神々の書架 【KAC20231】

広瀬涼太

神々の書架

 星なき宇宙のような暗闇が晴れ、空と石畳と、無数の本屋が視界を埋め尽くす。隣に相棒の姿を見つけ、俺は惑星間転移の成功を確認した。


「さあ着いたぞ! この宇宙の全ての本と本屋が集まる、宇宙最大の書店街。それがこの惑星ヤーホン、またの名を本屋惑星!」

「…………」

 小さな惑星とはいえ、久々に目にする地平の彼方まで続く書店の列にテンションが爆上がりした俺は、大げさな身振りで連れにこの星を紹介する。


「…………」

 だが俺の同行者は、口いっぱいに苦虫を詰め込まれたかのごとき表情で、何も言わずに立ち尽くしていた。


「どうしたカンサー? あまりの雄大さに言葉を失ったのか?」

あきれて物が言えぬ、というのだこれは」

 俺の相棒にして監視対象、今はカンサーと名乗るその男は、ようやく苦虫の大群を飲み下して悪態をつく。


「ちゃんとついて来いよ。この星には十億軒をはるかに超える本屋があるんだ。普通はガイドなしじゃあ生きて帰れねえんだぞ」

「本屋以外になにがあるんだこの惑星」

「海が六割、本屋が三割」

「残りの一割は?」

「知ってるか? 本ってのはな、湿気を嫌うんだ」

「……理解した……」

 その後しばらく、カンサーは何かを諦めたような表情で、何も言わずに俺の後を付いてくるのであった。 


    ◆


「ごめんくさい」

「ごめんくさい」

 顔見知りのこの星のガイド、レオダイク星人ジョージを相手に、奴の星の訛りで挨拶を交わす。

 よく見られる人型ではあるが、よく言えば恰幅が良い、悪く言えば小太り。それがレオダイク星人の特徴であった。


「えろうすまんなあ、カニークはん。こんなとこまでご足労してもろて」

「気にするな。去年の一件では俺も世話になったからな」

「で、そちらさんが噂に聞く『時の支配者タイムルーラー』、カンサーはんでんな」

「ああ、よろしく」

 俺が数年ぶりにこの本屋惑星を訪れたのも、気が進まない様子のこの危険人物に無理を言って同行させたのも、このジョージが仲介した仕事のためだった。


「ほなよろしゅうー。ほんで、お近づきのしるしにお勧めの本でもいかがでっか? 艮朋書房の百冊から『月とすっぽんと格闘技の歴史』『ヴァレンタインの闇』『サンドウィッチとサンドバッグ』。三冊セットで三千二百オクエンのところ、出血大サービスで五十オクエンにまけときますわ」

「五十億エン? それはどのくらいの価値なんだ?」

「1オクエンは、五京八千兆ジンバヴエンでんな」

「待て、よもやエンではなくオクエンか?」

「オクエンは惑星レオダイクの貨幣単位だ」

 何やらジョージのやり口に呑まれつつあるカンサーに向け、俺は口をはさむ。


「もうちょっとメジャーな通貨に換算してくれないか。ガロスとか、リンとか、ヘクトパスカルとか」

「カンサー、これはこいつらの挨拶の一部みたいなもんだ。真面目に対応せんでいい。ジョージ、馬鹿やってないで紹介を頼む」

「へいへい、わかっとります。ほな、ついてきてくんなはれ」

「へいは一回!」

「へーい」


    ◆

  

