ありふれた本屋さんの話

misaka

○ありふれた本屋さんの話

 ありふれた本屋さんの話をしましょう。


 ある日、ある時、ある場所に、小さな小さな本屋さんが出来ました。


 しかし、その本屋さんには1つも本が売られていません。それもそのはず。店主が小さな赤ん坊だったのです。そのため、お客さんは誰も来ませんでした。


 しばらくして、1冊の本が店頭に並びました。タイトルは『両親』。その名の通り、両親について語られた本でした。すると、お店に初めてのお客さんが来ます。店主、つまりは赤ちゃんの両親でした。パパ・ママについて書かれた本を見つけた両親は、大層喜びました。そして、両親は1冊ずつ、『両親』の本を買っていきました。すると、不思議なことが起こります。買われてしまった本が、また店頭に並んだのです。


 実はこの本屋さん、何度本を買っても、同じタイトルの本が補充されます。少し違うのはその中身です。例えば、両親について書かれた本はパパ・ママからいつしかお父さん・お母さんになっていたりしました。


 時が経つにつれて、少しずつ、少しずつ本が増えていきます。比例するように、お店の大きさも大きくなっていきました。赤ちゃん店主も幼児になって、言葉を覚え始めます。一生懸命覚えた言葉を使って、周囲の大人にたくさん本を買ってもらいました。


 そんなある日、お店には『友達』というタイトルの本が並びました。キラキラした装丁の分厚い本には、それはもうたくさんの登場人物とたくさんの物語がつづられています。そんな輝かしくも微笑ましい本は、両親だけでなく、祖父母、先生、果ては見知らぬ人々にまでたくさん買われていきます。いいえ、この場合は店主が売りつけたと言うべきでしょう。たくさん、たくさん、店主は『友達』の本を売りました。


 お店に『学校』の本が並ぶとき、店主は緊張と興奮で眠れませんでした。そうして届いた『学校』の本には、難しい漢字や計算式が並んでいました。ですが、店主が営む本屋さんはもう小さくありません。選り好みせずに、頑張って漢字と計算式を覚えていきます。ヨレヨレの『テスト』の本は、店主が大嫌いな本でもありました。


 そうして頑張る店主の『学校』の本を、両親は何度も買いに来ました。だから、気付いたのです。本屋さんの片隅に置かれていた、黒くて重い――『いじめ』と言う本の存在に。どうやら店主は、その本を並べるつもりは無かったようです。実際、『いじめ』の本が並ぶ度に店主は本を破って、燃やして、捨てていました。ですが、なんど本を捨てようとも、気付けば真っ黒な本は店頭に並んでしまうのです。しかも、本の分厚さと存在感は捨てるたびに大きくなります。いつしか店主は、『いじめ』の本を見て見ぬふりするようになりました。


 『いじめ』の黒い本はよく目立ちました。不気味な本の存在でどんどんとお客さんは減っていき、気づけば、お店には両親と先生以外、誰も立ち寄らなくなりました。店構えは立派なのに、お客さんが来ない。そのことを嘆く店主のもとを、両親と先生は何度も訪れました。


 どれだけ時が経ったでしょう。お店で幅を利かせていた黒い本が、薄い冊子になったころ。店主が再び店頭の本を喧伝できるようになった時には、『高校』という本が並んでいました。この頃になると入荷する本はもっと専門的なものになり、ごく一部の人にしか売れなくなっていきます。それでも店主は諦めずに人に声をかけ続け、1人、また1人とお客さんを増やしていきます。『いじめ』の本は相変わらず、お店の片隅に在りました。それでも、黒い本の隣に本立てで隙間を作ることで、店主は黒い本が大きくなることを防いでいました。


 そうして、本屋さんがどうにか以前の賑わいを取り戻したころ。店主がなけなしの勇気を出して仕入れた本の入荷日が訪れます。美しい花の色をした装丁の『恋人』の本が入荷したのです。しかし、その本は長く店頭には並びませんでした。『テスト』の専門書『受験』の本が『恋人』の本を覆い隠してしまったのです。店主は悲しみに暮れました。ですが、自分が努力すればまた入荷できるかもしれない。そう自分を納得させて、今は『大学』の本の入荷に努めることにしました。


