本物の本を問う本屋と本読みの一本勝負

 烈風吹きすさぶ山頂に這いつくばるように建てられた本屋。引きちがい戸を開けて、中から姿を現したのは白髪総髪に着流し姿の老人であった。


 わたしは叫んだ。

「師匠!」

 何年も会っていないが、その懐かしい面影は忘れるはずがない。本屋から現れたのは誰あろう、わたしが子どもの時分より剣術の手ほどきをしてくれた師匠であった。その姿は老い痩せさらばえたとはいえ、眼光の鋭さにまったく衰えを感じさせない。


「久しいの」

 師匠の張りのある声は強い風に流されることなく、わたしの耳に届く。

「師匠もお元気そうで」

 わたしは思い出していた。彼が教えてくれたのは剣だけではない、読書の楽しみを教えてくれたのも師匠であった。長く厳しい修練の間、なんとなくこの日が来るのを予感していたような覚えさえある。


「読書の道は厳しく果てしない。血と汗にまみれ、険しき山を這い登らねばならぬときがある。そうしてでも本が読みたいか!」

「無論。それゆえここに参上つかまつった」

 わたしは果し合いに臨む剣豪の気分になった。知らず知らず、言葉までも重々しくなる。


「よかろう。ならばこの三冊の中に一冊だけホンモノがある。その本を見わけてみよ」、師匠は後ろ手に隠し持っていた文庫本をわたしに示した。「決して触れるでないぞ。目でホンモノを見わけるのじゃ」

 どれも同じタイトルの小説である。見た目で判別しろということは、外観に違いがあるということか。わたしは近寄って、三冊の本をしげしげと観察した。


 厚さも紙質もいずれも同じ。本に巻いてあるカバーだって新品のようだ、まったく違いがわからない。師匠は何をもって識別せよといっているのだろうか。


 どれも姿形すがたかたちは同じ。いや違う、ほかの二冊は似せてあるだけ、つまり束見本つかみほんなのだ! 束見本とは書籍を仕上げる前の段階で、本の紙質や開き具合、カバーの見ばえなどをチェックするためのサンプル品。中に文字が印刷していないこと以外に違いはない。束見本ならば、開けばすぐにニセモノとわかってしまうから、師匠は触れてはいけないといったのだ。


 ニセモノの正体がわかった。ならば、それをどうやって証明すればいいのだろう。わたしはそこでまた行き詰ってしまった。思い出せ、師匠との鍛錬の日々を……。剣道の道具やら道着どうぎやらを清潔に保つよう指導されたものだ。そう、クリーニング、手がかりはクリーニングだ!


「師匠、ホンモノがわかりました」

 わたしは一冊の本を指さした。

「ふむ。これを選んだ理由は?」、師匠はニヤリとした。正解だからであろう。

「その本の小口こぐちが研磨されているからです。書店から返本された書籍は、クリーニングされてまた流通されることを教えてくださったのは師匠、あなたですよ」

 本は書店に並んでいる間に、ページの指があたる小口が汚れがちだ。その汚れを書籍研磨機で削り落とすことを「本のクリーニング」と呼んでいる。あなたのお手元の本の中にも、小口がギザギザに削れている本があるのではないだろうか。それが研磨された本である。

「そうだったな。本には再販価格維持制度があるから、返品された書籍は中古とならず、そのまま新品として販売することが認められているのだ」

 師匠は弟子の成長を喜ぶかのように満足げに笑った。


「それにしても師匠、質問していいですか?」

 わたしの頭の中は疑問だらけである。

「何だね?」

「どうしてこんなところで本屋を?」

「街の本屋がどんな状況におかれているか知っておろう? 本好きの皆に喜んでいただけるよう手に取りやすい陳列をすれば万引きされ、新刊を取り寄せれば立ち読みで汚される。そのたびにワシの心は痛んだ。ワシはな、ホンモノの本好きとだけ関わりたい。それでわずらわしい接客が不要な山の上に本屋を構えることにしたんだ」

 師匠はしみじみと語った。


「いやだって山の上ではお客さんが来られないでしょう。それでは本末転倒というものでは」

「その点は大丈夫。ネット経由でご注文いただければ、山頂からドローンでひとっ飛び」

「それってAmazonと同じじゃ」、わたしは思わず独り言をつぶやいた。

「何かいったかね?」

「いやなんでもないです。下種な考えで申し訳ないんですが、収益とかそのへんは……」


「その点は心配ない。ワシな、戦国大名の隠し財宝を掘り当てたんだよ。だから採算度外視」

 師匠は店の中から豪華な金の前立てがついた兜を引っ張り出してきて頭にかぶった。

「師匠。いいたくないですが、ちょっとばかり偏愛が過ぎるのでは?」

「本を愛する者の意地だ。意地のかけらがそうさせるんじゃ」

 兜をかぶった師匠は軍配を振り上げて、カカと笑った。


 好きな本に囲まれて生きていく師匠は幸せなのかも知れない。そうわたしは少しばかりうらやましい気持ちになった。

 師匠の本屋で文庫本を一冊選ぶと、書店独自のブックカバーをつけてもらう。これで初期の目的は果たした。


 師匠に別れを告げ、わたしは足取り軽く山を下りてゆく。

 今回の旅もたいへん有意義であった。


おしまい

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本屋へ行きたい! 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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