「あなた方が、わたくしの願いを叶えてくれる者たちですのね」

 ジョージに連れてこられた先にいたのは、とある惑星の滅びた国の元王女。諸般の事情により、名前は伏す。


「わたくしが」

 そう言いかけた王女の動きが突然止まった。同時に周囲から、一切の音が消える。

 元王女も衛兵も呼吸すら止めて、凍り付いたかのように動かない。


 俺はすでに何度か経験があるので、あわてず騒がず隣のカンサーに目をやる。

 動けるのは俺と、この事態を引き起こしたこの男のみ。


「国が滅びて久しいのに、まだまだ王女気分が抜けんようだな」

「人はそう簡単に変われやしないさ。お前も知ってるだろう。それより本人たちの前で言うなよ」

「それぐらいはわかっている。だから時を止めた」


 時間停止能力。自分を除く任意の存在の時間の流れを止める異能力。


 戦闘に応用すればまさに無敵の能力だが、この野郎はそんなつまらん真似はせんなどとほざいている。

 では何に使うかというと、このとおり本人を目の前に本人には聞かせられない内緒話。まったくこいつは……。


 突然変異により生まれた異能力者。そう言ってしまえば俺もこいつも同じグループになる。が、宇宙探偵などと自称し、瞬間移動能力であちこちの惑星を飛び回って日銭を稼いでいるだけの俺なんかとは違う。

 こいつはこの宇宙でもとびきりの危険人物だ。


「探しているのは、わが教団の聖典。すべての書物が集まるというこの星になら、まだ残されているものもあるかと考えたのですが」

 再び、世界に音が戻る。おい、時を動かすならその前に言え。


「残念ながら、全てが焚書され、この宇宙に一冊たりとも残されていないぞ」

「貴様!」

 カンサーの態度に、衛兵たちが鼻白む。


「なにゆえ、そのようなことがわかるのです」

「『過去感知ポストコグニション』。過去を見て、一万五千冊すべての行く末を見届けた。敵も随分、徹底的にやったようだな」

 それは、未来予知プレコグニションの真逆の力。過去に起こったことを、実際に見聞きしたものでなくとも、後から知る能力。


「時間さえかければ実行可能なもので、俺にできないことはない。たとえ何億年、何兆年かかろうと、『時の支配者タイムルーラー』の前には無意味だ」

 何やらすごいのかすごくないのかわからんことを偉そうに豪語しているが、こいつの言葉は嘘ではない。実際にこいつが起こした無茶を、俺も何度も目撃している。


「そんな……神は私たちを、見放したというのですか……」

 そう嘆く元王女に向け、カンサーが口を開くのが見えた。


「おい待て止め……」

「神とやらが本当にいたとして、それがお前をえこひいきする理由が、何か一つでもあるのか?」

「このっ、無礼も……の、っ!?」

 数人の衛兵たちが剣を抜くが、数千年の年月がそれをさびの塊に変えた。機能を時の果てに置き去りにした剣だったものは、砂のように彼らの手のひらからこぼれ落ちる。


 これも『時の支配者タイムルーラー』の異名を取るカンサーの能力の、ほんの一端。

 任意の物体の時間の流れを、意のままに加速・減速・停止そして逆行せしめる。

 馬鹿が考えたかのような力だが、行ったことのある場所に瞬間移動するだけの俺の能力とは、桁が二桁は違う。


「運が良かったですな。もう少しそいつを怒らせていたら、今頃精子と卵子以前まで巻き戻されていましたぞ」

 すでに俺も、もう疲れた。


「それにもうすぐ、お客さんが来る。監視されていたのだ」

 だが、そんな奴の言葉が、俺を仕事へと引き戻した。当然ながら、未来予知プレコグニションもお手の物だ。過去と違って、未来はすぐに変わる。前に奴はそんなことも言っていたが。