 不思議なもので『大学』の本が並ぶと、再びたくさんの本が入荷され、店頭に並ぶようになります。専門書はもちろん、スポーツ誌、ファッション誌などこれまで店主が見向きもしなかったような多種多様な本が並んでいきました。この頃になると本屋さん自体の大きさは変わりません。限られたスペースに、どのように本を並べるのか。店主は必死に考えていました。


 ある時から、本屋さんの最も目立つ場所に大きく、立派な装丁の本が置かれるようになりました。その本のタイトルは『家族』。上下巻になっていて、下巻には『我が子』というサブタイトルが書かれていました。ある日、ふと両親がお店を訪ねてみます。というのも、両親の中ではずっと、店主を苦しめていた黒い本の存在が気になっていたからです。『高校』や『大学』の間も、本立てを使ってどうにか黒い本が大きくならないようにしていただけでした。


 しかし、いざ両親が本屋さんを訪れてみれば、黒い本は小さいままでした。いいえ、むしろ以前よりもさらに薄い冊子になっています。その理由は、黒い本の隣に置かれていた落ち着いた色合いの本にありました。特段、飾り気があるわけでもなく、派手でもない。それでも、お店の中で『家族』と同じくらい大きな存在感を放つ本。そのタイトルは『パートナー』でした。これには両親も一安心です。傍らにあった『両親』の本の最後のページにサインを描いて、両親はお店を出て行きます。店主が気づいた時には、手遅れでした。以降、店主のもとを両親が訪れることは、2度とありませんでした。


 さらに時を経て、『孫』の本が店頭に並びます。この頃には、たくさんの本を入荷し過ぎたせいでしょう、本屋さんの壁や天井、至る所にヒビが入っていました。店先に並ぶ本も『家族』から『パートナー』に変わり、ゆったりとした時間が店内には流れています。全盛期の賑わいはもう、ありません。それでも、店主は直筆の『パートナー』の本をずっと、ずっと、綴り続けます。


 そう、この本屋さんに売られていた本は全て、店主自身が書いた物でした。


 しかし、ある時、本棚の1つが壊れました。いくつもの本が零れ落ち、タイトルが分からなくなります。時が経つにつれて、本棚は次から次へと壊れていきます。こうなると、客も店主もめあての本を探すことすら一苦労でした。『孫』の本が行方不明になり、『家族』の本もどこにあるか分からなくなりました。それでも、ただ1つ。店主の手元には『パートナー』の本がずっとあるのです。


けれども過ぎていく年月には、誰も逆らえません。


 ふと、店主の手元から『パートナー』の本が零れ落ちます。本屋さんは崩れてしまっていて、もうほとんど原型がありません。また、店主ももう、ほとんど身体を動くことすらできませんでした。それでも店主は、痛む身体に鞭を打って足元にこぼれ落ちた大切な本を拾い上げます。目がかすんで、本のタイトルも読めません。それでも、たった1つ。唯一、最後まで書き続けた本を、店主は胸に抱くのです。


 そうして、生涯をかけて本屋さんを営んだ店主は、自身が動けなくなる直前、お店に火をつけます。ここは本屋さんです。火の手は一気に広がって行き、瞬く間にお店全体を包みました。やがて炎は店主自身をも包みます。1冊の本を抱きながら、一生をかけて営んだ本屋さんと共に燃える老人。その足元では、行方不明になっていた『孫』と『家族』の本が燃えています。火は店主が抱えていた本にも移り、燃え始めます。しかし、不思議と熱くありません。『孫』『家族』『パートナー』。優しい温もりのある炎に身を焼かれながら、店主はお店と共にその生涯を終えます。たくさんの本から生まれた灰が、高く、高く、透き通るような青空に消えて行きました。


 きっとこれは、どんな町の、どんな所にもある、ありふれた本屋さんの話。ありふれた、かけがえのない、幸せの物語でした。

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