第34話『真龍、グリエに屈服する』

 タルティーヌ辺境伯領の冬至の祭――。

 少女姿の真龍アングレーズは不満げな顔つきで屋台をめぐっていた。

 グリエの料理ができるまでの時間つぶしに他の屋台を訪れていたが、出て来る品がことごとくアングレーズの口に合わなかったのだ。

 彼女は串に刺さった肉を噛みしめ、ため息をつく。


「さっきは肉がパサパサ。これは脂がギトギト。まったく肉の扱いが分かっておらぬなぁ」


 そして次に別の店から強奪した焼き鳥を口にした途端、ペッと吐き出した。


「ぬぁっ!? なんじゃ、しょっぱすぎる! ……肉そのものの味わい深さが分からぬどころか、余計な味付けをしおって……。これなら生肉の方が万倍も旨いわい」


 実際のところ、アングレーズが食べた肉は特別に不味いわけではない。

 もちろん村人の料理の味付けが雑なのは事実だが、祭で出される品は酒のつまみになるように濃いめの味付けをされていた。

 そんな濃い味付けが野山で暮らしていた竜の口に合わなかったのも、仕方ないと言える。


 しかしそんなことを想像もしないアングレーズは悪態をつくばかり。

 竜を恐れる村人ににらみを利かせながら、祭の会場を我が物顔で歩いていた。



 ――その時。

「こら。ちょっと目を離したすきにみんなに迷惑かけてるんじゃないぞ」


 アングレーズの背後に現れたのはグリエだった。

 彼は「うちの竜がすみません」とタダ食いした分のお金を代わりに支払い、自分の屋台にアングレーズを引きずっていく。


「なんじゃなんじゃ。ニンゲンは我に貢いで当然なのじゃ~」

「やれやれ、こりゃあしつけるのが大変だぜ。アングレーズは俺のところから動くなよ」

「準備が長いのが悪いのじゃ~!」


 ジタバタするアングレーズ。

 しかし、ふと鼻をヒクヒクと動かし始めた。


「……この匂い、他とは少し違うのぉ」

「お、分かるか」

「ふん、肉を焼けばいい匂いがするものじゃ。我も炎であぶるからそのぐらいわかる。肝心なのは味じゃ味! その点でニンゲンどもの料理は最悪じゃ」

「……まあ批評は食べてからにしてくれよ」




 そしてたどり着いたグリエの屋台。

 店主の登場に、開店を待ちわびていた村人たちが沸き上がった。


「宮廷料理人の品を頂けるなんて夢みたいですよ!」

「うぅ~さっきからよだれが止まらないんです。ステーキ2皿下さい!」

「こっちは煮込みを4人前下さい!」


 行列に並ぶ人々がお金を握りしめて声を上げる。

 グリエは焼きあがった肉を順番に皿に盛り付け、楽しそうにお客に料理を手渡していった。


「なんじゃグリエ。……貴様、やけに人気じゃのう」

「まぁこれでも人間の世界では名が知られててな。……ほれアングレーズ。お前用の肉が焼けたぜ」


 そう言って皿に盛りつけたのはロック鳥のステーキだ。

 皮目がパリッとキツネ色に焼き上がっている。

 グリエがナイフで切り分けると、その断面から艶やかな肉汁があふれ出た。


 アングレーズの視線はもはや釘付け。

 生唾をごくりと飲み込む。


「……し……しかたがないのう。……ロック鳥は好物ゆえ、厳しい評価を覚悟せよ」


 そして肉の一切れを口に運ぶ。

 ちなみにアングレーズの竜の本体は、少女姿の分身の影の中にいる限りは分身の感覚を共有できる。それだけでなく分身から影を通じて食事もできるのだ。


「――――――っ!?!?」

 少女アングレーズは肉を噛みしめた瞬間、脳天に電撃のようなものが走った。


(なんじゃこれは!? 肉汁があふれ出るのに脂の重さが全くない!? なによりも塩加減が絶妙。…………皮のパリパリ感がまたたまらん!!)


