日曜日。午前九時前。

 咲嶋商店街さきしまアーケードの一角。大きなシャッターが閉まった店の前で、能果己のがみ紙魚川しみかわを待っていた。

 所々、クリーム色の塗装が剥げ錆びたシャッターには冴島さえじま古書とある。


 犬を連れ朝の散歩をする老人や、部活に向かうためジャージ姿で自転車を漕ぐ学生、軒を連ねる専門店へ納品しにきたワゴン車が、商店街を行き交っている。


「いやあ、お待たせして申し訳ない」


 大きなリュックサックを背負った眼鏡の少年。紙魚川けいが到着する。


「大丈夫や。まだ集合時間の五分前やし」

「今からデートをするみたいなやりとりですねこれ」

 

 能果己は目をグッと閉じ、目頭を揉む。


「どうされましたか野上くん頭でも痛みますか?」

「入稿が済んどったら今頃、江里えりと遊んどったかもしれへんなって…………」

「おやおやボクと一緒にいるときに、他の女の名前をお出しになる」


 紙魚川は妙な冗談を言う。


「きっしょいなあ、勘弁してくれや」

「アイスブレイクですよ」


 能果己と紙魚川の間柄に、そもそもアイスブレイクなど必要ない。


「砕けすぎやろ。やなっかた、今日はありがとう」

「いえいえこちらこそ、ちょうど人手が欲しかったところなんですよ」

「せたろうとる、その大荷物も、昨日言うとった調もんなんか?」


 紙魚川の背で用量の限界まで膨らむリュックサックを指し能果己は問う。


「教会で日曜の礼拝ミサが始まる前に分けてもらった聖水とか。まあいろいろ入ってます」

「いろんな意味で穏やかやない荷物やな」

野良仕事フィールドワークは、想像を絶する状況が付き物ですからね。刺激的な取材をお約束しますよ」


 紙魚川はワイシャツの胸ポケットから鍵束キーホルダーを取り出すと、シャッターの下方中央にある錠に挿す。かちゃと開錠をすると半歩右にズレた紙魚川は、シャッターを少し持ち上げる。


「能果己くんは左側を持ってもらえますか。建付けが悪くなってるんで、力がいるんです」


 能果己はここに集合し、どこかへ取材にいくものだとばかり思っていたので呆気に取られていた。この古書店が取材現場かと。

 それに友人が店の鍵を持っているのも謎である。


「……ああすまん」


 ギギッと唸りを上げシャッターが開き、ショーウィンドウに朝陽が射す。


「何やねんこれ……」


 能果己の眼下。店内に大小さまざまの古本で散らかっている。

 硝子がらす一枚向こう。二人の腰の高さまで、本が積みあがっている。

 よく見るとどの本も開かれた状態で積まれている。

 科学の教科書に載っていた断層の写真を思わせた。

 異様だ。


「これを片付けるのは一人だと大変だなと困っていたんです。そこへ能果己くんが電話をくれた訳です」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 せそうになるほど強い古本臭が、店内に漂っていた。

「埃っぽいんでどうぞ」と紙魚川に渡された不織布マスクを付ける能果己。

 電気は止まっているので照明は付いていない。

 故に薄暗い店内は異様な状況も相まって、不気味な雰囲気を醸してる。


 能果己は持参した一眼レフのデジタルカメラでその様子を撮る。

 からっぽの書架、店の出口側に積もった開いた本の山、出入り口の扉に残った、等など。


「水道も止まってるんでトイレに行きたくなったら向かいのコンビニまで行ってください」

「了解。いくつか聞きたことがあるんやけど」

「いいですけどICレコーダーはいいんですか?」

「ああ。忘れとった」


 店の惨状に気圧され持参した仕事道具を失念する能果己。


「録音するけどええか?」

「ええどうぞ」

「ここで何があったんや?」

「店主が亡くなっていたんです。本の山に埋もれた状態で」


 人間が本の山に埋もれて死んでいた。

 ビジュアルは想像できたがいまいち理解がし難い。


「どういうこっちゃそれ」

「順を追って説明しましょう。ボクは此処で資料を良く買っていました。なので店主の冴島臣之おみゆきさんと懇意になりましてね。あるときアルバイトをしないかと誘われたのです。古書の買い付けをする際に店番をして欲しいと。時給は千二百円と好待遇だったのでボクは、二つ返事で請けました」


「えらい羽振りがええ話やな」

「存外お客さんが多いんですよこの店。稀覯本きこうぼんや珍しい古文書こもんじょがあるので、蒐集家コレクター好事家マニアが来られるんです。実際、店番をしている時に来られたお客さんから、冴島さんんへ言伝を頂くことがありました」


 紙魚川曰く、取引で大きな金額が動くと言う。


「ここで働き始めて三か月目の日曜日、今日から遡って一か月前です。出勤の要請があったので出勤しました。天気は今日みたいな快晴です。冴島さんに預かった鍵でシャッターを開けようとしたんですがね。重くて重くて開かない。冴島さんがマメにシャッターの摺動部しゅうどうぶをグリスアップしてメンテナンスされてましたから。いつもなら軽い力ですんなり開くんです」


「シャッターが故障したちゅうことか」

「そうなんです。シャッターが開かないと店番も何もできませんから、お隣の美容院の方に助けてもらい、シャッターを無理やり開けました」

「その手伝ってくれた美容院の人にも話聞きたいな」


「残念ながらそれはできません」

「なんでや?」

調そうで、美容院をお辞めになりました。いやあ悪いことしちゃいましたね」


 つづく。

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