せいじょのたまご

サイリウム

1:いつもと違った朝

飼っている鶏の鳴き声で目を覚ます、いつも隣で寝ているはずの母がいない。そっか、今日は依頼の日だったか。もう一度夢の世界へ誘おうとしてくる瞼を擦り、なんとか現実世界へと留まる。いくらか改善したはずだがやはりこの体になっても朝は苦手だ。


と言ってもすでにこの体で六年、不便はあるがこの世界での生活にも慣れてきた。ベットの下に置いてある籠から自身の服を取り出し、急いで着替えながら下に降りる。木製の、勾配が急な階段を駆け下り靴を履いて玄関口まで走る。


そこにはすでにいつもの仕事着である皮鎧、全身を鞣した皮で覆い重要な部分は軽い金属で補強されている物を装備した母がいた。開け放たれた玄関から外の空気が入り込み、短くまとめられた赤い髪が風に揺られる。そんな風と、朝の陽ざしに私は目を細めてしまう。たぶんその様子が可笑しかったのだろう。何か微笑ましいものを見るような目で私を見つめる母は、さっきまで手入れしていた父親の遺品である長剣をどこか品を感じさせる所作で、鞘に納めた。



「おはよう、朝はもう食べたの?」


「おはよう、今日は私の方が早かったね。作り置きの料理おいしかったよ。」



優しい母の顔から、頼りになる父親代わりの顔に。快活に笑いながら戦士としての顔を出してくれる母親、私が何も知らぬ子どもであればその全てを信用できたかもしれないが、この魂は二度目の人生を歩んでいる。この世界が昔過ごした現代と比べると信じられないほど危険で、こうやって子供が不安にならないように笑ってくれる母が帰ってこない可能性があることを私は理解している。


その愛が、眩しいほどにありがたく同時に彼女に負担をかけていないかとても不安だ。


この場にいない偉大な戦士であったらしい父。彼を思い出しているのか愛おしそうにその柄を一瞥した彼女は優しくこの頭を撫でてくれる。ちょうど、母が大事そうに扱う剣が私の目の前に。鍔の装飾に柄頭に嵌められた魔道具の宝石、部族の長から下賜されたらしいそれは素人目でもかなりの品だとわかる。惜しむべきはその剣を握る父どころか、彼の顔を見ることができなかったことだろう。私が生まれる前に死ぬ、前世において家庭を持ったことがないこの身に、父親の気持ちは解らないがさぞ無念だったことがわかる。


一瞬、もし父が生きていれば母はどのような顔をしたのだろうか、どのような生活を私たちは送っていたのだろうか。そんなことを考えてしまうが失った人は帰ってこない。それに私は父がどのような人であったのかについて母からしか聞いたことがない、彼がどのように生き、死んでいったのか。母が何を託されたのか、それは二人にしかわからない。娘だとしても、入り込むべきじゃない。頭にのせられた母の温かさを感じながらさっきまで考えていたことを忘れる。



「ありがとう……。今日は木こりさんたちの警護だっけ?」


「だね、まぁ魔物が来なかったら楽な仕事。実入りもいいし早く帰ってこれる。」


「じゃあ夕飯も早めに用意しとく、もちろん豪勢に。」


「ふふ、じゃあなおさら早く帰ってこないとね!」



母は、冒険者だ。もっと正確に言えば辺境の村に住む数少ない冒険者の一人、しかもさらに珍しいワンマンで動く冒険者だ。一人だからこそチームを組むほかの冒険者のように金銭の問題や人間関係で揉めることはないがその分死の危険性がより身近になる。組合の者や他の冒険者に聞いたところ母はかなり強くチームを組んでも他の者が足を引っ張ってしまうが故のソロらしいが……、やはり心配してしまう。



「今日もちゃんと帰ってくるから、心配しないでね。」


「……うん、行ってらっしゃい! ママ!」


「はい、行ってきます。司祭さんにもよろしく言っておいて。」



不安が顔に出ていたのであろう、いつものように私の眼を見ながら笑いかけ、頭を少し乱暴に撫でる。母としての役割と、死んでしまった父としての役割。その両方をこなしながら生きるための日銭を稼ぐ。本当に頭が上がらない。……私は、この人の娘として顔を上げ、笑い、送り出す。そして帰ってきた彼女を迎えるのだ。


母が見えなくなるまで手を振って家から彼女を見送る、これが私の日常だ。



「……うん、日が昇る前にさっさとやっちゃおう。」



両頬を叩き、気合を入れ直す。ここからは家を任された私の仕事だ、母が外で稼ぎに行っている以上私はこの家を切り盛りしないといけない。優しい彼女はこの村の中で自由に遊んでもいいと言ってくれるが、そんなことしている暇はない。私が頑張ればその分母の負担が減る。これでも前世で一人暮らしは長かったのだ、毎日同じことをしているし全然苦ではない。