 一瞬遅れて、俺もそいつらの気配を捉えた。


「だから、手っ取り早く済ませよう」

 そう言うカンサーの手に、唐突に一冊の本が出現する。

 それはおそらく、過去に失われた元王女の求めたもの。そしてカンサーが、時を超え救い上げたもの。

 それを無造作に、元王女へと投げ渡す。


「さあ出番だぞ、カニーク・イザル! 宇宙探偵の力、存分にみせてやるがいい!」

「てめえこういうときだけ楽しそうにしてんじゃねえよ!」

 言うまでもないが、こいつが戦闘で弱いわけがない。だが、下手に暴れられると、それはそれで厄介すぎる。


 直後、二十人ほどの銃を構えた武装集団が、部屋になだれ込んできた。

 指揮官と思しき男が、元王女を指して叫ぶ。

「とうとう見つけたぞ。今日こそ、全ての禍根を断ってやる!」


「かつて彼らの惑星で、宗教戦争があった。そして一方が破れ、すべてを奪われた」

 あいかわらず、感情を感じさせぬ声色で、カンサーは語る。


「おいおい、探偵を差し置いて名推理とか、ちったあ遠慮しろよな」

「推理などではない。ただの過去感知ポストコグニションだ」

 俺の軽口に、奴は軽い口調で、無茶苦茶なことを言う。


「のんびり推理している暇などないのだよ、宇宙探偵」

 俺のことを揶揄するかのように、カンサーは笑う。


 時間を自在に操作するなんてアホが考えたような能力、厄介極まりない代物だが、なかでもこの過去感知ポストコグニションはタチが悪すぎる。

 俺たち探偵があちこちを渡り歩いて情報を集め、推理と時間を重ねて到達する結論に、こいつは一秒もかからずたどり着く。

 まさに俺をあざ笑うかのような、悪魔の力だ。

 おかげさまで今回も俺は、こいつをここまで連れて来ただけの運び屋に成り果てた。


「そして、敗れて邪教と認定された彼女の父は討たれ、その残したものはすべて焼き尽くされたのだ」

「何やら詳しいようだが、ならばわかるだろう。それはこの宇宙に残してはならぬものなのだ!」

 その声とともに、奴の部下たちの銃が一斉に火を噴いた。

 元王女と衛兵に、そして俺とカンサーに降り注ぐはずの数百の攻撃は、しかしまったく当たることはなかった。


「な、何っ!?」

 襲撃者たちが、驚愕の声を上げる。

 しかしそれも、俺にとってはいつものこと。


 水面に差し込んだ光は、水面で屈折する。それは、空中と水中で光の速さが異なるから。

 ならば、標的の周りの時間の流れをほんの少しだけ速めてやれば、銃弾もビームもその境界で屈折する。

 こいつ、俺の出番とか言っておいてまた……。


「やはり一筋縄ではいかぬか……出番だぞ!!」

 指揮官の叫びに応え、部屋の入り口から一人の男が飛び込んできた。


「てめえ、バラスド!!」

「知り合いか?」

 銃口を向けられながらも、カンサーは暢気に俺に声を掛ける。


「裏の世界じゃ名の知れた殺し屋です! 読心能力を持ちすべての行動を読んできます! ご注意を!」

 俺の返答はカンサーではなく、元王女たちに向けたものだ。そんなことを言われても、どうしろって話だろうが。


「随分と余裕ではないか。『時の支配者タイムルーラー』。貴様がどんな手を使おうと、心を読める俺にはお見通しだ」

「ほう? ならば好きなだけ読んでみるがいい」

 そのまま数十秒、カンサーもバラスドも動かない。ただ、殺し屋の額から、大粒の汗がいくつも流れ落ちる。

 そしてバラスドは、震える手で銃口を自身のこめかみに向け……そして引き金を引いた。

「見るな!」

 俺は元王女の前に瞬間移動し、その視線をさえぎる。

 銃声が響き渡り、そのまま殺し屋の男は、頭から血を流して倒れ伏した。


 いきなりの展開に、俺を含めた一同の動きが止まる。

 この野郎、とうとう他人を操る能力まで身につけやがったか!?


