ハミングバード

ハヤシダノリカズ

ハミングバード

 ――今日は、少しだけ、贅沢な時間を過ごそう――

 そう思い立って、オレは仕事帰りにいつもの書店に立ち寄った。ビジネス街と飲み屋街の丁度中間にある大型書店【暫慈榛ザンジバル】だ。一秒を争うように帰宅しようと、見知らぬ他人とくたびれたジャケット同士をくっつけあって電車に乗るのも、聞きたくもない同僚の愚痴を肴に安い居酒屋で酒を飲むのも、オレにとっちゃ貧しい時間だ。書店という情報のジャングルに立ち寄って、オレにとって新しい刺激的なナニカと出会う……これほどの贅沢があるだろうか。


 知らないナニカと出会う、それを人は発見というのだ。オレにとっての当たり前が、誰かにとっては未知のモノである事がある。そして、その逆の、誰かにとっての当たり前が、オレにとっての刺激的な快感である事がある。前者と比べるまでもなく、後者は膨大だ。そんな未知と出会える贅沢な時間、それが書店だとオレは思っている。


 暫慈榛ザンジバルの重いガラス戸を押し開けて中に入ると、いつものように近くの電線にとまっていたトリが羽ばたいてやってきて、オレの耳元でハチドリのようにホバリングしながら「いらっしゃいませ。肩に乗せてもらってもよろしいですか?」と聞いてきた。オレが「あぁ。いいよ。とまりなよ」と言うと、その、でっぷりと太ったフォルムの小さな鳥型とりがたドローンはオレの右肩にちょこんと乗った。ブサイクに太った鳥の造形のドローンだが、ほとんど重さは感じない。ドローンを重くするのはいつだってバッテリーだが、店内の本棚の上部に張り巡らされた電線は彼らの待機所であり、充電場所でもあるのだ。常にフル充電で待機している彼らが内蔵しているバッテリーはかなり軽い。


「認証はいかがなさいますか?」と、肩のトリが聞いてきた。「あぁ。頼む」とオレは答え、続いて自分のIDを口にする。すると「改めまして、いらっしゃいませ、ゾムホム様。ワタクシ、トリの設定は前回のままでよろしいですか?」と、随分前にテキトーに作ってしまったオレの暫慈榛での認証アカウントネームを言って、最終設定の確認をとってきた。「あぁ。そうだな。前回のままでいい」とオレが応えると、トリは「それでは今日もこの【スケピヨ】がお客様のお好みのご本に案内するピヨ」と言った。


 KADOKAWAが開発し、現在のところ実験的に運用されているこの【トリ】という情報端末は、『読書体験というのは画面の中のテキストだけではないのです。手に取った紙の感触と、ページをめくるその肉感的な感動も読書体験なのですよ。それをどうか忘れないで。思い出して。体験して』という思いの下に開発されたらしい。

 書店という本の森の中で漂うように歩くのは楽しい事だ。でも、一度インターネット上のブックショップの便利さに慣れた人間は書籍の背表紙で埋め尽くされた書店の壁に圧迫感を覚え、知らない本との出会いを自らの歩みのままに果たす事が出来なくなる。

 そこで、生まれたのがこのトリ――本のコンシェルジュAI端末――だ。本屋の天井付近に縦横に張り巡らされた電線の至る所にトリはとまっていて、入店時に案内を買って出てくれるし、必要なくなったタイミングで外れてくれるし、また、随時必要に応じて、トリに来て欲しいそぶりをするだけで近寄って来てくれる。人間の店員を呼ぶには気が引けるような場合でも、天井を見上げれば山盛りとまっているトリの中の一羽を呼ぶのに抵抗は覚えない。便利なものだ。


「今日はゾムホム様に紹介したいとっておきの一冊があるピヨ」

「ほう。それは楽しみだ」オレは肩のトリと話す。物理的な意味での、このトリの個体が前回と同じかどうかは分からないが、執事モードでもなく、メイドモードでもなく、ピヨピヨモードを選択し、オレがスケピヨと名付けたコンシェルジュAIはオレの好みを良く知っている。普段のオレが使っているPCやスマートフォン上の検索機能の利用履歴や、普段訪れているSNSの情報も連動させているものだから、オレの興味の方向性を、スケピヨは誰よりも知っている。おそらくはオレが対外的に隠している性癖すらも知っている。良き本との出会いの為には必要な事だし、コイツ等がそういった情報を第三者に漏らす事はないと規約にもあった。だから、オレは割と安心して、スケピヨと付き合っている。


