棚の穴
佐古間
棚の穴
「ミツヤマさん、ミツヤマさん、知ってます?」
客入りの少ない平日昼間。
ぼんやりとレジカウンターでブックカバーを折っていた私に、トンダさんが神妙な声で話しかけた。
トンダさんは、入荷した定期購読分の本を整理し終えたところで、先ほどまで入荷連絡をしていたはずである。とりわけられていた本はいつの間にか後ろの棚に仕舞われていて、どうやら作業がひと段落ついたようだった。私は首を傾げて、「何がです?」と問いかけた。
駅前ビルの中の本屋さん、と言えば聞こえはいいが、寂れた駅の前に建つ、同じく寂れたビルのテナントの一つ、と言えばなんとなくイメージが付くだろうか。
“とまり書房”はそういう、小さな書店だ。
腐っても駅前ビル、土日や祝日は比較的混雑するが、平日の昼間などはお客さんが一人もいない時間もあって、毎日閑古鳥が鳴いている。この店がどうやって営業を続けているのか、ただのアルバイトでしかない私には知る由もないが、“地域密着型書店”として長年この場所に在り続けている。
今の時間は、アルバイトの私と、社員のトンダさんの二人きりのシフトである。トンダさんは私と二十センチくらい差のある小柄な女性だが、パワフルな性格で、重たい本の束なんかもスイスイ運ぶ。「力持ちですね」と褒めると、「そうでしょう」とにんまり笑って力こぶを見せてくれる、チャーミングな方だ。
「昔からある現象なんですけど。漫画コーナーの、昔のコミックあるじゃないですか、ほら、四コマの、男の子のキャラクターの」
私の手元から、ブックカバーの紙を束でごっそり持って行ったトンダさんは、カウンターに並んで同じように折り目をつけながら話を続けた。
話題に出したコミックの特徴を告げてから、タイトルを教えてくれる。読んだことはないが見たことのあるタイトルだ。古くからある作品だが有名で、確かもう完結していたはず。
「読んだことないですけど、知ってますよ。うち、なんでか全巻揃ってますよね」
まだ棚づくりなどは任せてもらえないので、掃除の際に見かけた記憶を頼りに相槌をうつ。トンダさんは「そうそう、全巻揃ってますよね」と同意した。
「あれ、実は定期的に仕入れてるんですけど、知ってました?」
それから、そんなことを言う。
「仕入れ?」
「月に一回、気づいたら全巻売れてるんです。だから毎月一度は全巻仕入れをしていて」
棚づくりを任せてもらえないので、当然、仕入れの事情なんかも知らない。私は瞬きをしてトンダさんを見下ろした。
トンダさんは神妙な顔のまま、「不思議ですよねぇ、もう随分前の作品なのに」と手を止めない。
件のコミックは有名だが完結済みの古い作品で、余程大きい書店ならともかく、“とまり書房”くらいの規模で全巻揃えている店舗はあまり見ない。少なくとも、私が時折立ち寄る本屋には売っていなかった。
私がそのタイトルを覚えていたのも、「全巻あるなあ」と記憶していたのもそのせいで、単純に「売ってるのが珍しい」作品なのだ。古い作品ならなおのこと、中古で買い求める人の方が多いだろう。
とはいえ、いつ見ても全巻綺麗に揃っているから、てっきり誰も買い手がいなくて棚の一角を占拠してしまっているのだと思っていた。あるいは漫画コーナーの担当をしている方の趣味で、そのタイトルを推してるのかな、とか。
「アレ……売れてたんですか……」
まさか売れていたとは思わず、思わず問い直す。トンダさんは「売れてるのよ、アレ」と深く頷いた。
「不思議よねえ、というかちょっと怖いわよね」
本が売れるのはいい事なんだけど、とトンダさんは締めくくった。言わんとすることを理解して、頷く。
「なんだか妖精の仕業みたいな話ですね」
「そうそう、そうなのよ~! 妖精が買ってるんじゃないかって一時期噂になったわ……」
少なくとも、私がシフトに入っているタイミングで買っていく人は見たことがなかった。
トンダさんの言う通り、本が売れること自体は良いことだと思うのだけれど。毎月全巻仕入れ直しているのは少し奇妙な話に思う。最近の、人気のコミックならともかく。
そうこうしている内に手元のペーパーがなくなってしまって、私は折り終えたブックカバーを揃えてカウンター下に仕舞った。今日はもうそれ以外の作業も殆ど終わってしまって、今は暇な時間である。トンダさんが「軽く掃除をお願いします」とやんわり指示を出した。ただぼうっと立っているだけよりも動いた方が楽なので、私は頷いてはたきを手に取った。
寂れたビルのテナントなくらいだから、“とまり書房”の敷地は小さい。もう少し大きい店舗なら文房具だの知育玩具だのも置けたかも知れないが、ぎゅうぎゅうに本を詰めるので精いっぱいだ。辛うじて、エスカレーター前のスペースに子供が読める絵本コーナーがあるくらい。
レジと反対の位置にある雑誌コーナーから順繰りに、パタパタと埃を落としながら――実はついさっきも掃除をしたので、殆ど形だけだけど――平積みされた本を直したりして、店舗内をぐるりと一周していく。忙しない、ふりをしながら体を動かしている内に、いつの間にか店舗の中にお客さんがいることに気が付いて、私はパッと顔を上げた。私より少し背の低いくらいの女性で、暖かそうなダウンを着ている。音の出る生地のせいか、女性がスタスタと歩く度、生地のこすれるカサカサとした音が響いた。
見かけてしまったので、反射的に「いらっしゃいませ~!」と声を上げる。レジからでは見えにくい位置を移動していたので、トンダさんは気づかなかったに違いない。女性は私の声と、店内を流れるBGMを気に留めないまま、まっすぐと漫画コーナーの一番奥の棚に向かった。
(おや)
その棚に何があるのか、私でも知っていた。丁度さっき話に出た、例の古いコミックが置かれている棚である。
(お、おやおや?!)
