第9話 魔王様の胸のうち1
勇者から延々と魔力供給を受けていたからか、思ったよりも早く根源を修復することができた。肉体的な損傷も再生が終わり、見た目は完全に元に戻ったと言える。
問題は魔力のほうだった。根源から生み出される魔力の質が大きく変わったようで、以前のように無意識に使うことが少し難しい。魔力を注がれているときにも若干の違和感を感じていたが、まさか魔力の質が変異するとは想像もしなかった。
(慣れるまでは少し苦労しそうだな)
元々再生を得意としていたわたしだが、どうもその能力が格段に上がったような気がする。しかも他者を再生する力まで備わってしまったようだ。これでは書物にある神官のようだなと思わなくもないが、“壁”自体も強化されたようだから全体的な能力の底上げといったところなのだろう。
(ふむ、勇者の観察とあわせて自分の観察記録も残しておくか)
神官のような力を途中で得た魔族など珍しいはずだ。これは興味深い。せっかくだからわたしの記録も残すことにしよう。
「さて、記録書にペン、それからインクを……」
大きな机の前の椅子に座り、書き記すための準備を始めた手がぴたりと止まった。「またか」と小さくため息をつきながら振り返る。
「もう魔力の供給は必要ないと思うのだが」
何度目かわからない言葉を口にすると、「違ぇよ」とこれまたいつもと同じ返事が聞こえた。そうして伸びてきた手がわたしの二の腕を撫で始める。
「これは魔力を送ってんじゃねぇ。愛情表現だ」
「愛情表現?」
たしか先々代魔王の書物の後半に多く登場する言葉だ。恋を成就させた者同士が互いの気持ちを確かめ合う行為、と書かれていた記憶がある。
「そ、愛情表現。人間が好きな相手にすることな」
そう言った勇者の手が腕から肩を撫で上げた。そのまま首筋を撫で、そのまま顔に触れるのかと思えばするすると下りて鎖骨の辺りを撫でている。
(なんというか、奇妙な感じがする)
体を撫でられる経験がなかったからか、触れられるだけで背中がぞわっとした。しばらく撫でられていると腰の辺りがむずむずすることもある。そんな感覚は初めてで、自分の体なのにどうしてそうなるのかわからない。
「人間は好きな相手のことをたくさん触りたくなるんだ」
「ほう、それは興味深いな」
そう答えると、「だろ?」と言った勇者の手が胸に降りてきた。今日は薄手のローブだからか、いつもより手の熱さを敏感に感じるような気がする。
「魔族ってのは体温が低いんだな」
「常時燃えている魔族もいるが、わたしは比較的低温のほうだろうな」
「寝てるときも冷たいよな」
「さぁ、眠っている間のことはわからない」
それに、毎晩わたしを抱きかかえて寝ている勇者のほうが詳しいだろう。
「なぁ、風呂でも体温まんねぇのか?」
「湯を使うことはほとんどないからわからない」
「それって風呂に入らねぇってことか?」
「体を洗うかという意味でなら、わたしには必要ない。つねに魔力が表面を移動しているから、いつでも生まれたてのようなものだ」
胸を撫でていた指が不意に襟との境目に潜り込んできた。「へぇ、生まれたてね」と言って擦るように何度も撫でる。
「なぁ、湯に浸かるのは嫌いか?」
「さぁ、やったことがないからわからないな」
「じゃ、今度やってみようぜ。俺がいろいろ教えてやるからさ」
「ふむ、湯か」
湯に浸かるなど考えたこともなかった。毎日湯を使う勇者を見て興味深いとは思っていたが、自分で体験してみるのもよさそうだ。
「おもしろそうだな」
「じゃ、決まりな? とりあえず湯があれば中を洗うこともできるだろうし、ついでにほぐすところまではやってしまいてぇしな」
「中を洗う? ほぐす?」
「ま、ちょーっと入れるくらいはご褒美ってことで」
またわからないことを言い始めた。理解できない勇者の言葉を毎日記録しているものの、増えていく一方だ。もちろん意味を尋ねることもあるのだが、相変わらず「そのときのお楽しみだって」と言って笑うばかりだった。
「それにしても、あんたの胸って触り心地いいよな」
「胸?」
「そ。服の上からでも触り甲斐があるし、擦ればすぐぷっくり膨らむし」
「ぷっくり……?」
何のことかと視線を落とそうとしたとき、背中をぞわっとしたものが走り抜けた。見ると勇者の手がわたしの胸の一点を擦るように動いている。
(最近、よくされるようになったな)
撫でるだけでなくこうして擦り、それから摘むようにもなった。それをされると背中がぞわぞわして落ち着かなくなる。腰というか腹というか、その辺りが熱っぽくなるのも気になるところだ。
「なぁ、ちょっと見てもいいか?」
「何をだ?」
「胸。あー、ちょっと触ったり舐めたりするかもしんねぇけど、それ以上はしねぇからさ」
「舐める……?」
「大丈夫だって。体が元に戻るのにひと月もかかったんだ、さすがにまだしねぇから。いや、ちょっとやってみて平気そうなら先に進むってのもアリだとは思うけど」
よくわからないが、胸を見られたところでどうということはない。それに腹の穴が完全に塞がったときも見せている。
(あぁ、穴が塞がったままか確かめたいのか)
勇者は案外心配性なのかもしれない。そのことも忘れずに記しておかなくては。
「本当は先に記録をしたいのだが……、まぁいいだろう」
「じゃ、ちょっと脱いで」
碧眼がキラキラと輝いている。こうした笑顔を見るたびに、もっとこういう表情を見たいと思うようになった。何をすれば笑うのかまだよくわからないが、こうして言葉を交わし表情を観察していればいつかわかる日も来るだろう。
「少し待て」
わたしが愛用しているローブはほとんどが前開きで、ボタンや紐を外せばストンと脱ぐことができる。この楽さで同じ形のローブばかり着ているのだが……と、紐を解く指を勇者がやけに熱心に見つめていた。
(何だろうな)
気にはなったが、肩からローブを脱ぎ腰回りに布を纏わりつかせた状態で勇者を見上げる。
「……どうした?」
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