それにこの辺境の村は周りを森で囲まれた非常に閉じた社会、そして魔物の脅威に怯えなければならない危険な社会だ。みな気のいい人たちだが、何かあった時のためにも、関係性を良好に保つことは重要。いつも仲良くしている人と、あまり話したことがない人、どちらを先に助けたいと思うかは明らかだ。


水瓶の近くにおいてある桶の束を持ち、玄関から外へ飛び出す。家の中のくらい世界から明るい世界へ、暗き森の中に人の手によって作られた太陽に照らされた場所、それがこの村だ。100人ちょっとの皆が全員の顔を見たことがあるような小さな世界だが、私にとっては生まれ育った大きな社会。未来の大きく広がりすぎていくつもの小さな社会を構築していた昔とはすごい違いだ。


目的地は村に一つしかない井戸まで走る。私が生まれる前から存在しているこの村の生命線。村の中心から少し離れた場所にあり、私たちの家からは歩いて数分。すれ違う顔見知りの人たち、今から外に出て仕事に励む人たちに挨拶をしながら町の中心を通り過ぎ、井戸までたどり着く。


すでにそこには村のお母様方が集まっており、井戸端会議がすでに開催されていた。



「おはようございます!」



元気な幼子らしく、親の手伝いを率先してやる子供の笑顔を張り付け村の人たちに挨拶していく。こういった日々の積み重ねは大事、案外馬鹿にならない。それに主婦様方の情報網は侮れないものがある、いつ外から商人がやってくるだとか野菜がたくさん採れたから安く譲ってもらえそうなど、家のことを任せてもらっている私にとって無くてはならない情報源だ。それに時たま子供は出ることが許されていないこの村の外の情報も流れてくる、何か母のためになる情報を手に入れられるかもしれない。



「あらら、今日もユアちゃん早起きで偉いわねぇ。ウチの息子も見習ってほしいわ!」


「あ、あはは……。」



まぁこのようにちょっと返答に困る話を振られる時もあるがそこは愛想笑いで逃げるしかない。簡単な挨拶と水汲みの順番が回ってくるまでの談笑でおば様方の好感度を上げ、情報を仕入れていると自分の番が回ってくる。今日は何か目ぼしい話を聞くことは出来なかった、だが何かためになる話を聞けること自体稀なのでそういうものとして割り切るのみ。


紐が繋がった桶を井戸の中に落とし、水音を確認する。うん、十分な水が溜まっている。


いつものように体の中をめぐる血とは違う魔力、この世界独特の力を体中に巡らせ簡易な身体強化を行い、桶を引き上げ、自身の桶に水を移していく。これのおかげで重労働かつ何度も家と井戸を往復しないといけない水汲みが簡単に終わる。幼い私にはまだ簡易な強化しかできないが、これでも魔力を持たない成人男性の倍程度の力が出せるようになるから便利だ。



「いつ見てもユアちゃんすごいわねぇ。ウチの分もやってもらおうかしら?」


「ほんとですか、じゃあ一回銅貨5枚でどうです?」


「も~! 今月厳しいから勘弁!」



そんな冗談を挟みながら奥方たちへ別れを告げ自宅へと戻る。井戸の周辺にこれ以上いても目ぼしい情報は手に入らなそうだし、おば様たちに可愛がられておもちゃにされることは明白。家の仕事もあるし、教会でのお仕事もあるから、と断りを入れてから元来た道を戻った。


棒にかけられた桶たちを片方の肩で担ぎながら家の玄関の扉を開ける。汲んできた水の一部を空になった水瓶に追加し、残りは家の隣で作っている野菜畑へ。現代で見たスーパーなどで手に入る野菜と比べれば品種的にも栄養的にもかなり劣る野菜たちだが、やはり自分で育てているとなると愛着も沸くし食べるとおいしく感じる。



「ま、魔力っていう不思議存在のおかげかもだけどねぇ……。」



詳しくは知らないが、土壌に魔力が宿っているとそこで育った農作物にも魔力が宿ることがあるらしい。まぁ土壌が豊なところで育てた野菜はおいしいってことだ、こういう不思議存在は便利に使うだけに限る。小難しい学説やらは偉い学院の偉い学者様たちに任せた。


そんなことを考えながら水やりと雑草の処理、あとはちょっとした手入れ。今の時期は収穫期のためそこまで厄介なことがないのが救いだ。土掘り返して一から畝とか作るのは身体強化があっても重労働でしんどい、できればやりたくないからね。



「あとはウチのピィ助どもに飯をやって……。あ、今日もちゃんと産んでるな。『卵検査エッグ・チェック』」



食べごろな野菜、今日の夕食の食材に目星を付けた後は離れにある鶏小屋へ。餌やりや小屋の中の掃除をしなくちゃならない。ウチの母親は体を動かす職種だし私だって成長期だ。卵という食材は必須、ちゃんと世話をしてやらないといけない。それにこの世界、この村において鶏はかなりの高級品だ。安定したたんぱく質を入手できるが、番で購入しようとなるとかなりの値段になる。世話する手にも気合が入るってわけです。


