「本屋あるある」の現実

初音

「本屋あるある」の現実


 私は今、上に手を伸ばしている。


 お目当ての本は、私の頭上30cm程度のところにある。あれを、取りたい。せっかくマイナーな本も取り扱う大きな書店にやってきたのだ。諦めて帰るわけにはいかない。


 爪先立ちになってぴょんと飛んでみたら、一瞬手が届いた。だが、隣の本に挟まれているから、ちゃんと掴まないと取ることはできない。



 こういう時、少女漫画の定番シーンが始まればいいのに。背の高いイケメンがひょいっと取ってくれて、「あっ」とか言って手が触れ合って、「ツタンカーメン、お好きなんですか? 実は僕も古代エジプトには目がなくて」とかなんとか、会話が始まったりして。


 そ、そうなんです。だから私、大学でも考古学を専攻してまして。えーと、あなた、あ、お名前は? 私は高橋結菜といいます。


 結菜さんですか。いい名前ですね。僕は――


 そこから「よかったらこの後お茶でも」からの……なんちゃって。


 妄想したって本は取れない。諦めて手を降ろそうとした瞬間だった。横から大きくてごつごつした手がスッと伸びてきた。


「えっ」


 手の主を見ると、そこには爽やかなオーラをまとったイケメンが立っていた。塩顔というやつか。色白で、清潔感あふれる薄緑色のシャツを着こなしている。


「この本が取りたかったんですよね?」

「え、あの、ありがとうございます」


 すごい、まさに少女漫画のシチュエーション! ここから何かが芽生えてしまうのか!?


 私はどぎまぎしながらイケメンを見た。そして、ふと本の表紙に目を落とした。


「あっ」


 本のタイトルは『伝説の古代史~神話の謎に迫る~』というものだった。私はその隣にある『最新研究! ツタンカーメン20の新事実』が欲しかったのだが。


「ツタンカーメン、お好きなんですか?」なんて会話が始まるわけもなく、それ以前の問題に私は今直面している。どうする? せっかく取ってくれたのに違うってなんか言いづらい。でもこのままだと結局これを戻して本を取り直すという作業がまた発生する。うーん、よし、言おう、言うんだ。私が取りたかったのは隣の『最新研究! ツタンカーメン20の新事実』なんですって。もしかしたらそこから会話が生まれるかもしれないし。イケメンとお近づきになれるチャンスが……!


 私はなんだか変に緊張してしまって、俯いたまま小さな声で言った。


「あの、せっかく取っていただいたのに申し訳ないのですが、私が欲しかったのはその隣の……ツタンカーメンの……えっ」


 顔を上げたら、イケメンはすでに遠くに行ってしまっていた。代わりに、ねずみ色のポロシャツをきたおじさんが立っていた。


「なんだいお嬢ちゃん、ツタンカーメン? ああ、あれのことかな。ほいっ」


 おじさんはいとも簡単に私のお目当ての本を取ると、『伝説の古代史~神話の謎に迫る~』の上にぽんと置いた。


「ありがとうございます」

「いいってことよ。それよりお嬢ちゃん、歴史の勉強とは感心だなぁ。大学生かい?」

「はい、そうです。……ありがとうございました!」


 私はぐるりと踵を返し、2冊の本を抱えたままレジに向かった。そして勢いで2冊とも買ってしまった。痛い出費だったが、「現実」を知る勉強代だと思うことにした。



 しかし後日、大学の考古学ゼミで、私はあのイケメンと再会することになる。




 ってことなら少女漫画の導入部みたいな感じでワクワクするけれど。 

 現実は、とことん残酷。私があのイケメンと再会することはついぞなかった。












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