最果ての本屋さん

朝方の桐

最果ての本屋さん

 カランカラン…バタン


 店員に新しい客人の来店を知らせる鐘と閉まる扉の音に、私はハッと意識を取り戻す。

 ここは何処だ?何故、私はこんなところに?


 戻ろうとした。

 何もかも分からないが、とにかく何処かに戻ろうとした。

 ここから離れようとした。


「いらっしゃいませ。

 お茶でも飲んでいきませんか?」


 店内の奥から、珈琲と古書のあの独特な匂いを身に纏った男性のような女性のような容姿の人物が歩いてきた。


「…ここは?」

「最果ての本屋さんですよ。

 誰も知らない、忘れてしまう本屋さんです」


 彼?は湯気を漂わせるカップを持たない方の手をこちらに差し出し、ニコリと笑う。


「外はもう暗いです。

 貴方の様な人では危険でしょう。

 珈琲でも紅茶でも、緑茶でもなんでもありますよ?少し休憩していってはいかがでしょう?」


 彼?は本の壁となっている店内から、迷うことなく1冊の本を手にしてこちらを向く。


「こちらはいささか狭いですからこちらへどうぞ、お茶はどうしますか?」

「あ…じゃあ珈琲で」

「珈琲ですね。

 この道をそのまま真っ直ぐ進んでください、私もすぐ行きますから」


 そういって彼?に見送られながら道を進む。

 本屋というには店内はごちゃっとしているが、匂いは本が持つあの感じがした。


「わっ」


 そこまで長くない道の先、そこには言葉通り先程の場所よりかは少しだけ広くなった空間が広がっていた。


 見渡す限りの本、本、本。

 散らばっている本は、片付ければ広くなるだろうにと思わせるには十分なレベルの物量だった。


 しかし、目につくのはそれではない…いや、本も目には付くのだが。


「でっかい水槽…」


 湿気とか大丈夫なのか?とかそういう感想は後回しに、薄暗い店内に青く揺らぐ水はとても幻想的に見えた。


 自分の身長の3倍はあるであろうでかい水槽に、クラゲが1匹漂っていた。

 透明な身体に、赤い中身を見せるクラゲは独りぼっちで漂っている。


「でかいでしょう。

 クラゲを見つけるのに苦労しますよ」


 ふわりと珈琲の匂いが漂う。

 彼?は、私の横を通り過ぎ水槽を背にこちらを見る。


「貴方にお勧めの本がここにあります。

 これでも一応本屋ですからね、こうやって訪れた客人に対して最高の1冊を提供する事がこの最果ての本屋の役目ですから」


 彼?は湯気を漂わせているカップをこちらに差し出す。


「しかし、ここまでお疲れでしょう。

 どうぞ、珈琲でも飲んで一息ついてくださいな」


 逆光で影を纏う彼は、ズズッとこちらに近寄ると片方に本を持たせ、もう片方にカップを握らせた。


「さぁ、きっと気に入ることでしょう」

「は、はあ」


 その勢いに少し引きながら、お言葉に甘えて珈琲を飲もう傾けた。


「ごっ…は、え?」


 死の匂いがした。

 頭の奥で、ギィと扉が開く音がした。

 無数の手が、体に絡み付いて連れていく。

 彼?は、ただただそれをつまらなさそうに見つめていた。

 それで、私の意識は無くなった。


 パリンと持ち主を失ったカップは床に叩きつけられ、本を茶色に汚していく。


駄目か」


 それは、つまらなそうに汚れてしまった本を掴むと部屋の本の山の方へと投げつける。

 バサバサと連鎖的に何かが倒れる音が静かな部屋に響く。


黄泉戸喫よもつへぐいか何か知らないが、そもそも死んでしまっているのだから関係ないだろうに。

 なあ、そうは思わないか?」


 背後の水槽にいるクラゲに声をかけるが興味がないのだろう、何処にいるのか分かりゃしない。


「折角の客人だったがまた駄目だったな」


 珈琲の染みを飛び越えて、残った珈琲を淹れに向かう。


「はあ、正当にあの軟弱者共を越えた人物は来ないだろうか。

 独りで本を読むのも飽きてきたな」

「時間が経つとお迎えが来てしまうのは難点だな、やっぱり珈琲はやめようか…しかし、俺だけ珈琲飲むのはなあ」


 トントンカンカン塔を建てましょう。


 トントンカンカン高く高く建てましょう。


 とある男は、周りが止めても独り塔を伸ばしていきます。


 来る日も来る日も伸ばしていきます。


 そうして、そうして


 誰も、誰も知らないことですが。


 その男の手は、確かに天へと届いたのです。


 ここは最果ての本屋さん。

 人生の記録の保管先/神に歯向かった罪者/神を超えた偉者の行き着く先。


 そして、時たま迷い込む転生途中の亡霊が迷い込む本屋さん。


 ただの建築士と不死身のクラゲの店員はいつでも仲間を募集しております。

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最果ての本屋さん 朝方の桐 @AM_Paulownia

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