そんなことを考えながらこの村の教会の司教に教わった魔法、『卵検査』を使用し受精卵か否かを確認する。鶏の番で大金が手に入るのだ、そのもとになるひよこを誤って食べてしまうほどもったいないことはない。


こういった便利な魔法は、親の血筋のおかげか普通の村人がほとんど持っていない魔力を自由に扱える私だからできることだ。……まぁママは私より何倍も魔力持ってるし、お世話になってる司教もそうなんだけど。



「……やった! 受精卵じゃん! ようやったねぇ~!」



受精卵の発見はそんな自嘲じみた考えを吹き飛ばす出来事だ、文字通り金の卵を産んでくれた雌鶏に思わず抱き着いしてしまう。それぐらいうれしいのだ、だってまとまったお金があれば母が危険な仕事に行く必要性も薄れる。それにこの卵がひよこになり、また新しい卵を産む鶏になればさらにお金が増える。ただの卵でも無視できない収入になるしね。



「ふふ、頑張って育ててね?」



少しでも丈夫に育つように自身の魔力を少しだけ流し、ピィ助たちの巣に戻してやる。残りの無精卵は今日のご飯行きだ。余った分は近くの人に売りつけたり何かのお礼に上げることもできるんだけど……、今日は全部私たちで食べてしまおう。ママに豪勢にするって言っちゃったしね?



「っと、気を緩ませたらまた変な失敗しちゃうよユア。しっかりしっかり。」



年のせいか、それともうれしい出来事のせいか。緩む頬を頑張って律しながら卵を入れた籠を片手に家へと戻る。そっと、ゆっくり慎重に、だ。脳裏によぎるのは数か月前に大事な卵が入った籠を全部ひっくり返してしまったこと。もうあのような失態はしたくない。


無事家の中まで到着し、卵を安全な場所まで運ぶことに成功。ほっと一息だがまだ私の仕事は終わらない。家の掃除に私とママの分の服を洗濯、それが終われば教会での仕事もある。休んでいる暇はないが……、朝から何も食べていないことは確か。卵の識別に身体強化と魔力を使ったせいかお腹も空いている。



「ぱっと作りますか、ママの食器も洗わないといけないし。」



この世界、と言っても私はこの村から出たことがないのでこの村の一般的な食事になるが大体朝と晩の二回食べるのが基本だ。まぁママみたいなキツイ肉体労働をする人は昼も食べるみたいだが私は二回だけでいい。その分たくさん食べるけどね?



「『種火グルート』」



かまどに薪を投げ入れ魔法で火をつける、後は昨日の夕食の残りが入った鍋を置いておけば大丈夫だ。その隙に他を用意しよう。吊ってあるベーコンの塊を取り外して二切れ分切り取る、前世の日本であるような薄いのじゃなくて分厚くね? あとはパン、所謂黒パンを薄切りにしておく。


黒パンはその名の通り黒いというか茶色いパンなのだが、見た目からわかるように本当に硬い。幼子であるこの身が嚙り付けば乳歯が持っていかれるのでは、と思うほどに固い。包丁で切る感触もちょっと柔らか目の材木を切り取っているような感触だ。そのため食べるときはこんな風に薄くスライスしたり汁物につけてふやかすのがいい。



「そのための鍋なんだよね~。」



いつもなら、というかママがいるときは絶対にしないのだが今この家には私しかいない。だからこそできるちょっとした横着。どうせふやかして食べるのなら温めてる汁物にパンを放り込んでも一緒だろうと。ということで温まってきた汁物、根菜や葉物・大麦などを煮込んで干し肉で味付けしたものに薄く切ったパンを沈めていく。ちょっとかき混ぜて蓋をしておけばいい感じに染み込んでくれるだろう。



「あとはメイン、っと。」



火にかけていた鍋を食卓の方に移し、今度はフライパンを乗せる。投入するのはさっき切っておいたベーコン。この村の外から商人が運んできた豚の肉だ。締められる前の秋にどんぐりでもたらふく食べたのだろう、脂が乗っていていい肉だ。油をひかなくてもこれだけで十分、味付けも長期保存のため塩漬けされているため必要なし。もちろんおいしい、ちょっと値が張ること以外は満点の食材だ。普段は一人で食べないんだけど、そろそろ消費期限が近づいてきている。今日の夜までに使い切る予定なので特別だ。決して食欲に負けたわけじゃない。


そこに今日取れた卵を一つ放り込む、目玉焼きだ。昔はソースだの醤油だのとよく騒いでいたのを覚えているが、ここにそんな便利なものはない。作るのにもレシピなんか知らないし、おそらく知っていたとしても手間が掛かり過ぎて作れないだろう。


前世暮らしていた日本は食べ物が豊富で洪水が起きるくらいだった。探せばなんでも手に入るし、ネットを使えばすぐ届く。作り方も調べれば出てくるし、金さえあればなんでも食べれた。正直にいうと懐かしいし、今でもその恩恵にあやかりたくなる。白米や味噌を一生口にできないのは非常に口惜しいが……。



