きららむし

鳥尾巻

文字の海

「やだ、またこの虫」


 私は小さな悲鳴を上げて、手に持っていた古い本を落としそうになった。数ミリ程度のフナ虫にも似た銀色の生物が、それほど速くもない速度でページの隙間に入り込む。

 

 高校生の私はいつも古書店を営むお祖父ちゃんのお店を手伝っている。商店街の片隅にひっそりと佇む本屋は、大手の中古書店に押されて常に閑古鳥。

 今日みたいにカラッと晴れた日には、棚にある古本を虫干しするのだけど、文字通り「本の虫」が這い出てきたりして、虫嫌いの私にとっては嫌な作業だ。


 お小遣い程度のバイト代だし、嫌なら手伝わなければいいと親には言われるけど、お祖父ちゃんが守って来たこの小さな本屋は、昔から私の遊び場であり、憩いの場でもあった。

 読書が好きな訳じゃないけど、甘いような、少し黴臭いような古い紙の香りに包まれるこの場所にいるとなんとなく落ち着く。


「ああ、それは雲母きらら虫だね」

「キララなんて可愛いもんじゃないよ」

「紙を好んで本に棲むなんて本好きの憧れのような虫じゃないか」


 膨れる私にお祖父ちゃんは楽し気に目尻の皺を深めた。そりゃ、趣味が高じて古本屋を始めるくらい本が好きなお祖父ちゃんからすればそうかもしれないけど。


「銀色の鱗で文字の海を泳ぐロマンチックな生き物だね」


 ロマンチックなのはお祖父ちゃんの方だ。虫に食い荒らされたら本が売れなくなるのに。

 とにかく少し風に当てて虫干ししよう。直接陽に当てると古い紙は傷んでしまうから、日陰に本を並べておくのだ。

 さっき落としかけた本を持ち直してパタパタ振ってみたけど、銀色の虫はどこか奥深くに潜ってしまったようで、姿を現さなかった。

 諦めて裏口から外に出ようとすると、店の正面の引き戸が開いて、扉に取り付けた鈴がチリンと音を立てた。


「また雲母虫が来たようだよ」


 お祖父ちゃんはレジの奥から、私に向かって下手くそなウィンクをして、嬉しそうに微笑んだ。

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