猫の本屋さん

にゃべ♪

黒猫さんの後をついていくと

 その日はとても暖かく、とても良い散歩日和だった。寒かった2月が過ぎ、3月に入ってすぐの木曜日。僕は日課の散歩をいつもと違うルートで歩く事に決める。何故そうしたかと言えば、気分としか答えようがない。

 とても気持ちのいい陽気の日なので、新規ルートを歩きたくなったんだ。


 そう、普段の僕はずっと同じコースを飽きもせずに歩いていた。その方が楽だったし、歩行時間や歩数などが色々とちょうど良かったから。

 でも、道は他にもたくさんあるし、違う道も歩いてみたいなと常々思っていた。だから、今日は記念すべき新規ルート開拓の日になった。


「うーん、気持ちいい~」


 澄み切った青空に向かって背伸びをする。空が高いのは秋だけど、春だって決して負けてはいない。この日の空は特にそう感じられた。十分に息を吸い込んだ後は、その反動で吐き出しながら地面の方に視線を下ろす。

 その時、僕の視界に黒くて可愛らしい生き物の姿が飛び込んできた。黒猫だ。


「お~、おいでおいで~」


 しゃがみ込んだ僕の存在に気付いた猫はぐんぐんと近付いてくる。指先の匂いを嗅ぎ、後少しで触れそうな所まで来たところで猫はくるりと反転。そのままスタスタと歩き始める。

 また振られたと思った僕がその後姿を眺めていると、猫は途中で止まり、僕の方を振り返る。まるで早く来いと急かすように。


「おおっ?」


 この猫の行動はあの集会に呼んでいるってやつかも知れない。そう感じた僕は猫の後をついていく事にした。その先はさすが猫ルートらしく、狭い路地裏だったり草むらだったりの、人間にとってはかなり難度の高いもの。通りにくくて遅れてしまっても、その都度猫は待ってくれる。それが嬉しくて、キツい道のりも全然嫌にはならなかった。その先で集会が待っていると思うと。期待だけが膨らんでいく。

 やがて突然視界が開け、目的地らしい場所に着いた。そこにあったのは集会が開かれているであろう広場ではなく、どこか懐かしい雰囲気を感じるお店だった。


「本屋……さん?」


 そこにあったのはメルヘンな外観の建物で、一見するとファンシーショップか喫茶店のように見える。だけど、窓などから内装を見るとしっかり本屋さんだった。看板には『ねこや本屋』と書かれている。

 黒猫は本屋さんの前で、僕が扉を開けるのを大人しく待っていた。本当は入れたらダメなんだろうけど、流れで僕はその扉を開ける。すると、当然のように猫は店内に入っていき、僕もすぐに後を追った。


「うわぁ……」


 確かにそこは本しか並んでいない。昔ながらの本屋さんだ。今だったら、お菓子とか文房具とかも一緒に売られていたりするものなのに。僕は猫を入れてしまった事を報告しようと店員さんを探す。けれど、この本屋さんには人の気配が感じられない。お客さんもそうだけど、店員さんすら見当たらない。

 流石に無人ではないはずと、一番人がいそうなレジ前に行く。そこにも人はいなかった。代わりにいたのが――。


『いらっしゃいませ』

「えっ?」


 この本屋さんの店番をしていたのは白黒ハチワレの猫。看板猫と言っていいのだろうか? ちょこんとお行儀よく座って、しっかりと店内を見守っている。

 それにしても、猫が喋ったと言うのはすぐには信じられなかった。あまりにもファンタジーだったからだ。


『ねこや本屋にようこそ。どうぞ好きに見ていってくださいね』

「えっ……はい……」


 喋っているのに口は動いていない。どうやら店番猫はテレパシーを使っているようだ。脳に直接ってのを初めて体験して、僕は戸惑う。こんな本屋さんが存在していたなんて。

 試しに僕も念で質問してみたものの、こちからからは通じないみたいだった。


 不思議な猫が店番をする本屋さんと言う事で、僕の中に興味がむくむくと湧いてきた。一体どんな本を置いてあるんだろう。立ち読みを嫌う本屋さんが多い中、好きに見ていっていいと言うのは有り難い。

 僕は適当に並べられている本を眺めてみる。すると、どの本も初めて見るものばかりで、しかも全ての本に特徴があった。


「文字がない本ばかりだ……」


 そう、みんな写真集かイラスト集なのだ。しかも、猫の写真集やら魚の絵やらと、どれも猫関係のものばかり。僕はそこでこの本屋の名前に納得する。

 しかも普通の猫写真集ばかりでなく、月面で高くそびえる塔を背景に魔法を使う猫の写真が表紙の本とかもあった。これってCGなのかな? それとも?