 グリエを認めたくないゆえに言葉には出さないが、アングレーズは村人が作った料理では味わえないほどの満足感に襲われていた。

 あまりにも完璧な焼き加減。それに山で生活していた頃を思い出すようなちょうどいい味のバランスなのだ。


「気にいってくれたみたいだな」

「ま……まだ何も言っておらん! ……それに肉を焼くぐらい我でもできる。これぐらいで料理人と認めぬぞ」

「ほほぅ。焼き以外なら、こんなのもどうだ? ロック鳥の琥珀こはく酒煮込みだ」


 グリエはそう言うと、炉の上に置かれている大鍋の蓋を取った。

 その瞬間、豊かな香りが周囲の人々の鼻腔を刺激する。

 大鍋の中には琥珀色のスープが満たされ、オニオンやニンジンなどの野菜と共に肉の塊が揺らいでいた。


「…………うぬ……。に、匂いは合格じゃな。……ところで琥珀酒とは何じゃ?」

「この地域の山で稀に見つかる天然の酒だな。これが実に芳醇ほうじゅんで、ロック鳥と相性がいいのさ」


 そしてグリエはブドウのような果実を取り出した。

 琥珀色の粒は宝石のように輝き、ほのかな酒の香りが漂ってくる。

 その果実の汁は不思議と酒の成分が含まれ、ほんのりとした甘さと上品な風味で名酒にも引けを取らない旨さがあった。


「な……なんと贅沢なことを! 山に住まう我でもめったに見つけられぬ代物じゃぞ!? それを煮込みに使うとは、なんともったいないことを!」

「落ち着けって。酒は肉を柔らかジューシーにしてくれたり、臭みを取ったり、旨味が増したりといいことづくめなんだぜ」

「……これだから価値を知らぬニンゲンは愚かなのじゃ……。だいたい酒に漬けた肉なんぞ食えるものか」

「まぁまぁ。騙されたと思って食ってみな。塩分控えめでスパイスで味付けしてるから、たぶんお前でもイケると思うぜ」


 グリエは肉と野菜を深皿に盛り付けると、アングレーズに手渡す。

 熱い湯気と共に豊かな香りが漂う。

 もはや彼女に我慢などできるはずもなく、フォークも使わず手づかみでむさぼり始めた。


「むほっ!!」

「旨いか?」

「そ……そんなこと……。ああもったいない。酒がもったいないわ」


 言葉では悪態をついてみせるものの、アングレーズの表情は明らかに喜びに満ちている。


(なんじゃこれは!? 旨すぎるじゃろ!! え……え……?? まったく酒臭くないのに、旨味は琥珀酒のもの? 穏やかな旨味が……むふぅ。脳が溶けるぅぅ……)


「そうか旨いか。うんうん」

「旨いなんぞ言って無いであろ! ま……まぁまぁじゃ!! ……と、ところでそっちの赤い肉はなんじゃ!?」


 このままではグリエを認めてしまうと感じたアングレーズは、とっさに目の前の肉を指さして話題を変えた。

 テーブルの上にはロック鳥とは異なる赤身の肉が鎮座している。



「ああ。キッシュとタルティーヌ卿が獲ってきてくれた奴さ。この地域に生息する『シルク鹿』ってシカで、繊細な芳香と柔らかな肉質が素晴らしいな……。獣臭さが全くと言って無い」


 グリエは赤身の肉を分厚く切り分けると、少量の塩とハーブをふりかけて鉄板にのせた。

 ジュゥといういい音がし、すでにアングレーズの視線は釘付けになっている。


「ス……ステーキとやらか。苦しゅうない。寄こすがいい」


 偉ぶっているものの、明らかに期待に胸を膨らましている様子。

 グリエはシカ肉に十分火が通ったことを確認すると、それを切り分けてアングレーズの前に出した。

 彼女は待ちきれない様子でかぶりつく。



(あぁぁあぁぁ、うんまぁぁいぃ!! やっぱり肉じゃな!!)


 そして立て続けに二切れ、三切れ……「はむはむ」と声を漏らしながら一心不乱に噛みしめる。


(しかも、これも塩加減が絶妙! そしてまぶされておる粉、野草かなにかか? ……複雑で、しかしあくまでも肉を引きたてておる。……旨すぎるじゃろーーがぁぁ!!)




