愛を籠める箱

香久山 ゆみ

愛を籠める箱

 祖父が箱を作る。祖母のために。大き過ぎず小さ過ぎず、ぴったりの美しい箱を。

 祖父は著名な彫刻家で、彫刻に限らず家中の調度が祖父の手から生み出されたものだったりするけれど、たぶんこのような箱を手掛けるのは最初で最後だろう。世界でただ一つ、祖母のために。それほど愛しているのだ。ほかのどの作品よりも時間を掛けて製作している。

 祖母がにこにこその様子を見ている。私はアトリエの隅からそんな二人の様子を眺めている。祖母の淹れてくれた紅茶を啜りながら。

 彼らの間に流れる情熱的で穏やかな空気が気に入りで、私は繁く祖父のアトリエに足を運んだ。てんで相手にはされないけれど。祖父の目には祖母しか映っていないのだ。とはいえ、一族の中でアトリエに入るのが許されているのは私だけ。頑固な祖父が血の繋がらない孫を少しからず受入れてくれるのは、私の面立ちが祖母とよく似ているからだろう。

 祖父には血の繋がりのある家族はいない。再婚だった祖母と、祖父の間に子はない。また、前夫との子供達が成人してから籍を入れたため、祖父と戸籍を同じくするのもただ祖母一人きりだ。二人きりの愛の世界。

 祖父は深く祖母を愛していたが、祖母をモデルとした作品は一つとして作らなかった。たとえ死後であってもそれが他人の手に渡ることが許せないからだ。だから、祖母に関する作品は、唯一この棺だけだ。

 とても長い時間を掛けて祖母のための棺を完成させた祖父は、思いを遂げて気が抜けたのだろうか、間もなく亡くなった。そしてそれを追いかけるように祖母も具合を悪くし、数年の入院を経て静かに息を引き取った。

「おお、美しい……」

 祭壇の前の棺を見て、誰もが息を漏らした。花車をイメージしたフォルムは遠目にも美しく、繊細な彫刻を施された棺は近くで見るといっそう心奪われる。それは十二分に祖母の魅力を引き出し、そこに眠る彼女は荘厳ささえ湛えている。誰の目にも一目瞭然に祖父の最高傑作だ。見る人皆が目を奪われた。

「……もったいない」

 ぽつりと叔母が呟いた。それを皮切りに、皆が口々に言い立てた。

「そうだ、この作品がこのまま焼かれてしまうなんて」

「どうせ燃えちゃうんだもの、普通の棺桶に入れ替えたらいいんじゃないの」

「そうよ、この棺はきっとすごい値がつくわよ」

 ちょっと待ってよ。齢若い私のことばなど耳に入らないのか、「そうしよう、そうしよう」と、勝手に葬儀場の職員に声を掛けようとする。待って待って、待って!

「きゃああっ!」

 祖父の形見の鑿を振り上げた私に気付いた叔母が悲鳴を上げる。

 祖父の魂が込められたこの棺で祖母を送らねばならないのだ。勝手な真似をされるくらいなら、いっそ作品としての価値がなくなるように私が一閃の傷をつけてやる。そんな思いで振りかぶった右手は、すんでのところで同伴者に抑えられた。

「そんなことしなくたって大丈夫だから!」

 ひとまず落ち着けといなされる。羽交い絞めにされた私が無抵抗になったのを見て、親戚連中が早口に言う。

「ごめんごめん、わかったから」

「ほんの冗談だよ」

「そうよ、ねえ。そんな故人を冒涜するようなこと、するわけないじゃない。ほほ」

 親戚たちも我に返ったのか、三々五々散っていく。

 そうだ。祖父はこんな事態も想定していたのであろう、亡くなる際に大半の権利を私に残すよう遺言していたのだ。

 煙が天へ昇っていくのを見て、私は涙ではなく、安堵の息を吐いた。無事に祖父の愛に包まれたまま祖母を見送ることができた。

 葬儀を終えた私は祖父のアトリエを訪れた。真っ暗な部屋、パチンと明かりを点ける。

 アトリエの真ん中には祖父と祖母を象った一つの作品がある。私は淹れたての紅茶を啜りながら作品を見上げた。やっぱりこのアトリエには祖父母がいないと。

 まだまだ紅茶も彫像も彼らには及ばないけれど。

 祖父と血の繋がった親族はいない。

 私は成長とともにますます祖母によく似てきた。そして、祖父から受継いだ鑿を振るって彫刻の道に進んだ。そうして、彼らの彫像を作った。けっして離れ離れにならないよう、一つの木から彫り出して。我ながら、情熱的な良作だと思う。彼らに見守られながら、もっともっと良いものを作っていきたい。

 けれど、今作っている作品が完成したら、しばらくお休みするつもりだ。箱、小さな箱。愛しい者を想いながら、鑿を当てる。けれど、祖父のようにあまり時間を掛けてもいられない。私の大きなお腹、来月に予定日を控えている。我が子が安心して眠れるように、ぴったりなベッドを贈るのだ。

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