第31話 戦争が始まる前に敗戦が決まった

「誰も…… 兵が誰一人として帰ってきていないのか?」


「はい……」


 ベッドの上で、いつもの威勢は鳴りを潜めたカローナの領主であるブレン伯爵は、気だるそうに横になりながら、部下から報告を聞いていた。


「ドラン側の街道は、謎のトゲで埋め尽くされたと聞いたが確認は出来たのか?」


「それが…… 辛うじて遠方から確認することが出来たのみで、正確な情報は入ってきておりません。その…… 情報確認が遅れていまして……」


 不確かな情報に、作業の遅延…… 短気で癇癪もちなブレン伯爵から、間違いなく雷が落ちると報告している部下も、周りの従者も覚悟した。


 しかし……


「そうか。下がれ」


「…………ハッ!」


 予想外の静かな回答に、報告に来た部下は一拍遅れて返答し、部屋を後にした。


「一人になりたい。しばらくお前たちも外せ。誰も入れるな」


 部屋にいる従者にそう告げると、戸惑いつつも従者たちはブレン伯爵の指示に従い、部屋を後にする。


 部屋に誰も居なくなったことを確認してから、ブレン伯爵は頭から布団を被った。



「こわい…… こわい…… こわい……」



 ブレン伯爵は布団の中でガクガクと歯を鳴らしながら体を震えさせていた。


 先ほどまでは、部下の手前やせ我慢をしていたが、限界だった。


 先に、精兵に電撃作戦を命じた日の晩から、この変調は現れた。

まるで、突然現れたというトゲの山が、運んで来たようだ。


こわい…… 今は、ドランが怖くて怖くて仕方がない。


 精兵が返ってこないという事で、情報は何も入ってこない。

 ドランにダメージは与えられたのか、それとも……


 カローナも、ドランとの唯一の街道を塞がれたら、後は大山脈を越えたメギアの町にしか行き来ができない。

 情報をやり取りするにはどうしても時間がかかる。


 さらに、物資の調達となると、山脈越えのルートは更に難儀だ。


 高級な嗜好品ならともかく、穀物のように大量に運ばねばならない物は、運搬費用を考えたらとても採算が取れない。

 それこそ、ドランから正規の市場価格で仕入れた方が何倍もマシな価格だ。


 いや、難しいことを考えるのは後だ。


 今は体調を戻すことを考えよう。


 そう考えたブレン伯爵は、震える身体に身をすくめながらベッドの中で縮まり込む。

 手の中には、つい最近手に入れたスライムの魔石を、真綿でくるむように大切に手の中に握り込む。


 この魔石を持っていると不思議と落ち着く……


ブレン伯爵が夢の世界へ逃避しようとした。が……



「お休み中のところ大変失礼します‼」


 泡を食ったように慌てた執事が、ノックもそこそこにブレン伯爵の寝室へ入室してきた。


「なんだ……」


 普段のブレン伯爵ならばすぐさま激怒し、この執事をクビにしていたところだが、今のブレン伯爵にそんなエネルギーは無かった。


「至急の面会希望です」


「ワシは現在、多忙のため面会謝絶とでも答えておけ」


 そう言って、ブレン伯爵は再びベッドの中に潜り込もうとするが、


「そ、それが…… メギア領からの使者で、ドラン領主のアルベルト・カヴェンディッシュ辺境伯からの書状を預かってきているとのことなのです」


「なに⁉」


 ブレン伯爵は、執事の伝えてきた内容を聞き、あわてて寝巻から着替えるために執務服を持ってくるよう従者を呼び出した。




 ブレン伯爵の屋敷の応接室には、恰幅の良い男性が座っていた。その顔に、ブレン伯爵も覚えがあった。


「これはこれはブレン伯爵、お休みのところを申し訳ございません。私、メギア領の御用商人のサーベロ商会の会頭のデュムランと申します」


「ああ。そなたの事は覚えておるぞ」


 何か月か前に、スライムの魔石を買わないかとの商談を持ちかけられたのだ。


 その魅力と希少性に目を奪われたブレン伯爵は、言い値でスライムの魔石を1個買っていたのだ。

 とんでもなく高額であったが、今はブレン伯爵にとっては心の拠り所であり精神安定剤のようなものであった。


「これはどうも。しかし、本日は私は仲介の使者として参りました。ドラン領主様からの書状をお預かりいたしましたので、お届けに参った次第です」


 そう言って、デュムラン会頭は、封蝋がなされた書状の筒を恭しく手渡した。


 そこには、ドラン領主のアルベルト・カヴェンディッシュ辺境伯の署名が記された書状で、


『カローナとの人的物的な交流を全て断絶するとの文言が記されていた。


「こ…… これは……」


 ワナワナと震えるブレン伯爵に、


「特に回答には期待していないとのことです。それでは、私はこれで」


 口頭での伝言も伝えて、自分の任務は果たしたとばかりに、デュムラン会頭が席から腰を上げかけると、


「ま、待ってくれ‼」


「はい、何でしょう?」


「返信の書状をこれから書くから、ドランの領主へ届けてもらえないか? 大いに誤解があったようなのだ」


 ブレン伯爵は慌てて、デュムラン会頭を引き留める。


「それは無理です。私はあくまで書状を送ることと伝言だけを言付かってきたので、」


「なら、なぜ最初から……」


「メギア領主の正式な代理なりが来なかったのか…… ですか? 一介の商人の私には分かりかねますが、私を使者としたことが、ドラン側にとっての意思表示になるのではないでしょうか?」


「…………」


 ブレン伯爵は押し黙ってしまった。


 ドラン側の怒りが相当なものであることに気付いたためだ。


 今までも良好ではない関係だったものが、今回のカローナ側の武力行使でさらにこれ以上ないほど悪化したのだ。


 ドラン側からしたら、最早必要な相手ではないと切り捨てられたということだ。


「それに、私がこちらへ赴いたのは、ドラン側の最後の温情だと思いますよ。今回の旅費や手当は全てドラン側から費用をいただいております。さて、ここからは使者ではなく、商人としてのお時間です」


 そう言って、ニンマリとデュムラン会頭は笑った。


「ずばり直球で伺いますが、穀物の貯蔵については、カローナは今かなりマズい状況にあるのではないですか?」


 デュムラン会頭は、小細工の一切ない直球で勝負してきた。


 まるで、小細工などせずとも、そちらはこちらの条件を飲むしかないだろ? と読み切っているという事を示しているかのようだ。


 現に、ブレン伯爵は青くなった。


 恐れていた事態。


 かつてのドランのように、相手の言いなりになるしかない身に自身が堕ちたことを悟ったのだ。


「それでは、商談に移らせていただきましょう。な~に、心配はいりません。スライムの魔石は最近、また価格が上がりましたからな。この間、購入した物を手放せば、民が飢えることはないでしょう。あ、次回からは、私の旅費はカローナ側で負担をお願いしますね」


 そう言って、デュムランは青い顔のブレン伯爵に笑いかけながら、商談に移った。


 結局、カローナ側は、ドランから買い叩いていた頃の10倍の値段で、穀物を購入することで話がまとまった。


 これでは確実に領内は暴動になる。


 そのことを思うと、ますますブレン伯爵の体調は悪化するのであった。

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