「ま、記憶持ち越せただけで幸せだよね。」



変なことを考えているうちに、ちょうど卵にも火が通ったようだ。そのままフライパンも食卓の方に運び料理終了。今日の朝ごはんが完成する。何度も言うがママがいるときは夕飯はもうちょっと本気出すのだ、朝の私しかいないときは適当だけどいつもは違うのだ。だって食器洗うの面倒だし……。



「いただきます。」



冷めないうちに口に運んでいく。量は大体前世の成人男性が満腹になるくらい、汁物の残りが結構なボリュームを占めている。そのせい、ってわけでもないがほぼ流し込むように食事を進める。この後鍋やママの使った食器を洗ったら洗濯して掃除、日が昇るまでに終わらせないといけない。そりゃぁ早く食べる方がいいよね。


私の食べる量、この村の同じ年齢の子供と比べるとかなり多い。詳しい理由はわからないが、魔力か血筋かなぁ? と推測している。魔力を使えば疲れるしお腹が減る、その分食べる量が増えると胃の容量も大きくなる。ママもかなりの健啖家だし、両親の所属していた部族も皆かなり食べる方だったみたいだ。ちなみに両親は部族から離れこの村にやってきたため、同じ出身の子はこの村にはいない。といっても外見的特徴は他の子と似たようなものだし、言葉の違いもない。いじめられたりとかはないから安心してほしい。



「まぁちょっと距離を置かれてるのは確かなんだけどね、実際純粋な幼子たちに混ざって遊べるほどの精神年齢じゃないから助かるんだけど。……っと、ご馳走様。」



距離を置かれているのは単純に顔を合わせる回数が少ないから、基本私が話すのって大人相手だし子供たちが遊んでいるような時間帯は基本教会での奉仕活動や司祭との勉強会に充てられている。まぁ奉仕活動の方は、変な力を持ってるから仕方ない話。でもそれ以上にうまみがあるからやめられないのよね、鶏だってその関係で司祭から格安で譲ってもらったようなもんだし。


そんなことを考えながら食べ終わった食器というか調理器具を水洗いしていく。石鹸みたいな便利なものはないから全部水洗いだ。一応作り方は知ってるんだけど……、油がね。動物性の油を使うと匂いがすさまじいことになっちゃうから作れませんし、使いません。地理的にオリーブが取れる地中海付近はかなり遠いし、商人に運んできてもらったとしても高すぎてとても手が出ない。ま、そういう不便を楽しむか慣れるしかないってことだ。


と、洗い物終わったから次は掃除ね。


よく創作の世界では掃除用の魔法で『お掃除が簡単にできちゃいました!』みたいなのがありますよね。魔力という不思議エネルギーのおかげでとっても清潔、なんの心配もなし。……まぁそんな便利なものなんかないんですよね。探したらそういう特異な魔法があるのかもしれませんけど、この村にそんなものありません。地道に手作業で掃き掃除と拭き掃除です。換気もちゃんとしてね?


簡単にぱぱっと終わらせて次は洗濯、水を含んだ布を振り回すわけですから結構な重労働。身体強化使わなきゃやってられません。ほんと魔力さまさまです。



「力の象徴みたいなもんですし、それぐらいできなきゃ困るんですけどね~。」



この世界には普通の動物よりも危険な魔物がいる、だからこそ権力者たちはより強い力。外敵から庇護下の者を守るための力を持つものが多い。つまり魔力持ちだ。お貴族様とか教会の人たちに多いみたいだよね。


私? 私は例外。この世界の歴史には詳しくないけど大体前世の地球に魔力やら魔法やら魔物やらを付け足したような世界になっている。私は前世でいうゲルマン民族の出身だ。まぁ今いる場所がフランスのどこかっぽいし、部族から離れて生活してるから『気高き民族の誇り~』みたいなのはない。そも精神はまだ日本人だし。


母親から聞いた話になるが、この世界のゲルマンは戦いを重んじるため魔力を持たなかったり体の弱い子供は間引くような習慣があったらしい。しかも大体ほかの部族と殺し合いしてるから基本的に生き残るのが強い魔力を持つ人間だったそうだ。ま、そんな習慣を数百年単位で行えばそりゃぁ魔力持ちしか残らないわけです。残酷な話だけど私もその恩恵に預かってるわけだからなんも言えないしね。



「と、洗濯おしまい! 日は……、結構上ってるな。早くいかないと。」



洗濯ものを干し終えると、簡単に身支度を済ませてそのまま家を出る。目的地は教会だ。村の中を少々歩き、その中心部へ。するとほかの民家と比べると特別丁寧に建築された建物、屋根に十字架が掛けられた教会が見えてくる。都市部の資金がある場所の教会なら白い染料などで壁を装飾したりするらしいが、あいにくこの村は金がない。辺境でしかも開拓村、この世界でも信仰はかなり重要だが支払えるコストには限界があるってことだろう。


