第50話


 ある短編を読んで、思ったんですよ。


 人間って、自分の思惑で動きますよね。んで、それぞれの行動によって引き起こされる流れ、ベクトルがある。んで、このベクトルは人それぞれがある意味勝手に起こしているのだけれども、全体的にまとめられて大きな流れ、ベクトルが生じる。

それで、その事象、大きなベクトルの方向が物語と成っていく。


 何でしょうか、どの行動がいいとか悪いとかではない。ただ方向をどちらにむいているかだけ。もう少しお互いに話をする、もう少し歩み寄ってみる、そうした事があればまったく違った行動につながり、ベクトルの方向が変わる。違う物語になるし、違う結果になる。


物語の深みというか、幅というかそういったものってこの様々な方向を向いているベクトルが如何に多くあるのか、如何に深くあるのかというものなのかなと感じました。この別々の方向を向いているベクトル、これがきれいにバランスをとったら奥深いものになるのかしらと。


 で、このバランスが上手く取れないとちぐはぐした結果に見えるのだろうなとも思いました。たまたま読んだその短編が、一番最後にベクトル同士が喧嘩して終わってしまったようにうかがえたからでした。


 その短編自体は十分面白かったんですけど、感想欄にあった辛口のコメントでそう感じたのです。しこりが最後に残っちゃったみたいな感じだったんだなと考えたわけです。


 で、なろうの作品なんですが『冷遇妃マリアベルの監視報告書』。綺麗にまとまっているなぁと。人物が指し示すベクトルについて考えながら読んでいたもので、ちょっと感動しました。

最後のクロウの方向性で、すとんと落ち着くんですよ。


 話の中に本来だと放っておかれない点とかがあるんですが、抜けてるのではないのです。しかも最後にクロウ自身見通せなかった部分も残る。


だから、なんか物語の厚みを感じる。


 では、自分でそういう物語を書けるのか? と考えたら。ちょっと無理と思いました。こういうベクトル、意識したことないもので。

だから、余計にすごいなあと思ってしまいました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

四方山話 凰 百花 @ootori-momo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