第4話 【完】
真っ白な天井がまず目に入った。
次いで、ぼんやりとした鈍痛。特に下半身が思うように動かせない。左手は柔らかい何かに包まれている。
最後に、女の子の泣き声と男の怒声。
「お前のせいで隼人がこんな怪我をしたんだぞ! 一体どうやって責任を取るつもりなんだ!!」
「ごめんなさい……本当にごめんなさいっ」
だんだんと意識が覚醒してきて、俺はその声が父親と結衣のものだと理解した。首も上手く動きそうになかったが、どうにか目を向けてみたところ俺は全身を包帯やら何やらで固定されているようだった。
左手は結衣がずっと握ってくれていた。
ピクリ、と左手に力を入れてみる。
すると結衣が飛び上がったのが分かった。
「隼人くん!?」
「隼人、目が覚めたのか!」
二人して上から俺を覗き込んでくる。
「ぁ……ああ。生きてるのか、俺は」
なんとも声が出しづらい。
もしかしたら、痛み止めや部分麻酔などの影響だろうか。
「生き、生きて……くれたっ、良かった、本当に良かったっ!」
結衣が俺の手を握りしめ、大きく震えながら息を吐いた。
父の説明によると、歩道で結衣の様子がおかしいことに気づいたドライバーが警戒しながら走ってくれていたらしく、素早い反応で急ブレーキを踏んでくれたらしい。交通の流れもあって元のスピードはそこそこ出ていたようだが、轢かれた俺が死なない程度には減速したということだった。
それでも男の俺がこの大怪我なんだから、轢かれたのが結衣じゃなくて良かったと心の底から思う。
俺の怪我も骨折や打撲が主で、時間をかければ元の生活に戻れるだろうと医者が言っていたらしい。
一通り説明を聞き終えてひと休み。
俺の手を握って離さない結衣を父が睨みつけた。
「全てお前の責任だからな」
結衣の肩が跳ねる。
俺は少し眠気があったが、今の発言は黙っていられない。
「ち……違うでしょ。最終的に彼女を助ける判断をしたのは俺だし、元を
はぁ、と大きなため息が聞こえる。
「まさか名前で呼び合うほど親しいのかお前たちは。まあ今はいい。痴漢行為を行った奴らは方に裁かれる。だが、膝ギリギリのスカートを履いているこいつにも、どう考えても責任がある」
「こ、これは学校指定の制服です!」
「だからなんだ。体操着のズボンでもタイツでも、腰にジャケットを巻くのだっていい。対策はいくらでも取れたはずだ」
「それはッ!」
椅子から立ち上がろうとする結衣を、左手に力を入れて押さえる。
俺の怪我も、痴漢だって相当辛かったはずなのに、結衣に責任を押し付けようとする父の言葉は止まらない。結衣は泣きそうなところを寸前で我慢しているのが分かるくらい声が震えていた。
「もういいよ、結衣」
「隼人くん……」
自分の親とは自分で話をつけるべきだ。
左手で結衣を抑えつつ俺は目を父に向けた。
「俺を心配して来てくれたのは素直に嬉しいし、感謝もしてる。でももうこれ以上結衣を傷つけないでくれ」
「傷つける? 違う、これらはただの事実だ。高校生なら自分の罪くらい自分で責任を取るべきなんだよ隼人」
「その罪が結衣には無いって言ってるんだよ」
「あるに決まってるだろ。実際、隼人一人ならこんな怪我しなかったはずだ」
俺一人なら、か。
考えたくもないが、結衣と出会っていなかったら俺はどんな人生を送っていたのだろう。
普通の人生を送っていただろうか。
「俺一人なら確かに怪我はしなかっただろうよ。でも、俺一人だったら一生あんたに洗脳されたままだった」
「洗脳?」
意味がわからないとばかりに首を傾げる父。
「『椎名の娘とは関わるな』、『椎名家は醜い』。そうやって俺に結衣の悪口を散々聞かせてきたじゃないか。でも実際に会った彼女は全く悪い人間じゃなかった。醜い要素なんてかけらも無い。それなのにあんたはずっとずっと椎名家の悪口を俺に聞かせ続けた。母さんもだ。これが洗脳じゃないならなんだって言うんだよ!」
ハア、ハアッ。
一気に喋ると喉が辛い。
結衣に目配せするとすぐに察してくれて、ストローで水を飲ませてくれた。
「洗脳か。まさか隼人にそんなことを言われる日が来るとはな」
メガネを中指で押し上げる父。
これから大事なことを話すぞと言わんばかりの顔だ。
「君は聞かない方がいい」
突然話しかけられて驚いた様子の結衣だったが、すぐに気を取り直して首を横に振った。
「私にも聞かせてください」
「……フッ、これでは本当に私が隼人を洗脳したみたいじゃないか」
結衣のまっすぐな視線を受けた父が笑う。
少し間があってから父は口を開いた。
「椎名
結衣を見て父が言う。
「なんだよそれ、なんでそんな詳しいんだよ」
「薫は私の幼馴染だった男だ。それで納得してくれ」
幼馴染だから、ずっと側で結衣の父親の悪行を見てきたってことか。
俺の手を握ったまま結衣は動かない。
「それから君の母親は仕事をやめて君を育てることに専念した。彼女が私たち早川を嫌っていることこそ洗脳によるものだろう。彼女は全然そんな人間じゃなかった。なあ隼人、ここまで聞いたら分かるだろう。屑の子は屑だと決めつけたのは確かに私が悪かった。でもそう思うのも仕方がないくらい、あいつは他にも沢山悪いことをして来たんだ。関わらせたくないのが親というものだろ?」
危うく納得してしまいそうになるくらいには結衣の父親はイかれていると思った。けれど、だからと言って今まで俺たちにしてきたことを許そうだなんて気にはならない。
