55:満天の星の下で君と
「あっ、いま向こうで星が流れたわ。見た?」
事件から二日が経過した夜。
私はラスファルの北側に連なる山のうち、最も高い山の中腹にいた。
魔法が使えないリュオンの代わりにドロシーがここまで私たちを魔法で運んでくれた。一時間後に迎えに来ると言って彼女は飛び去った。
今頃彼女はエンドリーネ伯爵家と共に同じ星空を見ていることだろう。
ユリウス様を猫にしてしまったにも関わらず、ドロシーは屋敷の住人たちにおおむね好意的に受け入れられてる。ドロシーはバートラム様やスザンヌ様の懐の深さに戸惑っているようだった。
「見た。こっちにも流れた」
開けた場所に敷布を敷き、私はリュオンと手を繋いで仰向けに寝転がっている。
私と彼の手首に光るお揃いの腕輪は、リュオンが昨日プロポーズの言葉と共に贈ってくれたもの。
ダイヤモンドよりも硬く高価なミスリル銀で出来た腕輪の中心には小さな宝石が象嵌されていた。
私が青、リュオンが銀色。互いの瞳の色だ。
シンプルな意匠の腕輪に私は一目で惚れ込んだ。
「え、どこ?」
愛を求めて鳴く虫と共に視界の両側に立つ木々の枝葉がささやかな音楽を奏でている。
普段よりずっと地面に近い場所にいるから、大地と緑の匂いを強く感じた。
「あそこ。でも、もう消えた」
人差し指を伸ばし、星が瞬く空の一点を指してからリュオンが手を下ろした。
「逆方向を見ていたから見逃してしまったわ。残念……どうしたの?」
リュオンは顔を横に向けてじっと私を見ている。
私も首を動かして隣に寝転がっているリュオンを見返す。
すると、不意打ちのようにリュオンは甘く微笑んだ。
ドキリと心臓が跳ねる。
「な、何?」
「いや。セラが隣にいる現実が不思議だと思って。おかしいよな、もう二ヶ月も一緒にいるのに。怖いくらいに幸せで――あまりにも幸せすぎて、いまでもたまに都合の良い夢か幻でも見てるんじゃないかと不安になったりするんだ」
「夢でも幻でもないわ。私はちゃんとここにいる。あなたの隣に」
少し熱くなった頬を意識しつつそう言うと、「そうだな」とリュオンは穏やかに微笑んだ。
金と赤の《魔力環》が浮かぶ綺麗な瞳に見つめられると、呪縛されたように身動きができなくなる。
夜風に艶やかな彼の髪がふわりと揺れる。ただそれだけでまた心臓が跳ねる。
夜に見る彼は昼とはまた違った魅力がある。
いまの彼は魔性の美に加えて色気すら漂わせており、眩暈がしそうだ。
「私ね、お気に入りのものはイノーラに何でも奪われて悲しかったけれど――」
とにかく何か言わなければ。
このまま黙っていると心臓がもちそうにないため、私は思いつくままに喋った。
「イノーラがクロード王子を奪ってくれたことだけは感謝してるの。昔はクロード王子と結婚し、良き妻として一生を彼に捧げるのが私の使命だと思っていたけれど、いまとなってはあの人を生涯の伴侶とすることなんて考えられないもの」
「当たり前だ。セラの双子の妹を妻として迎えておきながら、婚約破棄したセラを愛人にしようとするような度し難いクズ野郎にセラを渡せるか」
リュオンは繋いでいた手を離し、私を抱きしめてきた。強く。
「ちょ、ちょっとリュオン、苦しいわ」
あまりにも強い力に身じろぎすると、「悪い」と彼は謝って手を離した。
「あいつとセラがキスをする妄想をしてつい。鳥肌が立った」
「……止めて。私も鳥肌が立ってしまったわ」
寝転んだまま腕を摩る。
想像だけで身体が強烈な拒否反応を起こしている。
もう私はクロード王子を生理的に受け付けられないようだ。
「おれとキスするのは平気だよな?」
私の髪を愛おしそうに指で梳きながら、リュオンが悪戯っぽく笑む。
「あら、どうかしら。試してみましょう?」
彼の言わんとするところを読み取って笑い、私たちは互いに身を寄せ合ってキスを交わした。
数秒して離れ、二人してくすくす笑う。
美味しいものを食べたときと同じ。幸せを感じると、人は自然と笑ってしまう。
「実験の結果はどうだった?」
「全く平気だったわ」
「良かった。結婚してもキスもできないのは辛すぎる。子どもも欲しいし」
「!!? そ、それはまだちょっと早いわよ……」
さらりと告げられた言葉に、私は火が出そうなほど熱くなった顔を両手で覆った。
と言いつつ、想像したことはあったりする。
たとえば私に似た女の子。リュオンに似た男の子――想像しては身悶えたことはリュオンには内緒だ。
「おれ猫飼いたいなー」
「だ、だからまだ早いわよ! まず家を買う資金を貯めないといけないし――」
「心配は要らない。いますぐ家を買えるくらいの貯金はある」
「えっ!?」
「一応これでも『大魔導師』なんで。バートラム様からは毎月十分な給与をもらってるんだ。いつかセラを探す旅に出るための資金にしようと思って、ほとんど貯金に回してたんだけど、正解だったな。そのまま結婚資金に回せる」
リュオンはまた笑って、私の頬に手を添えた。
「いつ結婚する?」
どうやらそれは彼の中では確定事項らしく、当然のような口調で言われた。
「……バートラム様たちとも相談したうえで、一年後……くらいには。あなたの妻になれたら良いなぁと。思います」
頬に添えられた手に自分のそれを重ね、照れながら言う。
「猫を飼うのは私も大賛成よ。できれば黒猫がいいわ」
「いいけど、なんで黒猫?」
「猫になったユーリ様を撫でられなかったことが心残りで……」
空いているもう一方の手を握り、心のうちで唇を噛み締める。
「目の前に可愛い猫がいるのに見つめることもできず、触ることもできない――あれは一種の拷問に近かったわ。だから、今度は本物の黒猫を飼いたい。その子が許してくれるなら顎の下をくすぐって、撫でて、お尻を叩いて――とにかく思う存分戯れたいわ」
「あははは。なるほど。じゃあできれば黒猫。無理だったら他の猫で」
「ええ、他の猫も可愛いもの。白猫、キジトラ、三毛猫……ああもう許されるなら全部飼いたい。でも猫屋敷になりそうだから駄目ね。たとえどんな猫にせよ、巡り会った運命のその一匹に愛情を注ぎましょう」
「……猫を飼ったらセラの愛情がそっちに全部いってしまいそうだな。やっぱり飼うのはナシで」
リュオンはふいっと顔を背けてしまった。
「えっ、嫌よ! 飼いたい!」
私は上体を起こし、伸ばした両腕の間にリュオンを挟んで敷布に手をついた。
リュオンは覆い被さった私をびっくりしたように見上げた。
それから、目を細めて笑う。
「……猫だけじゃなく、おれのこともちゃんと愛してくれる?」
リュオンが両手を伸ばして私の頬を掴み、引き寄せる。
「誓うわ」
「ならいい、飼おう。楽しみだな」
「ええ、とっても」
目を閉じて二度目のキスを交わす。未来の旦那様に、心からの愛を込めて。
私たちの頭上ではいくつもいくつも星が流れていた。
《END.》
妹に全てを奪われた伯爵令嬢は遠い国で愛を知る 星名柚花@書籍発売中 @yuzuriha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます