本の妖精は人の話を聞かない

大橋 仰

本の妖精は俺の話を聞かない

 親が経営していた商店街にある小さな本屋を継いでから、早いものでもう10年になる。

 昨今の電子書籍の普及に伴い、ウチの店も青息吐息だ。今日も客は一人も来ていない。

 俺も今年で40代になった。そろそろ店をたたんで、再就職先でも見つけないといけないかな。


 そんなことを考えていると——


 ——ウイーン


 店の入口に設置している自動ドアが開いたと思ったら、ひとりの少女が颯爽さっそうと店に入って来た。


 初めて見る顔だな。高校生かな。結構可愛い顔をしてるんだけど……

 でも、ちょっと様子がおかしい。


 なぜだか、ピーターパンに出てくるティンカーベルのような衣装を着ているのだ。

 そう、全身、緑色なのだ。コスプレイベントの帰りなのかな?



 俺の戸惑いなどまったく素知らぬ顔の少女は、迷いのない足取りでレジにいる俺の元へと近づき、そして口を開いた。


「こんにちは。私は本の妖精です」


 なに言ってんだ、この人?

 なんで妖精が、自動ドアから入って来るんだ?


 やっぱり…… ちょっと変わった人のようだ。

 俺はなるべく関わらないよう、視線を逸らしたのだが……


 少女は何の迷いもなく、また口を開く。

「あなたの願いをなんでも一つ叶えてあげましょう」


 嗚呼ああ、今すぐここから逃げ出したい。

 でも、ここにはレジがあるから逃げ出せない。


 俺が無言でいると、少女は少し首をかしげ、

「願いが何もないのなら、今から閉店セールを始めますよ?」

 と、言い出したんだけど……


 なに言ってんだ、この子?

 なんと答えて良いかわからない俺が無言でいると、少女は大きく息を吸い、そして——


「長年のご愛顧ぉぉぉーーー! ありがとうございましたぁぁぁーーー!!!」

 ……大声を張り上げた。


「ちょっと、なに店の外に向けて大声出してんだよ! 勝手に店じまいするなよ! 閑古鳥が鳴いてるけど、まだ営業するんだよ!」


「あなたの願いをなんでも一つ叶えてあげましょう」


「急に話を戻すなよ! 俺の話が聞こえてないのか!? ……って、え? 願いが何だって?」



「あなたの願いをなんでも一つ叶えてあげましょう」


「……これって、新手の嫌がらせか? お前、ひょっとして、駅前にある大型書店の回し者か?」


「ぷぷ…… こんな潰れそうな店に、嫌がらせなんてする必要ないじゃない」



「お前、俺の言うこと、ちゃんと聞こえてるじゃねえか…… ふぅ…… もう、そういうの、いいから。用がないのなら帰ってもらえますか? こっちも忙しいんで」


「ぷぷぷ…… お客さんなんて全然いないのに、どこが忙しいんだか」


「せ、接客以外にも、いろいろやることがあるんだよ!」



「あなたの願いをなんでも一つ叶えてあげましょう」


「…………なるほど、どうしてもその台詞が言いたいようだな。わかったよ、俺の願いを言えばいいんだろ? 願いを言うから、その代わり、もう帰ってくれよ?」

 まったく面倒なことになってしまった。

 仕方ない。ここはサッサと願いとやらを口にして、トットとお引き取り願おう。


「俺の願いは、その…… この仕事を通して、多くの人に本の素晴らしさを知ってもらいたいって言うか……」



「ちっぽけな夢ですね」


「うるせえなあ!!! お前が無理矢理言わせたんだろ!!!」



「そんなあなたに耳よりな質問があります」


「……お前、マイペース過ぎるよ。耳よりな質問って何だよ? 言ってる意味がわからないよ。それから、ちょっとは俺の話を聞けよ……」

 という、俺の言葉などまったく耳に入っていない様子の少女は、近くの書棚から漫画を2冊引き抜き、ズイっと俺の目の前に提示した。そしてまた、少女の唇から言葉が漏れる。


「あなたが落とした本は、金の『銀魂』ですか? それとも銀の『キングダム』ですか?」


「ややこしいよ!!!それからその漫画、両方とも出版社が集英社じゃねえか! ちょっとはカドカワグループに配慮しろよ! 」

 あれ? 俺、何を言っているんだ? いかん、怒りのあまり、よくわからないことを叫んでしまったようだ。



 俺が言いたいのは、こんなことじゃないはずだ。そうだ、今言うべき台詞はこれだ。


「どっちも落としてねえよ!!! 両方ともウチの本だよ! お前ひょっとして、俺が選ばなかった方の本を、自分のものにするつもりじゃないだろうな?」


「ちっぽけな男ですね」


「…………なあ、もういいだろう? 俺は自分の願いを話したんだ。だから、もう帰ってくれよ」



「あなたの本に対する愛情がよくわかりました」


「いや…… なんで今更、そんな話になるんだか……」



「それでは、あなたの夢を叶えることにしましょう! さあ、お行きなさい、新しい世界へ!」


「ちょっとは人の話を聞けよ…… って、うわ! ま、まぶしい!」


 まばゆい光に視界を奪われ、目の前が真っ白になった。




 しばらくして、視力が回復した俺は、辺りの様子を見渡してみた。


「あれ? ここは俺の店じゃない。 ここは…… そうだ! 街の中心にある市営の図書館だ!」


 周囲には大きな書棚がいくつもある。

 沢山の人が本を手にとっている。

 俺の目の前には、本を借りようとしている人が大勢列をなしていた。


 どうやら俺は、図書館の司書になったようだ。


 待てよ、おれの願いは自分の仕事を通して、多くの人に本の魅力を知ってもらうことだけど…… これって俺の夢が叶ったってことなのか?


 あれ? ここは市営の図書館だから、確かここの司書って公務員だったような気がするけど…… ということは——


 俺、公務員になったのか!

 これって、スっごくラッキーじゃないか!

 これなら、再就職のことで頭を悩ます必要もないぞ。

 それどころか、この先、俺は公務員として安定した生活を送れるじゃないか。


 じゃあ、もう本屋はいいや。



 俺がそう思った瞬間、背後から少女の声が聞こえて来た。


「ちっぽけな男ですね」


「うっ………… まったく反論出来ない……」

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本の妖精は人の話を聞かない 大橋 仰 @oohashi_wataru

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