第10話 魔王様の胸のうち2・終

 碧眼が睨むように体を見ていた。もしかしてどこかに傷が残っていたのだろうか。そう思って自分でも見てみたが、あれだけぽっかり空いていた腹の穴の痕跡もまったく見当たらない。


「勇者?」

「前にも見たけど……やっべぇ、メチャクチャエロい」

「えろい?」

「肌なんて真っ白だし、胸が大きいわけでもねぇのに、想像より色が綺麗でぷっくりしているからか……」


 ゴクッと喉が鳴る音がした。どうしたのかと勇者の顔を見ると、なぜか目元が真っ赤になっている。それにキラキラしていた碧眼がギラギラと輝きを増しているようにも見えた。


(人間は胸を見るとこうなるのか?)


 ふむ、それは興味深い。


(もしかして、見られるとまた違った表情になるのだろうか)


 それならぜひ観察しておきたい。


「わたしも見てみたい」

「は?」

「胸を見てみたい」

「俺のをか?」

「あぁ」


 頷きながらそう答えると、なぜかまたゴクッという音が聞こえた。


「よし、見せてやる」


 勇者が勢いよくシャツを脱いだ。そういえば、わたしが勇者の体を見るのは初めてだ。


「やはり、筋肉質なのだな」

「そうか?」

「わたしとはまったく違うな。肩幅が広く腕も太い。胸の筋肉も盛り上がっている。なるほど、腹の筋肉はこうなっているのか」


 まるでいくつかの肉をくっつけたかのようにボコボコと盛り上がっていた。このような体は初めて見るからか目が離せなくなる。

 ふと、左胸のところにある痣が目に入った。血のように赤いそれは、どことなく文字のように見えなくもない。


「この痣は……」

「あぁ、これか」


 勇者の声が少しだけ固くなった。


「これ、勇者だって証拠の聖紋な。生まれてすぐに親に捨てられたんだけど、これがあったから神殿に拾われたんだ。で、物心ついたころから『おまえは勇者だ。人間のために魔王を殺せ』って言われ続けてきたってわけ。何もかもこの聖紋のせいだ」


 聖紋のことは先々代魔王と、それより少し前の何人かの魔王が書物に書き記していた。詳しい模様までは記されていなかったが、なるほど普通の痣とは大きく違うから間違いようがないのだろう。


「勇者なんてクソ食らえってずっと思ってた。でも育ててもらった恩もあるし、仕方ねぇかって途中で諦めもした。勇者なんてなるもんじゃねぇって思ってきたけど、あんたに会えたから結果オーライだな」


 あぁ、またこの表情をさせてしまった。口元は笑っているのに、顔全体を見ると悲しんでいるようにも見える。こういう表情はできるだけさせたくないと、つくづく思った。


「尋ねるべきではなかったな」

「うん? いや、かまわないぜ? それに俺のことは何でも知っておいてほしいしな」

「そうなのか?」

「だって好きなヤツのことは全部知りてぇってのが普通だろ? 俺はあんたのことが好きだから何でも知りてぇし、あんただって俺のこと知りたがってるじゃねぇか」

「たしかに興味深く知りたいと思っている。だからこうして観察しているのだ」

「ははっ。ほんと魔族ってのは変わってるよな。好きだって言えばいいのに『観察しているのだ』って、マジメかよ」


 勇者の言葉に「え?」と思った。


「いま、好きだと言ったか?」

「あぁ、言ったよ? だって俺はあんたが好きだし、あんたも俺のこと好きだろ?」

「わたしが、勇者を好き、」


 思わずくり返してしまった。勇者がわたしに恋をしていることは知っている。しかし、わたしが勇者に恋をしていることには気づかなかった。


(魔族であるわたしが、恋をしている……?)


 恋をする魔族もいるのだろうが出会ったことはない。そもそもわたしが恋をする魔族なのかすら知らない。

 わたしの一族は生まれてすぐに単独行動を始める。種族同士が集まって生活することもないし、つがいを見つけるのも死期が近づいてからだ。

 死期が近づくと自分の魔力を受け継がせるつぎの個体を作るため、つがいとなる相手を探す。自分が雌雄同体に近いから、相手の性別を気にする必要はない。相手の特徴を受け継ぐこともなため種族で選ぶこともなかった。そういうものだと生まれたときから知っている。