そのまま、カサカサと女性の動く音が断続的に響いて、私はそっとそちらの棚に近寄った。防犯の面もあるし、単純に、何の本を取ったのか気になったのだ。まさかとは思ったが。
(ま、まさかだ~~~ぁ!)
よいしょ、と小さく呟きながら、中腰から体を起こした女性の両腕に、件のコミックがどーんと全巻抱えられていた。全十七巻。A5版の本なので、なかなかの重さと高さである。
「あ」
くるり、とこちらを向いた女性とぱっちり視線が合ってしまって、私はカッと顔が熱くなるのを感じた。まじまじ見ていたことに気づかれた気がしたのだ。
「あ、て、手伝います」
居たたまれなさと気まずさと相まって、はたきを近くの作業台において慌てて女性に駆け寄った。十七冊の本を代わりに引き受けて、そのままレジへ。
「あ、ヒガシさん! やっぱり買われに来たんですね~! そろそろだと思ってました!」
レジには当然、トンダさんが。
トンダさんはそろそろと本を置いた私を無視して、レジにやって来た女性に親し気に声をかけた。ヒガシさん、というらしい、女性はにこにこと笑みを浮かべると、「トンダさん、お久しぶりです」と丁寧に頭を下げた。
それでもう、私の頭はクエスチョンマークでいっぱいである。トンダさんはさっとバーコードを読み取ると、慣れた手つきで「カバー無しですよね、いつも通り紙袋でお渡しします」と私をカウンター内へ手招いていた。
「ミツヤマさん、紙袋二重にして詰めて貰えますか?」
言われた通り内側に入りながら、はあ、わかりました、なんて指示されるまま紙袋を広げた。破れないように二重にして、スリップを抜き取った本を丁寧に紙袋の中に詰めていく。
冊数は多いが本は本なので、すぐに詰め終わるしバランスも悪くない。詰め終わった袋をトンダさんが「どうぞ~」とヒガシさんに手渡した。
「次も上手く布教できるといいですね」
「はい! また来月、買いに来れるように頑張ります~! では」
謎の会話を繰り広げ、ヒガシさんはあっという間に店を出て行ってしまった。所要時間十五分足らず。私は思わずトンダさんを見下ろした。
「トンダさん……」
「いやぁ、話題にしたらすぐに妖精さんが来ましたね! ミツヤマさん、今日はツイてますよ!」
トンダさんはにこやかにそんなことを宣って、私はじろりとその続きを促した。睨んだわけではなかったが、トンダさんからすると背の高い私は威圧感があるだろう。ひょい、と肩を竦めて、「ヒガシさん、布教用に推しコミックを買い占めてるんですよね」と笑った。
「か、買い占めですか!?」
それって良くないのでは、なんて。
続けそうになってはたと思い出す。そうはいっても件のコミックは随分古い作品で、恐らくだが、ヒガシさん以外に買う人も殆どいない。
「じわじわ~っと周囲のお友達に布教しているらしくって。興味を示してくれたお友達のお家に、どーん」
「どーん」
「送りつけちゃうらしいですよ。すごい熱量ですよね~!」
からからとトンダさんは笑った。思わず私は唾を飲んで、「布教、なるほど」と理解したのかしていないのか、よくわからないが頷いた。
聞いたことがなくもないが。まさか自分の勤める店舗で、毎々全巻購入しなおして布教し続けている人がいるとは思わなかった。
「え、でもつまりヒガシさんが布教し続けてるから、毎月あの本全巻なくなってるってことですか?」
理解すればそれはそれで恐ろしい話だ。トンダさんはにんまりと笑って、「ウチは有難い話ですけど」と前置いた。
「怖い話ですよねぇ」
布教し続けて、実際絶え間なく買っているということは。
あのコミック、古い古いと思っていたが、実はそんなに古い作品でもないのかもしれない、などと恐々とする。
ついでに私もちょっと読んでみたい気持ちに駆られて、そっと棚の方を盗み見た。
今は全巻ごっそり消えて、棚には穴が空いていた。
棚の穴 佐古間 @sakomakoma
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