不思議な貸本屋 ①(KAC20231)

一帆

不思議な貸本屋

春は新しい出会いの季節。


 私は、何かから逃げるように札幌から東京に引っ越してきた。

「あんたは変化に弱いんだから、心配だよ」と言ったのは、最後までついてくるとごねた母さん。私が逃げたかったものの中には、母さんの存在があったのかもしれない。


 


 ぽかぽかした空気を吸うだけで、体も気持ちもとっても軽やかな気持ちになる。今まで、心の中で氷のように凝り固まっていた何かが、溶けていくようなそんな気持ち。見上げれば、うす桃色の桜の花が満開で、風が吹くたびに雪のようにひらひらと落ちてくる。


「桜かぁ……。昨日まで道路のわきには雪が積もっていたから、なんだか不思議な気分。札幌じゃあ、桜ってあんまり見かけなかったし。上水沿いのこの遊歩道を歩くだけでも、楽しそう」


 大家さんに挨拶を終えた私は、札幌では有名な洋菓子店の紙袋を折りたたむと、ポシェットに突っ込んで歩き始めた。桜上水と名づけられたこの辺りは、上水べりの緑道に桜並木が続いている。


 ふんわりと、春の匂いがする風が、私のそばを通り過ぎていく。道端には、カタバミやハルジオン、ぺんぺん草や私が知らない背の高い植物もたくさん風に揺れている。雑草が我が物顔で生えている緑道っていうのも春めいていていい感じ。3月の札幌では見られない光景だもの。ちょっと季節を先取りしたようで、得した気分。足取り軽く歩いていると、何か引っかかるものがあって足を止めた。

 

  ん? あれは………?


 背の高い雑草の根元に、20cmくらいの板で作られた小さな看板を見つけた。近寄ってみると、癖の強い字で『貸本屋 せしゃと』と書いてある。


 貸本屋? 

 このご時世に貸本屋なんて珍しい。

 小さな看板もすごく気になるし。

 本好きとしては、行かなきゃでしょ。


 背の高い雑草をかき分けて歩いていくと、大きなお屋敷の前に出た。上水べりの遊歩道沿いにこんなお屋敷があるんだ。やっぱり東京ってすごいところだなと感心して

お屋敷の壁沿いに歩く。しばらく歩いていくと、勝手口らしき扉とさっきと同じ文字の小さな看板を見つけた。


 ここに入れってこと?


 私は扉を押して中に入る。すると、そこは小さな蔵の前だった。蔵の扉は開いていて、中には本の山があるのが見えた。一つの本の山のてっぺんに、私の大好きだった絵本が乗っていた。私は吸い寄せられるように蔵の中に入って、その絵本を手に取った。ポール・フライシュマンの「ウエズレーの国」。中学生になった春、新しい学校になじめなくて、この本ばかり読んでいたっけ。同じ制服を着て、同じ髪型をして、仲間はずれが怖くて、母さんの後ろに隠れてびくびくしていた日々。この絵本を何度も読んでいるうちに、私は自分を肯定することが出来るようになったんだったっけ。


「おや、お客さんとは珍しい」


 私がその絵本をめくろうとしたその時、男性の低い声が背後から聞こえた。私はぎょっとなって絵本を落としそうになる。


「あ、あの、……、か、看板を見て、それで、……、こ、この絵本……、なつかしくて、つい……」と、しどろもどろに言い訳をしながら振り返った。そこには、すらりと背の高い着物姿の男性が立っていた。


「ここは貸本屋だ。気になった本を手に取って構わない」

「……はい」

「借りて帰ることもできる。一冊100円。期間は10日。お金がなければ、どんぐりやガラス玉でも構わない」


 はい? 

 どんぐりやガラス玉?

 この人、絵本を手にしたから、私のこと小さな子どもだと思ったのかしら?

 ありえないし!


「いえいえ、お金ならあります」と私は自分のポシェットに手を添えて、小さく胸を張った。


「そうか」


 男性は興味なさそうに言うと、山積みになっている絵本をいじり始めた。私の好きだった絵本達の表紙が見え隠れする。


「……、これでも、一人暮らしするくらいの年齢なんですよ?」

「それで、その絵本を借りていくのか?」

「はい。久しぶりに、この絵本を読んでみたくなりました」

「そうか。では、手続きを願おう。名前を書くように」


 手渡されたのは、小さな木の札とガラス製のペン。


 紙じゃないんだ。面白いと思いつつ、木の札に名前を書いて、ポシェットから100円を取り出した。100円玉があってよかったと思ったのは内緒。

 男性は、絵本を桜柄の布袋に入れて渡してくれた。ふんわりと桜の匂いがする。私が絵本が入った袋を見ていると、男性が声をかけた。


「一日でも延滞すると、督促の鬼がお前の家まで行って『返せ、返せ』と喚き散らすから気をつけるように」


 そう言われて、その意味を問い直そうと顔を上げた時には、私は上水の緑道に立っていた。どこを探してもあの『貸本屋 せしゃと』という看板は見つからない。


 なんだったの? 今の!

 白昼夢? 狐か狸に騙されたとか?

 やっぱり、東京は恐ろしいところだ。


 でも、返却期日を過ぎると督促の鬼が来ると言っていたくらいなのだから、絵本を返そうと思ったらまたあの貸本屋に行くことができるだろう。そう思うことにして、絵本がはいった袋をしっかりと握りしめて、私は家に帰ることにした。



おしまい。



 


 


 


 


 



 






 

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