 だから恋というものを感じることはないと思っていた。ところが勇者から見ると、わたしは恋をしているのだという。


「そうか、わたしは勇者に恋をしていたのか」

「なんだよ、改めて言われると照れるじゃねぇか」

「照れるのか?」

「そりゃあ、好きな相手に『恋をしている』って言われりゃうれしいだろ?」


 勇者の頬が赤くなった。


(わたしも「恋をしている」と言われたらうれしいのだろうか)


 改めて勇者がわたしに恋をしているのだと考えた。……なんだろう、胸の奥がざわりとする。これが恋をするという現象なのだとしたら、たしかにわたしも恋をしていることになる。


「そうか、わたしも恋をしていたのか」


 頬が赤らんでいるかはわからないが、たしかに以前とは違う感覚がした。それに若干だが体の表面が熱くなったような気もする。


「つーか、上半身裸になったまま二人して何確認してんだろうな」


 そう言って「ははっ」と笑う勇者の笑顔がやけに眩しく見えた。目にするだけでなぜか鼓動が少し速まっていく。


「よし、善は急げだ。これから一緒に風呂に入ろうぜ」

「いまから? 湯を使うのは夜じゃないのか?」

「それは寝る前の風呂で、いまから入る風呂はセッ……って、魔族だとこういうこと何て言うんだ?」


 何やら真剣な顔をして宙を睨んでいる。初めて見る様子にじっと見つめていると、「まぁ、いっか」とつぶやいた勇者がグッと顔を近づけてきた。


「勇者?」

「先にキスしようぜ」

「きす?」

「ほら、目ぇ閉じて」


 よくわからないが、言われるままに目を閉じる。するとすぐに勇者の気配が近づき、そうして唇に熱いものが触れた。


(手か? いや、それにしては柔らかすぎるような)


 柔らかくて熱いものが、わたしの唇を噛むように何度も動いている。どうすべきかわからず噛まれ続けていると、今度はさらに熱くて柔らかいものが触れたことに気がついた。それがググッと唇を割り、口の中へと入ってくる。


「ゆぅ、んっ」


 勇者と呼びかける前に舌を熱いそれに擦られて驚いた。口の中で何かが動くというのは初めてのことで何ともいえない。かといって不快というわけでもなく、しかし心地よいという感じでもないような気がする。


(なんというか、背中がぞわっとして落ち着かない)


 気のせいでなければ腹の辺りが少し熱くなってきた。それに気を取られていると、裸の胸を指に引っ掻かれて「んふっ」という奇妙な声が漏れてしまった。

 そのままカリカリと胸を引っ掻かれながら、口の中では熱いものがぐるぐると動き回っている。初めて感じる奇妙な感覚に、気がつけば勇者の腕を必死に掴んでいるような状態になっていた。


「……あー、やべぇ。メチャクチャエロいんだけど」


 唇を塞いでいたものがようやく離れた。ゆっくり瞼を開くと、すぐ目の前に勇者の顔がある。肉厚な勇者の唇が少し開いている様がやけに気になった。

 その唇を、赤い舌がぺろりと舐め上げた。たったそれだけのことなのに、なぜか腰がぞわっと震える。


「よし、いますぐ風呂に行こう。でもって、大丈夫そうならそのままベッドに行こう」

「湯と、ベッド……?」

「たぶん大丈夫だと思うけど、あー、がっついたらごめん。先に謝っとく」

「がっつく?」


 何を話しているのかさっぱりわからない。体の奥に奇妙な熱を感じるからか、勇者の言葉が耳をこぼれ落ちてしまう。


「ほら、手ぇ貸して」

「あぁ、すまない」


 手を引かれ立ち上がると、腰に纏わりついていたローブが足元に落ちた。そういえば半分脱いでいたのだったと思い出す。


「ローブが、」

「どうせ脱ぐんだから放っておけよ」

「しかし、裸のまま歩くというのは少し……」

「俺しか見てねぇんだからいいだろ?」


 そういうものなのだろうか。人間は羞恥心が強いと書物に書いてあったが、個体差があるのだろうか。


「勇者はこれまでの勇者と違っているな」

「ははっ、褒めんなよ。つーか、俺はもう勇者じゃねぇけどな」

「あぁ、そうか。勇者は辞めたのだったな」


 わたしの言葉に、上半身裸のまま歩き出した勇者の足がぴたりと止まった。


「そういや名前、聞いてなかったな」

「名前?」

「そう、あんたの名前」

「それを言うなら、わたしも勇者の名前を知らないぞ」

「そういや名乗ってなかったわ」


 そう言って笑った勇者が、わたしの右手をぎゅっと握りながら歩き出した。


「じゃ、俺から名乗るな。俺の名前は――」

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【改稿】魔王様の胸のうち 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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