首にかけ服の中にしまっていた首飾り、見習いではあるが修道士を証明するものを外に出しドアを開ける。



「おはようございます司祭様、お待たせしてしまい申し訳ありません。」


「いえいえ、大丈夫ですよユア君。」



この村の男性と比べると恰幅がよく、少し生え際が後退している男性。この人がこの村唯一の司祭だ。



「ではユア君も来たことですし早速……、その前になのですが、いらっしゃってます?」


「……いえ、今日は。」



ずいっと顔を近づけながら内緒話をしてくる司祭、仕方ないとはいえおっさんの顔が至近距離に近づくのは同性の経験があったとしても勘弁してほしい。いや比較的いい人なのよ? ただちょっと見苦しいな、って。


そんなことを考えながら彼には『いない』とだけ言っておく。見るからに安堵しため息をつく司祭、正直申し訳なさの方が勝るがこっちだって変に怒らせるのは嫌なのだ。この教会の奥にある女神像の上で遊んでいらっしゃる天使様が両手で大きなバツをつくり『言うな』と仰っている以上嘘をつくしかない。



「ふぅ、やはり天使様が見ておられるとなると気合が入りすぎてしまいますからね。朝から神聖な気配を感じていたものですから……、勘違いでしょうか? とにかく神の眼があろうとなかろうと皆のよりどころとなるこの場を清潔に保つことは必須です。掃除の方、始めていきましょうか。」


「かしこまりました。」



そう、私が教会で奉仕活動についている理由はこの眼にある。上位の聖職者でも認識することができない高位存在、神や天使といった存在を見ることができる力が私の眼に宿っている。同じ時代に片手で数えるほどの人数しか存在しない異能『聖者の眼』これがその力の名前だ。


言ってしまえば信仰する対象を視認できるだけの力であるが、この時代においては信託や神の意志を知る重要な役割につくことができる力。これだけで大司教と同格である聖女へ駆け上がることができるし、頑張れば枢機卿も夢じゃない。つまり食事や身の危険を感じずにかなり裕福な暮らしを目指せる便利な力なのだ。


……便利な力ではあるのがちょっと天使様! 司祭の頭部で遊ぶのはおやめください! 最近頭部の戦友たちが数を減らしているのを結構気にしてるんですよその人! 宗教画で拝見しましたけどあなた智天使様ですよね! そんなに偉い方でしたらそういうイタズラおやめください!



「? どうかしましたかユア君。」


「イ、イエ。ナンデモナイデス。」



彼の大事な毛髪が少々犠牲になったが……、うん。これも私の未来のためだ。どうせ早かれ遅かれ全滅する定めなのだ。許して司祭様? 肩叩きぐらいならやってあげますから。


そう、聖女になれればローマに行ける。そしてこの世界の聖職者は元居た地球と違いお給金が出る。こういった地方の聖職者だとその村の税の一部を配分される形になるが、中央であるローマになると彼らが管理する商業地区や農村からの税でかなり裕福な暮らしができるほどの賃金が支払われる。それさえあればママが冒険者をする必要がなくなるし、しかも都市で家を買えればこんな辺境よりも格段に安全な場所に二人で住むことができる。私はそれが欲しい。


ローマは前世の世界同様一度崩壊した都市だがすでに再建されている、宗教の中心地として恥じない立派な防壁に大量の人、一度内部に入ってしまえば死ぬまで魔物に怯える必要はない。侵略者などが攻めてくる可能性もあるだろうが、魔物なら都市に住む冒険者と聖騎士団が守ってくれる。人間であっても聖女という限りのある地位にいれば殺されることもない。



「(し、司祭の戦友が掃除し終わったところに散っていく……!)わ、私は外の方掃き掃除してきますね!」


「頼みましたよ~。」



この村は危険だ、今は平和に過ごせているが基本こんな辺境にある開拓村は魔物によって崩壊する。司祭に教えてもらうまで知らなかったが、開拓村はいわゆる捨て駒だ。人を派遣し、木を伐り、森を縮小させる。すると餌場や住む場所が失われた魔物が人間を襲う。撃退できればそれでいいが、撃退できなければ村は崩壊し人は死ぬ。そして国は崩壊した村にまた人を送る。その繰り返しだ。


そうしないと人間の活動できる範囲がどんどん小さくなる、仕方のない犠牲として送られているのが私たちだ。……実際、冒険者からすればお金になる。魔物を殺せば素材が手に入るし、開拓者たちを守れば報酬が手に入る。開拓者たちも元々町や村からあふれた人ばかりだ、自分の家と家族が手に入るのなら喜んで危険な場所に踏み込む、金さえ用意すれば身の安全は冒険者が守ってくれるから。国はそれの手助けをするためにちょっとした金の用意をしてあげればいい。あとは勝手に材木や魔物の素材を町に向かって輸出することで財貨を稼ぐことができる。そうやって経済が回るのだ。


