19歳の私と彼女のアジア旅

ジャスミン コン

昔の旅日記を開く勇気はまだない

 19歳の春、タイとミャンマーに行った。

 女友達とふたり、バックパックをしょって3週間ほどの旅だったと思う。

 高3の時にホームステイの経験はあったものの、引率のいない初めての海外。

 同行する友達はカメラマン志望で、旅支度に自慢の一眼レフを磨いている。

 九州出身の彼女は、背が高くショートヘア。いつもすっぴんで、顔立ちの良さが際立っていた。

 同じ大学の女子寮では

「かっこいい」

と目を♡にする女子続出だったし、イケメン王子枠だったと言っていい。

 カジュアルな服装は常にボーイッシュで、身のこなしも男の子のそれだった。

 ところが「男前レーダー」を持ち合わせていなかった私は、王子の魅力に気づけていなかった。

 今思えば、彼女のファンらしき何人かが

「ねぇふたりって旅行するほど仲良かったっけ?」

といぶかしげに聞いてきたが、嫉妬の色さえ気がつかなかった。

 確かに学部もサークルも違うし、学外に遊びに出かける仲でもない。

 一度、私が淹れたカフェオレを

「すげーおいしいんだけど」

と言った彼女が、何度か部屋に飲みに来るうちに旅話がまとまっていたのだ。


 機内では彼女が好きなUA(ウーア)の曲を聴かせてもらった。

 さすがにカセットテープではなかったが、たぶんMDかなんかだっただろう。

 イヤホンを片耳ずつ。

 ふたりとも肩幅があるのでガツンとぶつかりながら。


 バックパッカーの定宿と言えば、なバンコクのカオサン通りで安宿を探す。

 ベッドは一つしかなかった。

 夕方からの土砂降りで、激しい雨音と雷に押されて通りの喧騒も遠くなるようだ。

 スプリングのあまい、くたびれたマットレスに並んで横たわると、水音のせいなのかまるで川の真ん中を漂っているようだ。

 トムソーヤがいかだで下ったのはミシシッピー川だっけ。

 それじゃ、これはチャオプラヤー川か。落ちたらイヤだなーなどと想像する。


 布団とは呼べない、薄いタオルケット1枚に一緒にくるまった。

 肌寒さよりも、外国にいる心細さと相棒意識のような何かにせっつかれて、どちらからともなく身体を寄せあった。

 気がづけば私たちは、これ以上くっつけないほど抱き合い脚を絡ませていた。

 ほんの一瞬だけ不思議な緊張感があったけれど、いかんせん彼氏がいたことがなく何の経験もなかったので、それが何か分からなかった。

 160センチに満たない小柄な私は、長い両腕にすっぽり包まれて安心感に満たされていた。

 人工的な安いシャンプーの香りが、部屋の埃っぽさをごまかしてくれる。

 いい匂い、というようなことを呟いて目を閉じたら本当にいかだに揺られているようで、どろり、眠りの川に落ちた。


 先に言っておくと、私と彼女は恋愛関係にはならなかった。

 むしろ、『深夜特急』を持参してアジアのアングラな雰囲気も撮りたいと冒険心に駆られる彼女と、そうでない私とは少しずつ溝ができた。行きたい場所が違うから、別行動が増えた。

 旅行前は、私の南国顔はきっと風景に合うからモデルとしてたくさん写真を撮らせてと言ったのに、レンズを向けなくなった。

 険悪なムードになったり、短気な彼女のイライラを感じたりもした。

 けれど、ずっと一緒に旅をした景色は今となっては美しさしかない。


 大学を卒業し何年か経った時、彼女から

「ウェディングパーティーで踊って欲しい」

と連絡が来た。

 私は長年、インドネシア舞踊を習っていた。結婚式で踊るのは初めてだが、喜んで引き受けた。

 

 渋谷のオシャレなレストランが会場だ。

 彼女はモンゴルの民族衣装に身を包み、とても素敵でまさしく王子様だった。

 隣で微笑むパートナーは、ゆるふわパーマのボブヘア、華奢で可愛らしい女性だった。

 ブーケトスは、新婦ふたりなのでチャンスは二倍という粋な演出で、ふたつの花束が宙を舞った。


 私は踊りの出番が終わり、黒地に白とオレンジの花が咲いたバティックワンピースに着替えた。

 彼女とのアジア旅をひとり懐かしみながら、本当にようやく、あの安宿での緊張感が何だったのかを知った。

 うまく表現できないが、微塵も不快さのない甘美な空間だった。

 真っ暗な部屋で雷鳴と雨音だけが響き、窓から稲光が入る度に見えた彼女はきれいだった。

 というより本当はカッコよくてドキリとした。たぶん、鈍感な私だって本能では気がついていた。

 

 パーティーは盛り上がり、ベリーダンサーが踊っていた。

 波打つ長い髪と、ブルーのスパンコールがオレンジの照明に反射し、ターンすると赤い口紅の残像がちらつく。

 クリーム色のローブを羽織った王子と姫が手拍子をし、なんだか異世界に迷い込んだみたいだ。

 見とれていると、初対面の男があからさまに胸の谷間をのぞき込みながら

「ねぇ抜け出そうよ」

とすり寄ってきた。ここまで下心全開のナンパは初めてである。

 呼ばれたふりをして席を立ち、寮仲間たちのソファに行くと号泣している美女がいた。この子も友達なのだが、どうやら王子の元カノであったらしい。

 王子の幸せは嬉しいんだけど切ない、という涙。

 今宵の異世界には人魚姫もいたのか。

 何かと初めてづくしで、魅惑的なパーティーは明け方まで続いた。


 ところで、彼女との旅では日記をつけていた。20年以上経った今も持っている。

 こうしてエッセイにしてみると、ドラマになりそうな予感もする。

 小説のネタ帳に日記を開きたい気持ちと、読んだら恥ずかしさに悶えそうな怖さとが戦っている。

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19歳の私と彼女のアジア旅 ジャスミン コン @jasmine2023

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