ターンイットオーバー

姫路 りしゅう

僕は負けた

 敗北。

 本屋でのバイトを終えた僕の頭の中は、敗北の味で占められていた。


「えっ、どうしたのすずくん、凄い顔して。バイトで何かあったの?」

 その悔しい感情は帰宅後も続き、出迎えてくれた半同棲中の彼女が心配そうに覗き込む。

「さっちゃん……聞いて、聞いてよ。僕の敗北の物語を――」

「なんだか余裕ありそうな語り口だねー。いいよ、おいで。聞いてあげる」

 僕はベッドに座ったさっちゃんの胸に頭を埋めた。


「そもそもこの戦いは2ヶ月くらい前からはじまったんだ」

「あれ、すずくんのバイトって本屋のレジ打ちだよね? 戦い? 誰と? もしかして店長さんとかと?」

 ぶんぶんと首を振ると「胸を頭でぐりぐりしないの」と叩かれる。


「相手は客なんだ」

「ふうん、クレーマーみたいな?」

「ううん、至って普通の男子中学生」

「君は一体何と戦ってるのさ……」


 その男子中学生は週に一、二回のペースで僕のバイト先に来る。恐らく近くの学習塾に通っているのだろう、夜の九時半頃に来ては一般文芸コーナーや文庫本コーナーを散策し、時々本を購入する、今時珍しい本格ミステリ好きの活字ボーイだった。


「今のところいい子だね」

「今のところはね」


 しかし二ヶ月前のある日。

 彼は本屋の中を妙にソワソワした表情で歩き回っていた。それは明らかに挙動不審だった。


 ……万引きか?


 直感でそう思った僕は注意深く彼を観察する。

 すると彼は、キョロキョロしながらもレジに向かってきた。


「ちゃんとお会計はするんだ。いい子だね」

「今のところはね」


 そして彼は、普段買わない、大きめの雑誌をレジのカウンターに置いた。

 僕は雑誌のバーコードを読み取って、袋に詰めるために持ち上げる。


 するとその下から、もう一冊が顔を覗かせた。


 それは明らかに、ライトノベルのレーベルだった。


 だから僕はニヤリと笑って、バーコードを読み取った後、そのライトノベルをひっくり返したんだ。

 ちょっとえっちな表紙がオープンになって、少年の顔が一瞬で赤く染まったよ。


「悪い子はすずくんです!!!!!!!」


 さっちゃんが怒声をあげた。


「恥ずかしかったんだよラノベを買うの! だから隠してたんだよ! バーコードの面を上にしてたのになんでひっくり返すんだよ!」


 ぽかぽかと頭を叩かれる。


「その日から僕と少年の戦いがはじまった。彼にとってはデスゲームみたいなものだったろうね。表紙がえっちなライトノベルを買うことが暴かれるのは、時に死ぬことよりも苦しい」

「本当にやめてあげなよ……」


 ある時は本と本の間にラノベを挟んだサンドイッチ状態で。

 またある時はラノベをカウンターに置かず、裏向きのまま手渡しで。


 その度に僕は表紙をオープンにして、どんなラノベを買っているのか暴いていた。


「誰かーわたしの彼氏最悪ですー絶対やっちゃいけないことやってますー」

 さっちゃんは僕の頭を叩きながら「あれ? でも今日負けたって言ってたよね。負けるって何? その遊び、すずくんに敗北の目はなくない?」と言った。


 そう。

 僕に負けの目はないと、僕も思っていた。


 しかし今日、それは起こった。


 いつも通りソワソワとした表情で少年は大きな週刊誌をレジに持ってきた。

 それを見て僕は「あ〜、先週は四巻を買ってたから今日は五巻だろうな」などと思いながら雑誌のバーコードを読み取り、それを横にズラす。


 しかしそこから現れたのは、だった。


 「なっ」と思った瞬間、カシャリ、とシャッター音が響く。


 そのシャッター音は少年の手元から発せられていた。

 なおも唖然としている僕。

 少年はそんな僕に今しがた撮った間抜け面の男の写った写真を叩きつけるように見せつけ、ニヤリと笑って「ふふん、今日はボクの勝ちだね」と言った。


 少年は流れるようにその写真を削除して、何事もなかったかのように会計を済ませる。


 そこから先の記憶はない。


 これが僕の敗北の物語。


 表紙を返して趣味を暴き続けていた僕が、意趣を返される物語。



「なんというか、それは……まあ…………すずくんが百悪いよ」


 次は――負けない!


「いい感じにまとめるのやめなさい」

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