これが、この社会の縮図だ。


今住むこの村に愛着がないとは言わない、顔を知る住民たちに思うところがないとは言わない。だけど私の天秤が傾くのは家族と自身の安全だ。本当に大事な人とこの世界を生きるために、生んでくれた恩、育ててくれた恩を返すために私は上に行く必要がある。



「……うむ、きれいになりましたね。ユア君そちらの方はちゃんとできましたか?」


「はい、大丈夫です。」


「よろしい、ではお勉強の時間にしましょうか。」



掃除を切り上げ教会の奥、司祭が所有する本が収められている部屋に移動する。視線を女神像の方に向けるとさっきまでくつろいでいた智天使様は像の上で昼寝を始めていた、一応その像天使たちの親玉である神様の像なんだけど……、いいのかな?


そんなことを思いながら司祭の私室、そこにある椅子に腰かける。前世の知識になるが大体この時期の本というのは命よりも大事で、その中にある情報も同じように貴重なもののはずだ。そのため教会に数冊、しかも鎖で本を守り頑丈なカギを付けるぐらいなのだが……、この世界では違うらしい。


魔法のおかげで本の制作が簡単になったのか、辺境の村の司祭が大きな本棚が埋まるぐらいの量を保有している。私が自由に読めるのは……、私がいわゆる聖女候補生みたいなもので、この人の野望に深くかかわっているのが理由だろうけど。



「今日は確か教会について……、でしたっけ?」


「はい、すでに本などで読んだかもしれませんが復習と貴方が目指すものについてさらなる理解を深めましょう。」



復習を兼ねてこの世界の教会権力についての説明を聞いていく。私はこの司祭しか教会の人間を知らないので何とも言えないが、結構理論的な話を好む人だ。つまり神がどうとかそういう話を長々とする人ではない。私自身実際に目で見ているためその実在は疑っていないが信仰心はほとんどない、そういうところを配慮してくれる人かもしれないが。


まぁつまり神学についての勉強じゃなくて、歴史として教会のことをこの人は今私に説明している。


この世界の教会、このヨーロッパ圏において一般的な宗教勢力である彼らの始まりは前世の世界と非常に似通っている。名前こそ違えどその創始者や弟子たちとの関係はそのままこっちに持ってきたのか? というぐらいだ。違うところと言えば彼らの言う『奇跡』が私のような信仰心のない人間でも修練を積めばできるということ、つまり魔法の存在だ。本来ならあのローマが崩壊したとき教会勢力も同時に弱体化するのだが……、そうはならなかった。長きにわたり繁栄を築いたかの帝国も魔法という便利な力があれども国家を動かすのは人間。魔物による襲撃や戦闘民族ゲルマンの流入の対処に失敗し国家はさらに廃れていった。


前世の世界ならその空いた権力者の枠にゲルマン民族が入るのだが……、この世界では宗教勢力がその代わりを担った。宗教と政治、その両方を手に入れた教会はさらなる拡大を進め人類が迫りくる魔の者に負けず生活圏を維持していくことになった。



「まぁ早い話、国家が一番初めに求められる暴力。つまり外部からの攻撃に対処する軍事力と内部の問題に対処する警察力。この両方をかの帝国が保有できなくなったため、信仰によって正当性を保証されている私たち教会勢力がその代わりを担った。というわけですね。」


「……今更なんですけどそういう話司祭がしてもいいのですか?」


「大丈夫ですとも、神は隣人への愛を教えてくださいましたが『外敵には容赦せず戦え、さもないと死ぬぞ。』とも教えられています。これが魔物じゃなくて外敵になっているのがミソでして……。」



あ、話脱線し始めた。


この司祭、どっちかというと神に仕える人間というよりも神学者という側面が強い。気が付いたらさっきまでの歴史の講義から聖書を引っ張り出して解釈のお話しに変わっている。いやまぁ確かに話が旨いのもあって面白いんですよ。でもこうなると話が長くて……。



(あ、智天使様。)



顔は興味深そうに、耳では話を聞き流していると女神像のあるさっき掃除していた部屋の方からドアをすり抜けて智天使様が入ってきた。眠そうな目を擦りながらふわふわ飛んでいるため昼寝から目覚めた直後なのだろう。



(えっと? 『今から? お散歩するので? ついてこい?』)



にこっと子供のように笑う智天使様、ナチュラルに思考を読んでくるがいつものことなので気にしていない。というわけでお話ししながら自分の世界に入り込んでしまった司祭を放っておいてお供することにする。まぁ信仰心はないとは言えこの人? この天使? 結構ぽいぽい祝福投げてくるからね、ついて行った方がお得なんですよね。知識は大事だけどこの世界は未だペンより剣の方が強い。使える奇跡、治癒の魔法とかそういうものが多ければ多いほど聖女への道が近づくみたいだし、こっそりこの場から抜け出して彼女についていく。



(『この前? 上げ過ぎて? 上から怒られた? だから今日はなし?』……あ、はい。)



