本屋はトイレにあらず

 探しても見つからないレアな本屋とちがって、スポーツショップはすぐに見つかった。

 ヒマそうに突っ立っていた茶髪の若い店員に登山用具がほしい旨、手短に伝える。すると、ほおに赤いニキビをプツプツと残した若者は「すべてわかってます」といいたげな顔でニヤニヤした。なんだろうこの一方的に同類認定に巻き込まれた感じ。ちょっと納得がいかない。

 わたしの不満をよそに、品のない笑いを浮かべたまま店員は、次々と登山用具を並べてみせた。ピッケル、ザイル、ハーケン、巨大なザック……想像以上に本格的な装備がそろえられた。


「こんなものが必要なんですか」

 わたしは初めて目にした本物のピッケルを手に取って、しげしげと観察した。

「だって財宝狙いでしょ?」、店員は思いもつかなかったことをいう。

「財宝? 違いますけど、何ですかそれ?」

 スポーツショップ店員が教えてくれた。わたしが登頂をめざしている本屋の山には戦国大名の莫大な財宝が眠っているのだそうだ。それは根拠の薄い都市伝説としか思えないのだが、ウワサを信じた者が次々と挑んでは敗れ去っていくという。


「じゃあ、いったい山に何の用が?」

 キョトンとした顔で店員が問う。

 おかしな若者である。普通に考えれば「登りたいから山に登る」、それ以外に特別な理由があるのだろうか?


 しかし、わたしにはあった。

――特別な理由が。


「本屋に行くんです」

 山頂にあるという本屋を目指し、果敢に登頂に挑む。わたしは誇らしさに胸を張った。

「ああなるほど、トイレですね。トイレなら、その角を曲がった公園に」

 店員は通りの向こうを指さす。わたしは自分のドヤ顔をこともなげに受け流されて、拍子抜けした。これ見よがしに印籠を取り出したのに軽く無視された水戸黄門の気分である。わたしの言葉が伝わってないのだろうか。

「いやいやトイレじゃなくて。本を買いに行きたいんです」

「へぇー本屋で本を? めずらしい人ですね、あなた」

「全然めずらしくないでしょうに!」

 わたしはちょっとイラっとした。すべてアイツのせいだ。


 日本に『青木まりこ』という無名の者がいる。同名のフォークシンガーがいるが、その人ではない。『青木まりこ現象』のきっかけとなった雑誌への一投稿によって、世の中の本屋という本屋をすべてトイレに変えてしまった張本人だ。いや正確には少し違うらしいのだが、まあ大勢たいせいに影響はないと思う。とにかく本屋と聞くと反射的に便意をもよおす人が多いそうだ。この店員もそのタイプであろう。


 事実、本屋をテーマに小説を書かせるとかならず何割かの人はトイレにからめた話を書くという。きっといま大きくうなずいた方がいらっしゃる。なんとなく、そんな予感がした。


 ◇


 旅の記念に本を買うこと。

 ささやかなわたしの趣味が、これほど大がかりな事態に発展するとは思ってもみなかった。慣れない登山ウェアに身を包み、わたしは本屋があるという山の登り口にやってきた。

 はるか高みを見上げると、山頂を覆い隠すかのように黒々とした雷雲が渦を巻いている。さすがは聞きしに勝る魔の山。行く手をはばむ障壁は高く、また厚い。

 登山家がすべからく山のいただきをめざすように、読書家もまた本が重く厚いほど読破に向けた闘志が炎のごとく燃え上がるというものだ。


 いざ登山道を登り始めると、予想していたとおり曲がりくねった山道は急で険しい。さらには、ときおり薮の中から手負いの熊やイノシシが襲いかかってきた。わたしは凶暴な野生動物たちをピッケルを用いて、右へ左へ自在になぎはらってゆく。読書や旅が趣味とはいえ、わたしにも少なからず武道の心得があった。ありていに言ってしまえば剣道だ。長年磨いてきた剣の技が読書のための登山で活きるとは。まさにいまこの瞬間、文武両道を実践しているではないか。人生ってなかなか面白い。


 苦難の登山を続けること三時間。

 わたしはついに山頂に立った。


 駅前でお婆さんが教えてくれたとおり、山の頂には一軒の本屋が店を構えていた。山岳特有の強い風が吹き荒れるなか、本屋がたたずんでいることの違和感。灯りのともった看板が風にあおられ、ひっきりなしにギシギシと嫌な音を立てていなければ、これが現実であるとはとうてい思えない。


 荒ぶる自然の中に書店が存在している違和感は、さらに高まった。

 本屋の中から店長が姿をあらわしたからだ。


「まさか……」

 わたしは自分の眼を疑った。

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