「貴様……っ! 一体何をした!?」

 敵の指揮官も理解が及ばないのは同じようで、カンサーに向け叫ぶ。


「何もしてないぞ。ただ心を読ませてやっただけだ」

「ふざけるな! ならばなぜ、殺しをしくじったことのないと言われるこ奴が、唐突に自害などするのだ!?」

「知らんよ。俺はこいつと違って読心能力はないからな。だが、、とでも思ったんじゃないか」

「く……っ」

 彼らも知っているのだ。自分たちの崇めるもの以外にも、この宇宙には神としか形容のしようがない何かが存在していることを。


 そして、顔を真っ赤にした指揮官と、顔を真っ青にした部下たちは、尻尾を巻いて逃げ出したのであった。

 後に、本を抱き締めてすすり泣く元王女と戸惑う衛兵たちを残して。


    ◆


「で、結局あの本は何だったんだ」

 やって来たこの星の警察に元王女たちを任せ、そしてジョージたちとも別れた後、俺はカンサーを問いただした。

 この野郎、警察が来たとたんにすべてを俺に押し付けて雲隠れしやがった。

 まあ、こいつは一惑星の警察や軍隊の手に負えるような代物じゃないんで、やむを得ない話と言えなくもない。


「一冊残らず焚書すべき邪教の聖典の中に、愛娘への遺言が紛れ込んでいた。それは彼女にとって、今は亡き愛する父の生きた証。ただただそれだけの話だ」

 感情のこもらぬ口調で、カンサーは簡潔に淡々と言葉を紡ぐ。


「それより、後始末は任せたぞ。あの元王女は聖典を悪用することもないし、しばらくは襲われることもない。だが、未来はすぐに変わる」

「ああ、わかってる」

 今回は全くいいところがなかったが、そうでなくともそれぐらいのことはするさ。


「しかし、意外だったな」

「本を蘇らせてやった話か? えこひいきをする理由はないが、最近はひどい目に合いすぎていた。少しぐらい、バランスを取ってもよかろう」

「そっちじゃねえよ」

 こいつはたまに、やさしさとか人助けとか、人間のそれに似た謎行動をとることがある。


「俺が言いたいのは、バラスドのほうだ」

「あの殺し屋と何かあったのか?」

「そうでもねえよ。しかしお前なら、自分に喧嘩を売った人間が死んだところで、逃さずよみがえらせてでもまた痛めつけるぐらいのことはやりそうじゃねえか」

「俺をなんだと思っている? 奴はただの殺し屋、死ぐらい覚悟の上だろうが、それ以上冒涜されるような真似もしていない」

 いつものしかめっ面で、カンサーは文句を口にする。


「それに、前にも言わなかったか? 死んだ者は蘇らん」

 不機嫌に吐き捨て、『時の支配者タイムルーラー』の異名を取る男は俺に背を向け、少しだけ足を早めた。


 時間を操作し、この宇宙から一冊残らず消えた焚書を取り戻したこの男が、死者の蘇生は不可能と言う。

 かの能力を宇宙中の権力者たちから蘇生の依頼が舞い込んでも、その全てを突っぱね、そして今日もこの男は、この宇宙を平気で生きている。


 その真意を、俺はまだ知らない。


「で、この後お前はどうする?」

 相棒の問いに、俺は上着のポケットから送信端末を取り出し、仕事依頼のメールをチェックする。


「お、こんな仕事はどうだ? 惑星ヤツカントで大発生した、ブタクイムシの駆除」

「それ、俺が動く必要あるか? お前一人で十分だろう」


 俺にひらひらと手を振ると、カンサーは近くの本屋に向かい歩き出す。

「俺はこの本屋惑星が気に入ったんだ。例の焚書を探す過程で面白そうなものを色々と見かけてな。もうしばらくここで色々漁っていくことにするさ。お前は一人で腹いっぱい、ブタでもブタクイムシでも食って来ればいい」

「食うか! それにだいたい、お前を放置すれば、店員の態度が気に入らんなんて理由で、惑星丸ごと消し飛ばしかねんだろ!」

「何万年前の話だ、それは。さすがの俺も、この惑星ほんや相手にそんな冒涜はせんぞ」

「いや待て、やっぱりお前は野放しにできん。もうしばらく監視するぞ!」

「……好きにしろ」


 そうしてカンサーは、その力で時を捻じ曲げ、この惑星の上で数百年の時を過ごすことになる。

 それには巻き込まれた俺が、またひどい目にあうことになるのだが……。


 それはまた、別の話であった。


― 了 ―

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