに、めっちゃ声小さいじゃん!!

 でも確かに、本当に私に対する恨みは消えてしまったらしい。


 正直、本気で命を狙われていた相手がこれからずっと隣に居ると思うと落ち着かない。

 本当に大丈夫か!? とも思う。

 けど、ムンクの様子を見ていると、なんだかきっと大丈夫、という気分になってきた。


「うん、よろしくね!」



 これからどうなるのか分からないけど、なんか仲良くなれそうな気がする!!!














「まったく。単独行動をした上に、友達ごっこでも始めようと言うのかな。せっかく使える歩兵ポーンだと思ったんだが」


 マロニエの木の上で、男が口元に笑みを浮かべて呟く。

 呟く言葉と裏腹に、どこか楽しげですらある。


「まあいい。サンドラ・ボッティチェリ……面白い。少し作戦を変えてみようか」


 喜色を孕んだ声でそう言うと、男は風のように去っていった。

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【一章完結】婚約者が美の巨匠!?〜転生したら樽な公爵令嬢でした!〜 九重ツクモ @9stack_99

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