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「自分は平気やったんか?」
発見者の心身に異常を来すほどの事件現場に立ち会った友人の身を案じての質問が、
「平気では無いですが、体調を崩すほどでは無いですね。それに友人でもあった
「別に構わへんよ」
死を悼む友人に話の続きを促すのが躊躇われた。
「どんな感じで亡くなっってはったんや?」とは聞くに聞けない空気である。
「話を戻します」
本に埋もれて死んだ男の話についてだ。
「シャッターが
紙魚川はドアを外側に開きながら証言を続ける。
「このドアは足元の錠を開くと百八十度、内にも外にも力が加わった方に開きます。ですから本の山に押されて扉が開き、そのまま店外に溢れ出た本が、シャッターを圧迫していたのです」
「内側から本に押されてたから、シャッターの建付けが悪なってったちゅうことか」
「その通りです」
一体全体、訳がわからない。
まるで店中の本が出口側に殺到したかのようではないか?
「いまスマホに写真を送りました」
軒先にあふれ出た本雪崩が能果己のスマホに表示される。
「店に入るにしても商品を踏む訳にはいきませんから、本を片すことにしました。そして角川だの岩波だの新潮だの創元だの早川だのと、美容師さんと一緒になって本の山を掘り進めた訳です。そして店外とショーウィンドウとの境位まで掘った辺りで、手が出てきました」
「それが冴島さんやったと」
「そうです。爪が何枚か剥がれた手を美容師さんが不幸にも、掘り出しちゃいましてね。彼その場にへたり込んでましたよ」
「そら無理もないやろな」
いきなり爪が剥がれた人間の手が出てきたら、平常心を保てる人間は居まい。
「周りに
「えらい落ち着いとるやんけ自分」
「冴島さんが本に埋まる前に妙な事を言ってたのが関係あるかもしれませんね」
「妙な事?」
「呪いの本を手に入れたからもし死んだらそれのせいだ。なんて冗談を言ってたんですよ。本のタイトルは
「その集成なんちゃら言いう本はどんな本なんや」
「タイトルの如く画集です。江戸時代中期の絵師、
穴狸穴
「知らん名前やな穴狸穴て」
「事件の後に調べたんですよ。そもそも穴狸穴なんて絵師は、この世に存在しないんです。そういう絵師が江戸時代中期に居たという
能果己は混乱していた。
脳内で情報が渋滞している。
思わず目を閉じ目頭を揉む。
「ちょっと整理するわ。この店の主人は、妙な逸話がある本を手に入れて、その
「流石、新聞記者ですね。要約が得意でいらっしゃる」
「ゲロ吐きそうなくらい混乱しとるで」
この後に続く紙魚川の証言により、能果己の混乱は深まり、状況は混沌へと加速していく。
◆ ◆ ◆ ◆
紙魚川が語った冴島の死に奇妙な点が多々あった。
遺体には全身に渡って小さな殴打の跡が無数にあり、うっ血の跡が水玉模様が如く、冴島の全身に遺されていた。
さながら本の角で繰り返し繰り返し殴りつけられたかのように。
直接の死因は窒息死。
胸部が強く圧迫され、肋骨が折れ、肺を骨片が突き破り呼吸困難に陥り息を引き取った。
遺体の胸部には縦十センチ、幅二十センチの長方形型の痣が残されていた。
長方形の寸法は集成鳥類肉筆画集の底辺の面積に合致する。
事件現場の出入り口はシャッター側のドアと、レジ側にある裏口のみで、検視の際に裏口は施錠されていたことを警察が確認している。
冴島が発見されるまで現場は密室状態であった。
店の鍵は冴島がもっていたものと、紙魚川が出勤日の前日より預かっていた合鍵の二組のみ。
「それ
「悪い警官と知り合いなんですよ。ですから捜査内容を教えてもらいました。あと死亡推定時刻の晩は、研究会の仲間とビデオ通話をしていたので嫌疑は速攻で晴れました。おまけにこの不可解な状況に警察は匙を投げちゃったんですよ」
極めて事件性の高い状況から捜査が行われたが、ついぞ真相の究明には至らず、事件は迷宮に入った。
凶器はあれど容疑者が不在なのだ。
調べようがない。
「いや待てよ、せやったら何で店がこないにゴチャついとんねん。警察が調べたんやったら片付いとる筈やろ」
状況検分の際に本が散らばったままでは調査の妨げになるではないか。
「おかしいですよね。調査された時は片付いていたんですよ。でもシャッターを開けたらこうなってるんですよね」
「待て待て待て待てそれはおかしいやろ…………」
鍵が閉まった店内に何者かが忍び込み、店内の本をわざわざ一冊一冊広げて、積み上げなければ佐伯が亡くなった晩の状況は再現しない。
能果己の背は粟立った。
不気味があまりにも過ぎると。
誰が何のためにそのような事をするのか見当もつかない。
「能果己くんトイレは大丈夫ですか?」
片手に充電式の電気ランタンを持った紙魚川がたずねる。
「大丈夫やけど、なんやそのランタンは?」
「今からシャッターを閉めるんで灯りが必要かと」
「嘘やろ…………」
