だから世界に二人きりでも、僕と彼女は他人のまま。

稲荷竜

第1話

 本屋を作りたいと君が言った。


 だから僕はいつものように君の考えを否定する。


「君は本屋というものについて、何か少しでも知識があるのかな? おおかた『本をたくさん並べておけば、それでいい』とでも思っているんじゃあないか? そんな甘い考えでまたガラクタを集めて、派手に模様替えをして、そして途中で飽きてやめてしまうんだ。僕には君が『飽きた!』と言いながら並べている最中の本を投げ捨てる光景まではっきり見えてしまったよ」


「あははははは! 相変わらずクソうっせー! ねぇアンタ、人の夢をけなす以外の趣味はないの!?」


「人の夢をけなす趣味はないよ。君の思いつきに付き合わされる徒労を避けたいと思っているだけだ」


「いいからやろう! どうせ暇なんだし!」


 そう言われるとこちらとしてもため息をつくしかなくなってしまう。

 確かに僕らは暇だった。暴力的なまでに青々とした緑が芽吹く季節の中、誰もいない片田舎に僕らの無聊を慰められるものは何も存在しない。


 読んでいた本はとっくにページの端が擦り切れてしまっているし、そもそも僕はこの本に書いてある言葉を読むことができない。

 きっとここに懸命に文字を記した昔の人から見れば、本屋というものが何かも知らないのに『本屋をやろう!』などとうそぶく彼女も、読めもしない本を広げてただじっと図面でも見るかのようににらみつけている僕も、等しく『書物を冒涜する暇人』にすぎないのだろう。


「まあ、どうせ暇だし、いいか」


 僕は君を否定する。

 君は僕の否定を否定する。

 最後にはけっきょく僕が折れて、僕たちは君の思いつきで暇つぶしをする。


 幾度も踏襲された流れ。

 僕だって本気で否定したいわけじゃあない。でも、否定しないではいられない。

 彼女だって本気でやりたいわけじゃないかもしれない。でも、何もしないには僕らは暇すぎた。


 ようするに、結末の決まった流れの中でロールをこなしているだけの会話。


「誰か来るかもしんないよね!」


「きっと誰も来ないと思うよ」


「わかんないじゃん!」


「わかりきっているよ」


 ……その中で、僕はロールプレイというわけではなく、この言葉だけは断固とした気持ちで告げた。



 僕らはさして会話もないクラスメイトで、ともに異世界に飛ばされた。


 そうしたら、飛ばされた先の世界はとっくに滅んでいた。


 つまり僕らは静まり返った牢獄で余生を過ごしている。

 ……蝉ではない虫が鳴き、太陽かどうかもわからない天体が地面を焦がす中、まったく文化体系の違う言語が記された本を持って、椅子かどうかもわからないものから立ち上がる。


 僕と彼女のごっこ遊びは、今日もこうして始まった。



 僕らはこの世界について何も知らないけれど、この世界に本があることだけは知っている。


 僕らの飛ばされた場所は崩れかけた家屋らしきもので、そこには大量の、僕らが見て『本』だとわかるものが並べられていた。


 それは僕らが今作ろうとしている本屋だったのかもしれないし、蔵書量の多い個人の邸宅だったのかもしれない。

 何もかもがわからない。


 ロールプレイだ。


 もちろん予想はできるし、『これはこういうものだ』と自分たちの常識に当てはめて決めつけることもできる。

 彼女はいちいち『かもしれない』なんてつけたりせずに『これは、これ!』と断言するし、僕もそれを強く否定するほどの気持ちはない。


 でも、僕は決めつけない。

 彼女が決めつけるなら、僕は決めつけない。


 僕らは帯同しては歩いて行けない。いっしょに同じ行き先を目指してしまっては暇すぎて死んでしまう。


 僕らは死ぬまで『二人』でいようと誓った。

 だから彼女は肯定し、僕は否定する。


「こうして本を棚に並べていく過程は虚しいものだね。僕らのやることなすこと全部が全部徒労だ。こうして汗をかいている時間は本当に無駄だと思うよ」


「店を綺麗にして飾り付けとかしたら、誰かがあたしらを見つけてくれるかもしんないじゃん! それにいいでしょ、汗ぐらい! 飲み水も食べ物も、シャワーだってあるんだから!」


 僕らはそういった能力を持っていた。


『自室』と呼ぶしかない空間に自在に入ることができて、そこには電気もあって水道もあって、食べ物だって念じながら冷蔵庫を開ければ出てくる。


 僕たちは不自由なく生きていける。

 だから僕たちは思い切ることができない。


 たとえばサバイバルをしなければ生きていけない状況だったら。あるいは恐ろしい魔獣と戦わねばならない場所だったら。

 僕らはきっと『死』を選べただろう。


 でも、死ねない。

 生きるのに不自由がないから、死ぬほどのふんぎりがつかない。


 穏やかな一生は過ごせそうだった。暮らすのに困ることはぜんぜんなかった。


 何も、なかった。


 楽しくなかった。


 でも、楽しくないだけだった。


 だから僕らは楽しいことを探す。いつか歳を重ねるとか、僕らがメカニズムもわからずに使い続けている『自室』が急に使えなくなるとか、おそろしい魔獣に僕らの居場所が嗅ぎつけられてしまうとか、そういうことがない限り、僕らはずるずる生きていくのだろう。


