第2話 力を選びなさい
シャーローンとの永遠の別れに嘆き悲しんだ翌日、英雄は駅ナカの書店にいた。
昨日ウェブでの連載を終えたばかりの「この異世界にエビデンスはあんのかよ!」の最新巻、つまり最終巻は来月出版予定だ。その予約に訪れている。
ネットショッピングが一般的な今の時代、書店に本を予約するという行為は稀有かもしれない。だが、英雄にとってこの行動には強い義務感を伴っていた。
――初回限定版予約特典。
別名、悪魔の落とし羽根。
その羽根は時として契約して手に入れたものよりも価値を持つ。
今回の予約特典は、シャーローンのクリアだがピンクなクリアファイル。その羽根を想像して天を見上げるだけで、英雄の頬は熱く燃えた。
「次にお待ちのお客様どうぞ」
店員が契約の呪文を求めた。
「『このエビ』の十三巻の予約を」
「『この異世界にエビデンスはあんのかよ!』の十三巻でよろしいでしょうか?」
分かり切っている。くだらないことを聞くんじゃない。そう英雄は鼻から速度の速い息を吐いた。
「はい」
店員はタブレットPCの画面を数回タッチして、英雄の方に視線を向けた。
「通常版と初回限定版と初回プレミアム限定版とございますが」
店員が与えた選択肢に、英雄は自分の耳を疑った。
「初回……プ、プレミアム……限定版?」
聞き覚えがなかった。そんな情報、連載していたサイトでも見た記憶がない。既刊の十二巻には、通常版と初回限定版の二種類しかなかったはずだ。
「初回プレミアム限定版ですね」
「いやっ! 待ってくれ!」
英雄の言葉の最後についていたクエスチョンマークが、店員には届かなかったようだ。
「その、初回プレミアム限定版って、と、特典内容が違うんですか?」
英雄は額に浮かんだ汗を拭いながら、また、生唾を飲みながら聞いた。
「少々、お待ちください。……ええ、シャルロ……いや、えっと」
「シャーローン!」
「あ、はい。シャーローンのですね、抱き枕が特典として用意されてございますね」
呆然としている目の前の客に店員は首を斜めに傾げ、改めて予約内容の確認をした。
「では、どうなさいますか? 通常版か、初回限定版か、初回プレミアム限定版か」
英雄は汗でベトつく額を手のひらでパチンと叩き、その手のひらをゆっくりと輪郭をなぞるように下げ、口の辺りを揉みしごきながら店員を見つめた。
英雄には、その店員が「欲しい力を選びなさい」と問う女神に見えてきた。
――なんてことだ。ここは異世界の入り口だったのか。
そんな声にならない呟きを溢した後、英雄は
「初回プレミアム限定版で! お願いします!」
――これは悪魔の落とし羽根なんてものじゃない、悪魔の落とした翼だ。
悪魔と契約した。英雄はその背徳感に全身を震わせた。
「それでは身分証を拝見いたします」
「はい?」
「こちらの特典は十八歳以上限定でございますので。あ、あと、十八歳になっていても、高校生には販売できません」
英雄は絶望した。膝から崩れ落ちる。
「あの、お客様? 大丈夫ですか?」
店員がカウンターの上に身を乗り出して英雄を見下ろした。そのはるか上空から降り注いだ声を浴び、英雄は目に涙を溜め、悔しさと情けなさと無力さに潰されそうだった。
だが、物語はいつだって絶望する者に一条の光を与えてきた。
英雄もその例に漏れない。
「おう、英雄じゃないか。何してんだ……って、なんだよ、おい」
英雄は目の前に現れた救世主の両肩を掴んでいた。英雄の父親だ。この時の英雄には、父親が凄腕のギルドマスターに見えていた。
「頼む、マスター! 一生のお願いだ!」
英雄は涙ながらに、両手を大きく振るい、大げさな身振りで事の顛末を訴えた。
「なるほどなあ。話は分かった。その望み叶えてやってもいいが……」
英雄の耳に、父親の言葉が幾分それっぽく変換されて届く。
「言ってくれ! 条件があるなら、なんだってやる! 頼むよ!」
ギルドマスター、いや、英雄の父親はカウンターに肩肘をついて店員に伝えた。
「初回プレミアム限定版を頼む。私の血で契約を結ぼう」
そう言ってスーツの内ポケットから財布を取り出し、運転免許証を差し出そうとした父親の動作を、店員は手のひらを広げて制した。
「お客様は大丈夫です。成人だと一見して分かりますので」
そうして、父親の庇護の下、無事に最大の力を手にした英雄だったが、そう甘い話もないのが世の常だ。
「特典は卒業するまで父さんが預かるからな」
一瞬目を見開いた英雄だったが、すぐに力強く頷いた。
「分かった。必ず男になって迎えに行くよ」
待っていてくれ、シャーローン。異世界への扉が再び開くときまで。
そう胸に刻む英雄の前を行く父の背中に「大人」という名の翼が見えた。
餅は餅屋 異世界は本屋 西野ゆう @ukizm
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