「こっちピヨ」そう言って、スケピヨは肩から飛び立ち、オレの前方に浮かぶ。そして、ゆっくりとオレの歩くスピードに合わせて、今日の一冊に向かって案内してくれる。「うむ。ご苦労」小さな声でオレは言う。周りの人には聞こえない程度の声量で。


 本棚で出来た森の中を一羽の(太っちょ)ハチドリに先導されて歩く。優雅な時間だ。時折、目に止まった本の前に立ち止まってはパラパラとページをめくる。そんな時、スケピヨは上の電線にとまりに上がる。だが、オレの行動は把握してくれていて、後で「さっきパラパラと見たあの本、なんて言ったかな。どこの棚にあったっけ?」なんて聞いたりしても、間違いなく答えてくれる。有能な執事だ。


「ゾムホム様、こっちピヨ」オレから大きく離れないで先導してくれるスケピヨのスピーカーは指向性が高いらしく、オレ以外の客には聞こえにくいものなのだそうな。確かに他の客が連れているトリの声はほとんど気にならない。ゾムホムというアカウントネームの由来を説明しなくてはならないなんて事もこの先ないだろう。スケピヨが発する声はオレ以外には聞こえにくい。初回にテキトーに名乗り過ぎた結果がゾムホムで、由来を聞かれても答えようがない。だから、聞かれたら困る。ありきたりな日本人の名前のオレがなぜゾムホムなのか。それはオレにもよく分からない。


 スケピヨに誘われるままに到達したそこは、この書店内のメインストリートから随分離れたハズレにあるどマイナーな特設ブースといったところか。【気鋭の短編作家コーナー】と手作りの素朴な看板が掲げてある。平積みの本も、背表紙だけを見せている本にも、知らない名前ばかりだ。知名度の低い作家にフォーカスした特集コーナーは、なるほど、森の深部でなけりゃ出来やしないだろう。オレは、平積みしてある一冊を手に取る。作者の名は【黒岩アラレ】知らない名前だ。パラパラと読み進める。改行が多く、読みやすい。詩的なようであり、哲学も感じさせてくれる。面白い。この短編集をひとつ買ってみよう。

「その本もオススメピヨ。でも、今日ゾムホム様にオススメしようと思っていたのはそれじゃないピヨ」オレが手にした一冊のその持ち方に、購入の意思を見て取ったのか、スケピヨはそう言った。

「そうか、それじゃあ、そのオススメの一冊というのはどれだ?」とオレは聞く。するとスケピヨは羽ばたいて、平積みになっている本の上に降り立った。そして、その本の上にはスケピヨと、もう一羽の、トリ。オレは「スケピヨ?」と小さく呟いて、もう一羽を見、そこから目線を上げる。そこにはオレより少し若いくらいだろうか、一人の女性が立っている。驚いたような顔をして、オレと目線を合わせている一人のカワイイ女。

「もしかして、あなたもトリにスケピヨって名前を付けているんですか?」女はオレにおずおずとそう言った。

「あなたも、って事は……」オレは目の前の女のトリもスケピヨなのかと、次の言葉を探してる。


 推理小説、ゴムマスク、湖から足を出している死体……。スケピヨの名前の由来ならいくらでも。ゾムホムについては触れないで頂きたいが。


 そう言えば、トリには国策も絡んでいるという噂を聞いた事がある。少子化対策の一環として、男女の出会いを演出する機能がトリには実装されているとかいないとか。


 二羽のトリが乗っているその平積みの本のタイトルはハミングバード。なのに、表紙には大きくピザが描かれている。おそらくは、この本も短編集で、中にはピザを扱った作品もあるのだろう。


「えーっと、こんなところでナンパというのもアレですけども。スケピ……、ん、ん。トリのオススメのコイツを買って、そのあと、どうでしょう。一緒にピザでも食べに行きません?」オレは彼女に言った。ナンパなんてした事ないのに。とても自然な態度でオレは言っていた。オレの全てを知っているスケピヨと、彼女の全てを知っている向こうのスケピヨが引き合わせたのがこの縁ならば、上手くいかないハズがない。そんな確信をどこかでオレは持っていたのかも知れない。


 二羽のスケピヨは同時に羽ばたいて、そして、同時にオレと彼女の肩に乗る。オレはそのピザの絵が描かれたハミングバードというタイトルの本を二冊手に取り、一冊を彼女に手渡す。


 彼女はニコリと微笑んで、「ええ。喜んで」と言った。


 彼女の肩に乗った向こうのスケピヨが彼女にだけ聞こえる指向性のその声で何かを言ったのか。それはオレには分からない。

 だけど、俺の肩のスケピヨは小さな声でオレに「グッドラック、ピヨ」と言った。

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