古本の価値

名苗瑞輝

古本の価値

 街の外れにある古びた建物。背中から感じる喧騒とは対極的な静けさが、まるで建物の中から溢れ出ているような気さえする。

 ここは自分の居場所ではない。場違いさを感じながらも、勇気を出して一歩を踏み込んだ。その瞬間に、なんとも言えない感覚が脳を刺激する。それはこの建物の中に充満する香りのせいだろうか。

 店の中を見渡すと、どこを向いても本、本、本。一度、奥にいる店主らしき初老の男性と目が合った。彼が俺のことを訝しげに見ていたのを知っている。だから少しばつが悪そうに目をそらした。

 そして、その先にあった一冊の本が目に留まる。時代を感じる装丁。手に取って表紙をめくると、褪せたページが飛び込んでくる。

 ここはただの本屋じゃない。古本屋だ。古本を売っているから古本屋。

 正直なところ、俺は古本に興味は無かった。だから古本屋に来るのはこれが初めてで、何なら古本という物を目にするのもこれが初めてだった。

 悪くない。そう思った。少し角の破れた表紙、褪せたページ、知らない誰かのメモ書き。誰が使い古した本だけれど、俺にはむしろ真新しかった。


「3メガビットね」

「……は?」


 レジで提示されたのは、買おうと決めた古本の値段。いやいや、いくら何でも高すぎる。


「新刊ならもっと安いだろ」

「新刊と違って代替不可トークンだからね」

「いやいや、代替不可って、同じ本が隣に並んでたじゃんか」

「それと同じ物は、この世界に二つとないよ」


 店主はそういうと立ち上がり、どこかへと向かった。その先には、この本が並んでいた本棚がある。

 そこから一冊の本を手にして、彼はこちらに戻ってきた。その手にあったのは、俺が買おうとしたのと同じタイトルの本だった。


「例えばこのページ。キミの選んだ物はメモ書きがされている。けれど、こっちにはそういった物が一切無い」

「いやいや、落書きがある分むしろ安くしてくれたっていいだろ」

「その落書きに付加価値を感じたから、キミはそれをここに持ってきたんじゃないのかな?」


 彼の言うことは正しい。安くしてくれなんてのは、ダメ元での売り言葉みたいなもの。本当は価値があることなんて解っているつもりだった。

 だから、彼の口から次に出てきた言葉が俺には理解できなかった。


「まあ、そんな物に価値なんて無いなんてのは正しいよ」

「……え?」

「その本が本当に欲しいのなら、私の所まで来るといい」


 私の所。目の前に居るのに何を言っているのかと思って、しかし少し遅れて言いたいことが解った。解ったけれど、その結論があまり信じられなかった。


◇ ◇ ◇


 地球に降りるのは初めてでは無かった。地球に降り立つ事の無いまま一生を終える人なんていくらでも居る。

 なにせ、降りる理由が無いのだから。今の地球には荒廃しきっている。だからコロニーの方が充実しているし、メタバースで栄えていた頃の地球環境を疑似体験することも出来る。

 けれど、あの日見たのと同じような光景をいざ目の前にすると、感動を禁じ得なかった。古びた建物は、もはやいつ崩れてもおかしくない様相だ。

 建物に一歩踏み入れるや、空気の違いを肌で感じた。本の香りは、あの時よりももっと優しいものだった。

 そのときふと、店の奥から視線を感じた。こちらからも視線を送ると、そこには少女の姿があった。てっきりあの初老の店主が居るのかと思ったけれど、そうでは無かったので少し肩透かしを食らった気分だ。

 とりあえず、あの本があった棚へと向かった。その最中、あたりを見て感じたのが本の少なさ。棚の中はガラガラ。もしかしたら、あの本は無いのかもと思わせる。

 目的の本棚までやってくると、それは直ぐに見つかった。ポツンと一冊だけ鎮座するその本は、少なくとも同じタイトルだった。

 恐る恐る手に取ってページをめくる。今にも崩れ去りそうで、指先が震えた。

 捜していた物は直ぐに見つかった。あるページに書き込まれたメモ書き。この本はめたばで見たのとまったく同じ物だったのだ。

 俺はこの本を手に、奥にいる少女のもとへ向かった。そして彼女に声を掛けようとしたのだけれども、それよりも彼女の方が早かった。


「その本」


 そう言って本を指し示した指が、今度は俺に向けられた。


「約束通り来たのね」

「約束って……」

「私の所に来るって話。それとも人違いかしら?」

「……えっ」


 あの時話していた相手は初老の男性だったはずで、目の前の少女とは似ても似つかぬ……いや、似ていないことも無い、か?


「アバターが別人なんて、珍しくないんじゃないの? あなただって、アバターの方が3割増しでイケメンじゃない」

「イケメン?」

「あら、流石に通じないのかしら? とにかく、あれは死んだおじいさんのアバターで、操作してたのが私」

「なるほど、そういうことだったのが」

「それで、あなたの欲しがってた本だけど、それをあげるわ」

「なんでそんな……」


 古本に価値なんて無い。あの時店主の彼、いや彼女の口からは出た言葉。だから譲るというのか?

 けれど、ほとんどの出版物が電子化して久しいこの時代、紙の本なんてのは骨董品で、物によってはとても価値がある。ただの電子データでしかない、古本を模しただけの古本もどきとはわけが違う。


「貴重な物だろ。流石に貰えないな」

「その本、おじいさんの本なの」

「なおのこと貰えない」

「いいの。読まれない本に価値なんてないから」


 互いに譲らず平行線。どちらかが折れない限り続きそうなやりとり。先に折れたのは俺の方だった。


「わかった、けどせめて何かお礼をさせてくれないか?」

「じゃあ……ジュース一本で」

「それだけでいいのか?」

「その本は200円。200円ぽっちじゃジュース一本しか買えなかったわ」


 とてもジュース一本分の価値しかないとは思えないけれど、そこはきっと地球との価値観の違いだろうか。

 俺は自分用にと持ってきていた飲み物をいくつか彼女に提示した。その中から彼女はオレンジジュース一本だけを手元に寄せる。もっと持っていっても良いと言ったけれども、彼女はそれ以上受け取らなかった。

 流石にこれでは価値が釣り合わない。だから今度は、古本もどきでも買いに行こうか。


「また来るよ」

「その時は感想聞かせてね」


 こうして俺は店を去った。

 コロニーへ帰る為のテレポーテーション。目的を果たした俺は、何も考えずにそれを起動した。

 目的地に着いたとき、手の中にそれは無かった。どれだけの時が経ったかも解らないあの本は、テレポート時に瓦解したらしい。


 ◇ ◇ ◇


「そう、良かった」


 早速メタバースの古本屋へ赴いて、事の顛末を店主に話した。

 彼はまるで安心したかのような表情でそう答えた。正直少しの憤りがあった俺だったけれども、そんな感情はどこかへ消えていった。

 そしてその後、この店で初老の店主の姿を見ることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

古本の価値 名苗瑞輝 @NanaeMizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