「だとしても、あんたはせめて一度くらい結衣と直接話してみるべきだった。勝手な想像で決めつけて、頑張ってる結衣を無責任に否定したことは、大人以前に人間として最低だよ。俺のこの怪我だって大した理由もなしに結衣のせいだって決めつけた。さっきの話が全部本当だったとして、同じくらいあんたも十分狂ってる。俺にはあんたが自分の愚行を取り繕っているようにしか聞こえない」
今できる精一杯の言葉を紡ぎ、できる限りの目力で訴える。
幼い頃の俺にとって、両親が全てだった。
そう思えていたくらいには父親として褒めるところが一つもないわけじゃない。だからこそ俺の言葉を理解してもらいたかった。椎名家の話をするとき以外は結構まともな父親やってくれていたんだから。
「……そうか」
ボソッと父が呟いた。
そのまま俺の視界から消えてドアの方に向かったようだった。
「母さんには私から説明しておく。あの人もお前を心配していたことだけは伝えておくぞ、隼人。母さんは数分前の私よりひどい怒りようだったから、危険と判断して家に居させた。上手く説得できたら見舞いに来させるよ」
そう言って父は部屋から出て行った。ドアが閉まる直前に結衣に謝っているような言葉も聞こえたが、結衣は動かないままだった。
「結衣」
左手に力を入れても反応がない。
軽く引っ張ったり、名前を呼んでもダメだったが、指を絡めるように手を握ったらビクンと反応があった。
「私、最低な父親のもとに生まれた子みたい」
消え入りそうな声。
よく考えたら俺も結衣と初めて会った日以来、結衣の父親を見たことがない。昼夜問わずどこかで遊び歩いていたのだろう。もちろん最低限の仕事はしていたとは思うが、そこでは俺の父と喧嘩ばかりしていたはずだ。
「私……どうしよう。望まれて生まれた子かも分からないじゃん。こんな私じゃ、ダメだよ、隼人くんに相応しくない」
「結衣、こっち見て」
優しく呼ぶと、彼女は涙を流しながら顔を上げた。
「俺が好きなのは結衣だ。親がどうとか、そんなの全然関係ない。俺は結衣が好きなんだよ」
目から大粒の涙を流して彼女は首を振る。
「私も隼人くんのこと大好きだよ。大好きだけど、だって、あまりにも釣り合わないよ」
「釣り合うよ。釣り合わないっていうならそれは結衣じゃなくて俺の方。どうしても親が気になるなら、自慢じゃないけど俺の親も大概クズ野郎だから」
そう。
結局俺たちが一番恵まれなかったのは親なのだ。だけど今の親じゃなかったらきっと結衣とも会えなかったので、感謝と軽蔑を込めてのクズ野郎である。
「でも私っ!」
「結衣。昔も今も、俺が掴んでるのは結衣の手だよ。例え結衣がなんと言おうと、俺のことを本気で嫌いにならない限りは絶対に離さない」
「嫌いになんてなるわけないよ。なれるわけない」
「なら、絶対に離さない。結衣が自分を嫌おうと、俺は結衣が好きだから。顔、もっと近づけてくれる?」
本当は自分から行きたいところだが、なにぶん体中固定されてて動けない。
近づいてきた結衣がすぐ側で俺を覗き込む。
「もっと近づけて」
「……でもそれじゃあ」
「そう。キスしよう、結衣。俺の気持ちを受け取って欲しい。まあ、嫌じゃないならだけど」
言ってて恥ずかしいが、なんと俺、生まれてこのかたキスなんてしたことがありません。
下手なキスして泣かせたらどうしよう。ええい、その時はその時だ。
「……ずるいよ。嫌なわけないじゃん」
結衣は少しだけ笑うと一気に顔を近づけてきて、触れる。
んん、んんん!?
いやいやいや、これはやばい。
「ん……ぷはぁ、はぁ」
「あの、俺としては、唇だけのつもり、だったんだけど」
息が苦しいレベルです。
まあ気持ちをリセットさせるっていう当初の目的は達成できそうだから良いのか?
「ごめんね。でも、ずーっとしたかったキスだもん。我慢なんてできないよ。ほら、もう一回口開けて?」
俺と結衣の影が再び重なり、しばらくして俺も攻めるようになる。気持ちよさそうに目を細める結衣はとっても可愛らしく、体の痛みなんて吹き飛ぶような快感だった。
「大好きだよ結衣。もう本屋で会わなくても、いつでもこうして本音を伝えられるんだ」
心からの言葉だったが、結衣は小さく首を横に振った。
「ううん、まだだよ。最後に私の両親と話をつけないと。でも隼人くんは何も気にしなくていいからね。怪我が治るまでに、私が二人と話すから」
俺も一緒に、そう思ったけど結衣が力強い視線を向けてくるので俺は頷いた。
「分かった。けど、大変そうだったら辛くなる前に俺にちゃんと相談して欲しい」
「大丈夫。辛くなくても毎日必ずお見舞いに来るから。彼氏として、辛そうにしてたらしっかり私のこと支えてね」
目頭を拭って笑った結衣に、俺も笑顔を返す。
彼氏。
彼女がそう言ったのを俺は聞き逃さなかった。
「分かった、必ず支える」
「ふふっ、ありがとう」
笑顔の彼女にもう心配は無用だろう。
「ねえ隼人くん、私将来は本に囲まれた部屋に住みたいな。良くも悪くも、本屋さんは私にとって大切な場所だったから」
「俺も完全に同意」
未来の話は笑ってするのが良いらしい。
どこかで見たそんな言葉を思い出しながら、俺と結衣は笑顔で未来に想いを馳せた。
大好きな彼女と付き合うのに、お互いの家族が邪魔すぎる件 Ab @shadow-night
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