そんなあなたが大好きです。

間川 レイ

第1話

1.

「人を好きになることって、いいことだと思われがちだけどさ」


そんなことを、彼女は。いつものような、屈託のない笑顔で。ポツリと、呟くように、囁くように言った。


「私は呪いだと思うんだよね」


そんなセリフを、軽やかに、笑顔で。


屋上の転落防止用フェンスと戯れるように、ぶらぶらともたれかかって足を遊ばせながら。


「ふうん」


私は気のない声で聞き流す。彼女とはそこそこ長い付き合いな気もするけれど。彼女が突拍子もないことを言い出すのはままあることだったから。


彼女はいたずらっ子のように、はにかむように笑うといった。


「『どうして』って聞かないんだ」


私はたなびく髪が口に入らないように、指で引っ張りながら尋ねる。


「聞いてほしいの?」


その私の言葉に彼女はゆったりと頷く。


「じゃあ、聞いてあげる。『どうして?』」


彼女は嬉しそうに微笑むといった。


「だって、人を好きになったら、もう、その人のことしか考えられなくなるから。その人はどんなものが好きなんだろう、どうしたら喜んでくれるだろう。どんな風に話したら笑ってくれて、どんな風にしたら微笑んでくれるだろう。考えるのはそんなことばかり。これってさ、異常だと思わない?」


「そうかな」


私たちの間を時節柄の冷たい風が吹き抜けていく。私はスカートがはためくのをそっと抑える。


「そうだよ。」


彼女は微笑む。ちょっと悲しそうに。


「異常だよ、こんな感情。考えるのはいつもそんなことばかり。私だけを見て、私以外にその声を聴かさないで、私だけの話を聞いて、私だけに微笑んで、私だけ抱きしめて欲しい。手を握りたい、体を触ってほしい。キスだってしてみたい。叶うことならもっと先までしてみたい。頭にあるのはそんな事ばかり。四六時中そんなことばかり考えてる。」


そこで彼女は一息つくと続ける。笑っているような、泣いているような不思議な顔で。


「いや。違うか。それしか考えられないの。愛して欲しい。私だけを見つめて欲しい。私はね、その子のためなら死んでも構わない。ううん、私の死がその子の役にたつなら、喜んで死にたい。その子の為なら、誰だって殺せる。父さんも、母さんも。由美ちゃんも、カナちゃんだって。世界を滅ぼせというなら世界を滅ぼしてみせる。その子が私に消えろと言うなら喜んで消えてみせる。私には何もいらない。私はその子に見て欲しいの。必要とされたいなんて、そんな贅沢なことは言わない。ただ隣に居させて欲しい。叶うなら、何を考えてるのか知りたい。同じ世界を見てみたい。考える事はこんなことばかり。」


「大変そうだね」


私は流れる雲を眺めながら返す。この話の行き着く果てを考えて。ああ、駄目なんだよ。内心呟きながら。そんな事は考えるべきじゃない。執着は裏切られる。終着は碌なものではない。汝隣人を愛せよ。大いに結構。だがそんな事はよそでやってくれ。だって私は。そこまで考え首を振る。


そんな私の内心に気づいてか知らずか、小さく哀しげに笑って続ける。


「大変だよ。人を好きになることがこんなにも辛いことだなんて知らなかった。」


その言葉は今にも泣き出しそうなぐらい湿っていて。私は内心、嗚呼と溜息をはく。彼女は続ける。


「わかるかな、この気持ち。心の奥底に燃え滾るような何かがあって、でも完全に燃え上がることはなくって、心の奥底でぐつぐつと煮えたぎっている感じ。心の底をカリカリと引っかかれるような、何かにせきたてられるような不快感や焦燥感。でもそれは不快なばかりではなくて、どことなく胸が苦しくなるような、切なくなるような、ほんのり甘く痺れるような。この感覚がわかるかな」


私は黙って首を振る。私には、私にだけはその気持ちはわからない。だから。


「ごめんね。」


私は謝る。


「そうだよね」


彼女は寂しそうに微笑むといった。


「あなたの世界には誰も居ないもんね」


私は押し黙る。


「あなたは空っぽ。何処まで行ってもがらんどう。周りがどうなろうともどうでもよくて、自分さえよければそれでよくて、他人から自分がどう思われようと関係ない。他人は何処まで行っても他人。そう思っているよね」


私は無言で頷く。だってそれは、その通りだったから。


彼女は小さく微笑むと続ける。


「あなたは他人が嫌いなわけじゃない。誰とも話せるし、誰とも付き合える。誰とだってそこそこの関係を築ける。」


「でも、それだけなんだよね。」


彼女は奇妙に歪んだ笑顔でいう。


「あなたの世界には誰もいない。他人というものが存在しない。本質的に他人に興味がないんだ。その証拠にあなたは私の名前だって言えない、そうでしょう?」


私は再び、無言で頷く。彼女が同じクラスの同級生であることぐらいはよく知っている。よくお昼ご飯を一緒に食べたりもする。こうして彼女が話すのを一方的に聞いていたりもする。でも私は、彼女の名前を知らない。全くもって彼女のいう通りだ。私の中には誰も居ない。私は誰に対しても興味を抱けない。そんな破綻した人間が、私。だからこそ私は内心溜息を吐く。そこまで分かっていながら何故、と。


「そうだよね、あなたはそんな人だもの」


そう湿り気を帯びた声でいう彼女。その頬をつうと光るものが走るのをぼんやりと見つめる。


「気づいているかもしれないけどさ。」


彼女は続ける。


「私はそんなあなたが好き。どこか壊れているところも、決して私を見てくれないところも、全部好き。でもあなたはそうじゃないんだよね」


「ごめんね」


私はそう答えるしかない。そう、私は他人に興味を抱けない。他人がどうなろうとどうでもいい。そんな人間としての欠陥製品が、私だ。


「知ってるよ」


そう真っ赤に泣きはらした目で微笑む彼女。


「だってそんなあなたを好きになったのだから。」


そう言いながらスルスルと転落防止フェンスを登る彼女。私が止める間もなくフェンスの向かい側に降り立つ。


「だから私が呪いをかけてあげる」


彼女はにっこりと微笑みながらわたしを振り返る


「ずっと私のことを覚えていられるように。ずっと私のことを考えていられるように」


その微笑みはどこまでも澄んでいて。


「バイバイ。そんなあなたが、大好きでした。」


彼女はゆっくりと手を離した。


「あ」


私が手を伸ばす間もなく、あっさりと。地球の重力という当然の理に導かれて。馬鹿みたいにあっさりと。彼女は落ちていった。


どぱーんという破裂音。まきおこる悲鳴。とたんに下が騒がしくなる。


もたれるものの居なくなったフェンスをぼんやりと眺めながら、彼女の最後の笑顔を思い出す。


どこまでも澄んだ、泣きはらした真っ赤な笑顔。


「名前ぐらい、聞いてやればよかったな」


そんな事をボソリと呟く。


でも。もう、彼女の声がどんなだったか、思い出せそうにもなかった。

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そんなあなたが大好きです。 間川 レイ @tsuyomasu0418

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