「どうだ? 旨いか?」


 その声で我に返ったアングレーズは顔を上げる。

 グリエはニコニコと笑っていたが、性根がねじれている彼女にはその笑みが勝ち誇ったもののように感じられた。

 心の中では完敗を認めているが、小さなプライドが邪魔をして首を縦にふれない。


「……や、やはりニンゲンの料理なんぞ口に合わん! こんなもの、こうじゃ!」


 そう言って、なんとステーキを皿ごと地面に落としてしまった。

 それだけではない。目の前のチキンステーキを掴むと、次から次へと地面に落としていく。

 当然まわりの村人は酷く驚くが、グリエは一人、やけに冷静だった。


「……全く困ったドラゴンさんだ」


 グリエはやれやれと肩をすくめると、身を乗り出して屋台の前に立つアングレーズの足元を覗き見た。

 床には散らばった肉など全く無く、その代わりに竜の頭が出てきている。

 その竜の口はモグモグと動き、それどころか恍惚とした表情で皿を嘗め回しているのだった。


「ふぅん。口に合わないって言うには、ずいぶんと旨そうに食ってるじゃないか」

「う……」


 そう……。

 アングレーズは癇癪かんしゃくを起して料理を床にぶちまけたフリをしつつ、足元に開けた竜本体の口に投げ入れていたわけだ。

 すべてバレてしまい、アングレーズ本人は気まずそうにグリエと見つめ合う。

 そこには真龍の威厳など欠片もなかった。


「行儀が悪いと、もうやんねぇぞ」

「ふ……ふん! か、か、構わぬもん。ならば他の者から奪うまでじゃもん!」


 言うや否や、アングレーズは近くにいる村人から肉を奪い、食う。

 しかしその直後、眉間にしわを寄せた。


「なんじゃこれは! しょっぱいではないか!!」


 村人が持っていた料理は間違いなくグリエの店のもの。

 なのにこうも味が違うことにアングレーズは驚きを隠せない。

 しかしグリエは「当たり前だろ」とうなずいた。


「アングレーズは竜だから人と味覚が違うだろ? 味を変えるのは当然さ」

「なに……!? 我のために特別な味付けを……!?」


 ここでようやく、人と竜の味覚が違うことにアングレーズは気が付いた。

 今まで人間の料理を不味いと断じていたことがいかに浅はかだったのか、気が付いた。


 そして、グリエが最初から竜の味覚に合わせてアレンジしていたことに驚きを隠せない。


「……なぜ……どうして我の味の好みが分かったのじゃ?」

「う~ん。……この近くの山育ちで、主に獣を食ってたって聞いたからな。いきなり人間の料理は味が濃すぎると思っただけさ」

「それだけの話で……ここまで好みに合わせて来るか」


 もちろんグリエの経験と嗅覚がアングレーズの好みを見抜いたからに他ならないのだが、アングレーズにとって驚きでしかなかった。

 目の前のニンゲンが強さだけではなく、食の点でも圧倒してくるとは思いもよらない。

 そして、もはや自分がグリエの料理のとりこになっていると痛感してしまった。



 気が付くと、アングレーズは自分の分身をグリエのそばに寄り添わせていた。

 それだけではなく、竜の尻尾をパタパタと振っている。

 ――まるで犬が主人に甘えるように。


(――――――っ!? なんぞ!? 我は偉大なる真龍。なぜ体が勝手に動いた!?)


 我に返ったアングレーズはとっさにグリエから離れる。


「……ふ、ふん。……まあ、認めてやらんでもないな。これからも我が食事を作ることを許そう」


 ささやかな抵抗とばかりに偉ぶってみせるアングレーズ。

 グリエは「やれやれ」とため息をつくと、彼女の頭にエプロンをかぶせた。


「じゃあさっそく手伝ってくれ」

「んむ?」

「人一倍食ってるんだ。その分はちゃんと働いてもらわなきゃな。……どうせ金は持ってないんだろ?」

「は……働く!? 我は偉大なる真龍じゃぞ!?」

「へいへい。じゃあ偉大なる真龍さんよ。あっちのテーブルに料理を運んでくれ。ついでに分身を増やして皿洗いもよろしくな」

「竜使いが荒すぎじゃぞ!!」

「ほう。じゃあアングレーズにはもう飯をつくれないなぁ……」

「ぐ……ぬぬぬ……」



 ……こうして真龍アングレーズはグリエの元で働く給仕になった。

 分身は頑張れば5~6体作れるらしく、その反抗的な言葉と裏腹に、実によく働く。

 全ては胃袋をグリエにつかまれてしまった結果である。


 ゆくゆくはテリーヌをメイド長にしてグリエ邸がいっそう賑やかになるのだが、それはまた別のお話。

 アングレーズは美味しいご飯を求め、悪態をつきながら尻尾を振るのだった――。



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

なかなか本業が忙しくて執筆の時間が確保できず、お待たせしてしまって申し訳ありません……。毎日更新が難しいところですが、何とか頑張っております。


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戦う料理人グリエの成り上がり ~いわれなき罪で追放された料理人、隣国の女王に見初められて名を上げる。特殊食材の調達も調理もお任せあれ。戻って欲しくても、もう遅い~ 宮城こはく @TakehitoMiyagi

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