『気に入った本はありましたか?』

「うわっ!」


 気配なく声をかけられて、僕は思わず声を上げてしまう。いつの間にか店番猫さんが隣りにいたのだ。声の正体が分かって落ち着いた僕は、素直な感想を口にする。


「どれも素晴らしいですね」

『ゆっくり見てくださいね』


 店番猫さんはまたレジ前に戻っていく。そして僕は、目の前に並べている本に次々に手を伸ばした。どの本にも文字がないのでサクサクと読み続けられる。

 この頃には、ここに案内してくれた黒猫の事をすっかり忘れてしまっていた。


「ん?」


 手当たり次第に読んでいたところ、ある本が目に留まる。それは何も描かれていない真っ白な表紙の本。ページを開いた瞬間、僕の中に不思議な記憶が蘇る。


 気がつくと、古代ローマみたいな建物が並ぶ高度な文明の都市の中に僕はいた。空には見た事もない乗り物が飛び交い、人々はみな優しい顔で平和を謳歌している。見た事がない光景のはずなのにどこか懐かしかった。

 その世界の中では、僕もこの街の人々と同じ格好をしていた。どうやら異世界転生とかではないようだ。まるで昔の経験を追体験しているような――。


「にゃあ」

「えっ?」


 突然の事態に戸惑っている僕の前に、あの黒猫がすり寄ってくる。その瞬間に色々と思い出した僕は、彼女を持ち上げた。


「じゃあ、仕事に行こうか」


 そう、僕はこの世界でこの猫『イオ』と一緒に様々な事件を解決する、探偵と言うか何でも屋のような事をしていたのだ。イオとは言葉は交わせないものの、色々と以心伝心で通じ合っていていいコンビだった。

 人探しをしたり、迷宮入りの事件を解決したり、失せ物を探したり、僕らの仕事は多岐に渡った。時には他の国とのトラブルを仲介したりなんかもした。


 ある日、この国の根幹を司る自然制御システムが暴走する。たまたま仕事で現場に居合わせていた僕らはすぐに管理室に向かった。しかし、室内には誰もいない。どうやら手の施しようがない事が分かって、関係者は全員逃げ出してしまったようだ。


「おいおいおいおい、どうすりゃいいんだよこれ……」


 絶望的な状況を前に、僕は頭を抱える。このままだとシステムは制御を失い、下手をしたら大地震が発生して多くの建物は崩れ、大勢の人々が被害を受けてしまう事だろう。

 この事態を把握した権力者達は我先にと国外に脱出している。何も知らないのは庶民ばかりだ。きっとこうなる事を事前に知っていたのだろう。


「ええと、これを止めるには……。ダメだ、どうしていいか分からん」


 何もかもが異常な数値で、どうすればこの暴走を抑え込めるのか全く分からない。そりゃそうだろう、何とか出来るなら誰も逃げ出したりなんかしない。それでも僕は、何か出来る事があるはずと制御パネルを操作し続ける。

 そんな混乱の最中、イオが制御盤に飛び乗った。そして、素早く操作を始めて隠しコマンドを起動させる。その鮮やかな操作テクニックに圧倒されていると、突然座っていた椅子が勝手に動いて、僕は塔から脱出させられてしまった。


「えっ?」


 弾き出された僕は無事に着地。けれど、塔を見上げた瞬間に僕は絶望する。突然目の前で崩れ始めたからだ。超高層ビルのような大きさの塔は、爆発するビル解体のようにあっと言う間に瓦礫の山と化してしまった。


「嘘だ……こんなの……」


 僕はすぐにイオを探しに瓦礫の中に突っ込で行く。そこで僕は洪水に巻き込まれてしまった。彼女の行為は全くの無駄に終わってしまったのだ。いや、最悪の事態は避けられたのかも知れない。その後、あの国がどうなったのかは分からない。


「うわあああ!」


 耐えられない悲劇に僕は大声を上げて起き上がる。すると、そこは僕の部屋だった。さっきまで本屋にいたはずなのに。辺りを確認すると、あの真っ白な表紙の本があった。どうやら読みながら眠ってしまっていたらしい。

 そして、その本の側には丸くなって眠る黒猫がいた。とても懐かしい、ずっと探していたあの相棒が。


「そっか、また出会えたんだな……」


 今、僕はその本とイオと一緒に暮らしている。本には値段の表記がなく、買って帰ったのか、勝手に持ち去ってしまったのかすら記憶にない。すぐに真相を確かめようと出かけたものの、あの本屋さんには二度と辿り着けなかったのだった。

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