「調査は今から始まるんですよ能果己くん」
◆ ◆ ◆ ◆
有無を言わさず紙魚川はシャッターを閉めた。
日光を遮られた店内を照らすのはランタンの灯りのみである。
「冗談きついで」
「真剣ですよ友人が亡くなっているんですから。ついてきてください」
紙魚川はレジの裏へ歩いていく。
「厳つい金庫やな」
「謎を解く鍵はこの中にあります」
紙魚川が鍵束の中の一本を金庫に挿すと錠が解除される。
「それ合鍵ちゃうんか?」
「マスターです。冴島夫人に調査の依頼を受けた際に預かって来ましたから」
金庫の中身をレジのカウンターに紙魚川が置く。
一冊の本だった。
題名は集成穴狸穴狗肉鳥類肉筆画集。
「なんでやねん! 凶器ちゃうんかいこれ! 警察が押収しとるんちゃうんか!?」
「お察しの通り冴島さんを死に至らしめた方は警察にあります」
「じゃあ何やねんこれ」
「画集は印刷物ですからね。同じものが複数あってもおかしくは無いでしょう」
冴島は件の本を二冊持っていたのである。
呪物とされる本を二冊も。
「どうかしとるぞ…………」
故人に対して毒づきながら能果己はカメラのシャッターを切る。
「この本を今から読みます」
「どうかしとるぞ!」
巨大な本の表紙を開こうとする紙魚川の手首をぐっと能果己が掴む。
彼は考える間もなく友人の読書を制止した。
脊髄反射。
人間が危険を感じた時に現れる反応を能果己はとった。
この本は危険であると本能が警鐘を鳴らす。
心拍が上がり血流が全身を駆け巡る。
「ボクは知りたいんです友人の死の真相を」
「
「教師のパパ活現場を押さえた文屋のセリフですかそれ?」
怪奇の探究者と事件の
「それは卑怯やで紙魚川くん」
「友のためなら、ボクは手段を選びません」
拘束を解かれた紙魚川が表紙を開く————
頁をめくると精巧な筆致で表現された猛禽が捉えた鼠の肉を啄む絵が現れた。
次の瞬間、何かが羽ばたく音がして。
ばん!
レジカウンターに激突する音がした。
「はあっ!?」
「————なんでしょうね」
二人がレジカウンターの向こう側を覗くと一冊の本が床でのたくっていた。
ばさ。
ばさ。ばさ。
ばさ。ばさ。ばさ。
「これアカン展開ちゃうか?」
能果己は目を硬く閉じ目頭を揉みながら言う。
「そうみたいですね」
紙魚川が薄ら笑いを浮かべながら言う。
ランタンが照らす闇の向こう。
店の出口側に積まれた本という本が、羽ばたき宙を舞っている。
「洒落にならんやろこれ」
カメラのフラッシュが本の群れを照らしだす。
「伏せてください!」
能果己は紙魚川に襟首を掴まれ、カウンターの下へ強引に引き込まれ、一拍も待たずして本がカウンターの外側にぶつかる音が、機関銃めいて店内に木霊する。
「戦場カメラマンには成りとうないな」
「将来の展望が見えて良かったですね」
「なんかあれみたいやな」
「なんです?」
「ヒッチコックの鳥」
「存外、余裕じゃないですか」
「俺の彼女の方が、おっかないっちゅうんじゃ」
墓場まで内緒やでと人差し指を顔の前で立てる能果己。
「ここを墓場にするわけにはいかないですね」
「どないすんねん、このバケモン共」
「こうします!」
カウンターで今にも飛び立とうと羽ばたく巨大な本を紙魚川が捕まえると、床に叩きつける。
「これ! 押さえててください!」
「応よ!」
能果己が膝と腕でロックした本に、紙魚川はリュックサックから取り出したペットボトルの聖水をありったけぶちまけた。
優雅に水面を泳ぐ水鳥の絵が、聖水によって
「この手の呪物は破壊するに限ります」
打って変わりしんと静まった店内。
「さんざんミステリごっこやり腐って、こんなオチかいな」
「いい取材はできましたか?」
「ごめんやけど没や」
頭を抱える能果己に紙魚川は胸で十字を切った。
◆ ◆ ◆ ◆
かくして俺はダメもとでこの騒動を纏めた原稿を入稿をしたんやけども。
「こんなのダメにきまってるじゃないですかセンパイ」
「みんな見とる前で抱き着いて大胆やな自分。なあ江里や力が…………息が…………なあ……………………かんにんしてくれ————————————」
ホラーが大の苦手な江里に部室で
可愛いやっちゃでホンマに。
そない訳で没記事の供養と注意喚起を兼ねて小説にした。
新聞ばっかり書いとったから、小説ちゅうもんの勝手がどうにもわからんくて、だらだらだらだら書いてしもうたけども。
大事なんはこっからなんや。
◆ ◆ ◆ ◆
「なにしとん? 紙魚川くん」
濡れた本の最期のページをいつになく真剣な眼差しで読む友人にたずねる。
「奥付を確認しとこうかなと思いまして————ダメだこれは」
「なにがアカンねん」
「第三版。結構刷られてますねこれ。相当な数が、市場に流通してるんじゃないかな」
了。
本に埋もれて死んだ男 鮎河蛍石 @aomisora
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