 あるいは、彼女がいなければ。

 僕はきっと、死ぬのだろう。


 この何もない世界に来た当初、僕らは恋人でもなければ友達でさえなかった。

 今もそうだ。


 でも、お互いに生きていく上で重要な伴侶ではあった。

 ……いや、どうだろう。案外、僕がいなくても、彼女は明るくケラケラ笑って、一人で楽しく生きていくのかもしれない。


 僕がネガティブなのはロールプレイだけというわけではなかった。

 だから彼女は誓ったのだろう。



『健やかなる時も、病める時も。


 死が二人をわかつまで。


 私たちは、他人のまま、隣り合っていよう』



 僕らは『一つ』になるのをおそれた。

 その延長線上に、否定する僕と、肯定する君がいる。



 汗みずくになりながら、民家らしきものの跡地に、本を並べていく。

 棚は壊れ果てていた。この地域を『何か』が襲って、家屋だのなんだの……『文明』と呼ぶべきものを一切合切壊してしまったらしい。


 でも僕らは瓦礫から過去を偲ぶことができた。


 きっとこの世界には僕らに近い大きさの生き物がいて、その生き物たちは僕らの文明圏でも『家』だってわかりそうな建造物を建てていて……


 そして、書物に、いろんなものを記したのだろう。


 知識とか経験とか、教訓とか願いとか、決まりとか……

 想像、とか。


「これじゃあ『本屋』っていうより、フリーマーケットだ」


 満足な棚も建物もなくって、僕らはけっきょく布の上に書物を並べた。

 いつごろから放置されているのかもわからない書物たちは、表紙があって、背表紙があって、裏表紙があって、その間にたくさんの文字が挟まれていた。


 活版印刷でもあったのだろうか。製紙技術はかなりのものだったのだろう。他のものは『現代的』とまではいかないまでもかなりレトロな感じではあるけれど、本だけは僕らの知る『現代』をはるかに超えた情熱や技術が込められているように感じられた。

 ……あるいは、それこそが『レトロ』と言うべき最たる要素なのかもしれないけれど。


「ねぇ、買ってよ」


「やだよ。なんで僕が」


「せっかくお店を開いたのに、誰にも買ってもらえないんじゃあ寂しいでしょ」


「商売っていうのはそういうリスクが常に伴うものだよ」


「買ってくれないと」


「くれないと?」


「……殴る」


 極めて暴力的な押し売りを予告されて、僕は降参することにした。

 本当に殴ったりはしない。僕らの会話はいつでも落とし所を求めるものだった。僕は役割に沿って否定するし、彼女は肯定し推し進めるけれど、決裂だけはなく落着する流れが求められているのだ。


 ……ふと、思う時がある。


 それはきちんと『二人』なのか?


 僕らはロールプレイをしている。それは僕らが他人であるために必要なことだ。

 でも、時々、これが『ロールプレイ』にしかすぎないことを思い出してしまう。僕らはとっくに『一つ』で、もはや『二人』として条件を満たせていないのではないか━━


「……でも、購入しようにも対価がないよ」


 おそろしい考えにいたりそうな気配が、僕をまたちょっとだけあがかせた。


『対価がない』という純然たる事実には、さすがの彼女も押し黙ってしまった。

 でも、彼女は五秒以上黙ることがない。

『自室』ではどうか知らないけれど、僕の前では、そうだ。


「じゃあ、そっちもあたしに本を売ってよ」


「そこに並んでるんだから好きに持って行けばいいじゃないか」


「それじゃあお店じゃないでしょ!」


 彼女の声が一オクターブ上がるのが、やりとりを本当に終了する合図だ。


 僕は彼女に本を売った。


 彼女も僕に本を売った。


 商売の原則である等価交換はこうして果たされ、僕らは互いに獲得した戦利品を、待ちきれないようにその場で開いた。


 読めない文字がびっしりと並んでいる。


 僕らはつい、顔を上げて互いを見て、笑った。


 何もない、暑い夕暮れが過ぎていく。それが夕暮れかどうかも、僕にはわからないのだけれど。



「わかりました。これもう完璧にわかりました。あたしたちは根本的に間違えていたのです」


「君はいつも根本的に間違えてる」


「書店に読めない本ばっかり置いてても商売になるわけない!」


「半日早く気付いて欲しかったな」


「なので、読める本を書くのよ!」


「面倒くさい」


「どうせ暇でしょ!」


「まあ、暇だけど」


「じゃあ、やるから」


「インクと白紙がない。できればノートパソコンがほしい」


「あるかもしれないでしょ!」


「ないと思うよ」


「じゃあ、探しに行きましょう!」


 彼女の言葉に、ちょっとだけためらってから、こうたずねる。


「……この場所はもういいのかな?」


「次の場所に行くわよ! だってもう、このへんで遊べるところないんだし!」


「一ヶ月前に気付いて欲しかったな」


「いざ、ノートパソコンを求めて!」


「絶対にないよ」


「あるから!」


「なかったら?」


「なかった時に考える!」


 彼女は笑った。

 僕はため息をついた。


 そうして僕らは旅立つことに決めた。


 僕らは楽しいことを探し続けている。

 僕らは互いを他人だと思っている。

 僕らにはいっしょに過ごす義務はない。

 でも、僕らはこの世界に来てからずっと、いっしょにいる。


 他人といっしょに居続ける理由なんて、『楽しいから』以外にない。


 飛ばされた異世界は滅びていた。

 王国もなければ魔獣もいない。ただ息詰まるほどの静寂だけがあった。


 僕は静寂が嫌いらしい。

 だから彼女とともに行く。


 僕が否定し、彼女が肯定する。

 虚無の中にがんばって騒ぎを起こす僕らの異世界生活は、今のところ、まだまだ続きそうだった。

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だから世界に二人きりでも、僕と彼女は他人のまま。 稲荷竜 @Ryu_Inari

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