私は見ることしかできないので口パクと身振り手振りから彼女の言いたいことを探り出していく。相手がこちらの頭の中をのぞけるので意思疎通は結構できる。まぁ実際に喋った方が早いのは確かだが。


この智天使様からもらった奇跡は三つ、治癒と解毒と耐性だ。司祭から聞いた話、天使から奇跡をもらうのは聖職者であれば誰にでもあることだが、それまでに年単位の奉公や善行を積んで天使に目をかけられてやっとのことらしい。まぁつまり6歳如きの私が三つももらっているのはおかしいのだ。



(呪文唱える必要もないし、魔力消費も少ない上必須とも呼べる魔法だから無茶苦茶ありがたいんですよね。実際様付けするのそういうののお礼的なこともありますし……。えっと、『再生の? 奇跡? あげようとしたら? 上から止められた?』……再生って確か時間経過とともに体力が回復していく魔法ですよね? 結構階位が高めの……。そりゃペーペーの私に上げようとしたら怒られますよ。)



なんで止められたんだろ? という顔を前面に出しながら浮遊する智天使様について歩く。正直『神様なんで止めるの♡ もっとちょうだい♡』という気持ちはあるが欲に走りすぎると何事も失敗するため固く封印しておく。



(この道は……、村の外? 見張り台か?)



村に唯一存在する道路、その端をフラフラと歩く。この子供みたいな天使様はその容姿に反せず思考もかなり子供に近い。寝たいときには寝ているし、遊びたいときは遊んでいる。今日みたいに誰かと散歩したいときは私が駆り出されたりすることもある。今日もいつものように何かを思いついて、すぐ実行に移したのだろう。私が村の外に一人で出れない年齢であることは彼女も知っている、となると村の外に続く道の私にとっての終着点は外部からの攻撃から身を守る為に作られた高台だ。……おそらくだがただ単に高いところに上ってみたくなったのだろう。



(『せいかい!』)



当たりのようだ。


見張り台、見張り台か……。今日の担当は誰だったか。とりあえず仕事の邪魔になることは確定だ、何か詫びとして手土産を持って行った方がいいだろう。智天使様、ちょっと外れにあるラウラさんとこのパン屋で何か包んでもらってきてもいいですか? 差し入れにします。



(『あい! まっとく!』)



狙うのはこの村でよく軽食として食べられているリング状のパン、ドーナツみたいな奴だ。まぁ見た目だけで味は黒パンだし甘くもない。穴のところに紐を通して持ち運べるだけの何の変哲もないパンだ。


大きさが手のひらサイズのため主食にはならないおやつ、だからこそ日によっては全部売り切れていることもある。すでに太陽は昇り切り正午も過ぎている、時間的に考えて今は夕方に買いに来る人たちのために仕込みをしている最中だろう。新しく焼いてもらうことはできない、その時は何か別のものを考えよう。



「おばさ~ん!」


「はいはい、ちょっとまってね~!」



パン屋に付き声をあげると奥からラウラおばさんの声、パン屋のおばちゃんだ。ここに来る間に見えていたが、煙が上がっていたあたり今ちょうどパンを焼いているのだろう。


ちょっとした金属音の後に奥からおばさんが出てくる。この村全員分の主食であるパンをほぼ一人で焼き続けている恰幅のいい女性、多分この村で一番体の横が大きい人。



「ユアちゃんかい! 夕食用の奴は今焼いているからまだだよ!」


「あはは、それはまた後で買いに来ます。今は別件で、輪っかのパンって余ってます?」


「あるよぉ、いくつだい?」



えっと、基本見張り台は2人体制でこの村にいる兵士は8人、非番の人もいるかもしれんけどとりあえず全員分は持って行った方がいいよね。あと私も食べたいし、智天使様も欲しがるはず。となると10か。



「10個残ってます? お代は司祭様付けでお願いします。」


「お? お手伝いだったのかい?」


「はい、ちょっと詰所の方々に差し入れを。」


「そりゃぁえらいねぇ!」



今私が首から下げている修道士をちらっと見たおばさんは大きな声で笑いながらパンを籠に詰めていく。そのまま持っていけるように、という親切だ。食べ終わった後の籠はたぶん兵士の誰かが返しに行ってくれる。


にしてもやっぱりこの村唯一の聖職者である司祭の名前は大きい、現金がなくても彼の名前さえ出せば大体どうにかなる。それに今回のお散歩での支出は智天使様が原因だ、あの人も喜んで出すだろう。学者肌だけど信仰はしっかり持ってるみたいだし。



「ほい、輪っか10個! 一つおまけしといたから隠れてもらっときな!」


「わあぁ! ありがとうございます!」



ちょっと無理して喜色を多分に含んだ声を上げる。こうした方がこのおばちゃんから受けがいいのだ、おまけしてくれたお礼ってやつだ。……この一つは司祭に上げよう。多分智天使様が『司祭に上げる!』って感じの顔してたっていえば泣いて喜ぶしお代も全部持ってくれるはずだ。



「というわけでパン上げるので黙っておいてくださいね。」


『あむあむ!』



ヨシ! 懐柔完了。未来の美食国家での食事を知っているせいかこのおやつ、ドーナツみたいなサイズだけど材料はベーグルでしかも味は比べ物にならないほど悪い。だけどまぁこの時代の人からすればおいしい部類らしく結構これは人気だ。なんか智天使様もおいしそうに食べてるし……、天使とかだったらもっとおいしいもの食べてそうなものなんですけどねぇ?


