本屋

もと

『読める』という幸せ

 いつからか、二十年ほど前だったか。

 エコだナンだと何もかもを紙製品にして木が無くなり山はツルッパゲ、ならばと開発された紙もどきは耐用年数がたったの数年、いやもうそんなもの全人類皆禿げてしまえ、そして紙もどきの為にフル稼働した工場からは汚水が垂れ流され海もツルッパゲ。

 地球のケツの毛までむしり取った結果、紙に印刷された文字、『本』がバカみたいに高価な代物しろものになった。図書館では盗難が相次ぎ閉鎖に追い込まれ、本屋では並べる本が配達される前に盗られて閉店。紙の本が欲しければオークションか闇本屋に行くしかなくなってしまった。

 やれやれ、ため息ひとつ、カバーの中まで何か書いてなかろうかと三年もくまなく読みきったハードカバーをソッと閉じる。

 重い腰を上げる。

 いや、その前にコーヒーを一口。

 カップを置いて腰を上げる、パキパキ言わせながら伸ばす、伸ばす。その闇本屋へ行く。贔屓ひいきの店から「珍本入荷」と記された矢文やぶみが今朝早く、寝起きの俺をかすった。イイ腕をしている。葉っぱのふみもイカしてる。あのオヤジが『珍しい本』というからには……約束の時間には少し早い。なのにトレンチコートを肩に引っ掛けて、アタッシュケースは指に引っ掛けて焦る、はやる。


「……あの、すみません? 道を教えて頂きたいのですが?」

「……はい、どちらまで?」


「お急ぎでしたか?」

「いえ、構いませんよ」


 早めに家を出ている、問題ない。黒髪の女性は本当に困っている様子だが、この御時世ごじせいに道が分からないというのは……。


「地図はあるんですけど、この、闇卵やみたまご市場に行きたいのです」

「ああそういう事でしょうね、はい。この道を真っ直ぐ五分程歩くと公園が見えてきます、そこのベンチの下に鉄のフタがあって、開けるとキーボードに暗証番号を……」


「ウフフ、難しいですね」

「ご一緒してあげるのが親切でしょうが、ちょっと用事があるので、ああそうか、右手をお貸ししますよ」


「いいのですか?」

「はい、どうぞ」


 ページは片手でもれる、問題ない。三十代そこそこに見えるのに礼儀正しい女性に見える、問題ない。貸した手はベンチに置いておく約束をして離れる。

 やれやれ、おやおや?


「どうしました?」

「……き、急にお腹が痛く……」


 道端にしゃがみ込み額に汗を浮かべたサラリーマンを放っておけるほど俺は薄情じゃない、俺から行動を起こす。丸まった紺色の背に手を当て、その隣に膝をつく。浮き立つ気持ちより、同情と自分の身に同じ事が起きたらという想像力がまさった。普段から物語に触れているからだろうな、まったくこれは要らない特性だと苦く微笑んで見せよう。


「どの辺ですか?」

「……胃の辺りが……」


「それは辛い、俺のを貸してあげます。まるっと取り替えれば歩けるようになると思います。痛んだ所を早く病院に持って行って下さい」

「……それだと貴方が……」


「さっき済ませたばかりです。今日はもう飲食をする予定は無いので別に、どうぞ」

「……ありがとうございます……」


 一番近いタナカ医院を紹介して、役目を果たした後の俺の内臓はそこで預かってもらうよう手配した。サラリーマンは大変だ、胃が痛むのは痛いほど分かる。身軽になって『珍しい本』に思いが飛ぶ。何の、どんな、誰がどういう物語を、ああ楽しみだ、この楽しみという心も含めて楽しい。


「すんませーん、爆弾処理中なんすけど押さえてもらえませんかー? 相方が子供生まれるとかで帰っちゃってー、あ、これ、このスイッチみたいなのを僕の代わりに踏んでくれてたらオッケーっす」

「任せろ」


「祭りの太鼓が破れちまってな、皮とか余ってねえか? なあに鳴れば良いんだ、ホラ、空っぽの胴体みたいなモンでもイイんだけどよ?」

「ちょうど良い、どうぞ」


「スケボーって片足で地面を蹴らなきゃいけないんだ、でも両足乗せてないとコケちゃう」

「片足貸してやろう、三本足なら何とかなるだろ」


「これからお見合いなのですが、容姿に、いや顔に自信が無くて……もうこれでダメなら自殺します、こんなブサイクが生きていても……」

「待て待て、俺も自信は無いけどマシになるんじゃないか? 貸すから死ぬな、見合いなんて気合いだ、籍なんてブチ込んでしまえ!」


禿げてます」

「可哀想に」


 ……やれやれ仕方ない、本当に仕方ない、俺は今すこぶる機嫌が良いんだ。


「おいおいおい? どうしちゃったんだお前さん、ずいぶん男前になりやがったな?」

「!」


「ピースしてんのか? 大丈夫って事か?」

「!」


「ああ現金か、アタッシュケースか、よく持って来たな?」

「!」


「ほれ、これが『珍しい本』だ。そこまでして来てくれたんだ、ここで読んで行ってもイイぜ? 部屋を貸してやる」

「!」


 左手首に脳味噌と目玉をひとつ乗せて指にアタッシュケースを引っ掛けてた俺を、闇本屋のオヤジは恐る恐る大切に奥の小部屋へと運んでくれた。まったくイイ奴だ。わざわざランプの灯りまでつけてくれたぞ、とんでもなく粋だな。

 そう、読めればいい。読めさえすればいいんだ。

 ……いや、オヤジに感想を言いたい、お互いの考察をブツけ合いたい、路上ミュージシャンに声帯を貸したのだけは悪手だったか、いやいや大丈夫だ、沢山本を読んだ、こういう時にどうすれば良いかの知識はある、筆談だ、筆談の用意をしてくれとオヤジにどう頼もうか、いやいやいや、もうそれどころじゃない、読もう。


『クマさんの初めての大冒険』


 なんと絵本か! 素晴らしい! 美術館や博物館でしかお目にかかれない珍本だ!

 ああコーヒーが欲しい所だった! 腹痛サラリーマンと路上ミュージシャンに、いや構わない! 『初めての冒険』だぞ、『大』のつく冒険だぞ、きっと夢中になってしまう、コーヒーなんて明日でも明後日でも来年でも来世でもいい!


 さあ、読むぞ……!



  おわり。

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