あ、ちなみに智天使様が食べてるのはほかの人にも見えるみたいで、食べ物が宙に消えていくのがわかるみたいです。



「じゃ、食べながら向かうとしますか。」



ポトポトと歩きまして到着しますのはさっきから言っていた見張り台とその下にある外へと続く道を管理する門。外縁部を丸太の防壁で囲んだこの村から外を見渡せる唯一の高所がこの高台だ。母から聞いた話だが、本来は複数の見張り台を建設する予定だったが資金不足のため建材が買えなかったので一つしかないという。


広大な森にぽっかりと空いた空間、森の内部では数少ない食料を取り合うために魔物や動物たちが血みどろの戦いを繰り広げている。そんな森の中に見通しが良い場所、しかも種族的に言えばかなり弱い人間がいるとなると、腹をすかせた化け物たちからすれば格好の餌場。


そんな奴らから身を守る為にこの村では森を切り開いたときにできた丸太を地面に突き刺し防壁を作っている。そして遮られた視界を確保するために見張り台、緊急時に少しでも逃げる時間を稼げるように兵士が置かれている。



「兵士さ~ん! 差し入れですよ~!」



そう叫びながらまずは門の方の警備をしている二人のところへ走っていく。



「お疲れ様ですポートさんにテアーさん。コレ、司祭様からの差し入れです。」



少しくたびれた中年のポートさんと最近兵士になったらしいテアーさんにパンを配る。さっきここまでくるときに見張り台の方を見上げたが上に上がっているのは二人。非番か夜番なのだろう。さすがに非番の人に届けるのは面倒だし、もともと智天使様が高いところに上りたいということから始まった散歩だ。残しておいても固くなりすぎてそのままじゃ食べられなくなる、全部食べてもらった方がよさそうだ。



「おぉ! 助かるよユアちゃん、司祭様にも後でお礼しにいかないとな。おいテアー、お前ももらっとけ。」


「……っス。」


「おひとり二つですよ~。……あ、非番の人たちには秘密ですよ。」


「お、じゃぁ酒の席で口を滑らせないようにしないとな!」


「じゃ、私見張り台の方に持っていきますね!」



ポートさんの方から静止の声が聞こえた気がするが、無視して見張り台の上に続く梯子まで走る。というか止まってしまうと『危ないし、自分が渡しておくよ』とか言われて上に登れなくなる。そうなるとここまで来た意味がなくなるので勘弁してほしい。


身体強化で魔力を全身に巡らせ、パンの入った籠の取っ手を口で挟む。あとは全力で梯子を駆け上がる。智天使様のように羽があったり、飛行の魔術などが使えればもっと楽に登れるなぁと考えれば到着。



「お届け物で~す!」



天使の羽を羽ばたかせて一瞬で登ってしまった智天使様を追いかけ、自身も昇り切る。あとは気が付いてもらえるように声を上げ、挨拶だ。たぶん下でのやり取りを聞いていたのであろう。見張り台の当番であるアレクさんとクリスさんだ。



「おいおい、危ないのによく登って来たな。」


「まぁまぁ、いいじゃないか。俺たちだって昔いいこちゃんじゃなかっただろ?」


「たしかに。……おっと、悪いなユアちゃん。いただくぜ。」


「どうぞ~!」



見張り台、使っている木材がこの村近くの森で伐採されたものなので強度は十分。だけど建築の技術が足りないせいで上のスペースはそれほど大きくない。狭い場所で窮屈そうにしている二人にパンを渡し、先に外を眺めている智天使様のところへ。



「おぉ……。」



風が吹き抜け、思わず声を漏らしてしまう。広がる世界、人の手で地道に切り開いてきたであろう町へと続く一つだけの道。村の住民たちが日々切り開いたことで出来た平野、そして暗く深い森。ずっと遠くまで広がる世界。木材やその場所にある資源はお金になるけどその分命の危険がある。


首を回し、反対側を見渡すと私たちが住む村。小さいながらも人が生きている証がそこにある。



(初めて見たわけじゃない。でも……、こうやって人の手で作られ、徐々に広がっていくもの見せられるとなんだか感動してしまう、な。)



多分、人間と比べ物にならないほどの力を持つこの天使様も一緒なのだろう。いつもの子供のような無邪気な顔はどこかへ行き、何かを微笑ましく見守るような顔をしている。



「……ん? あ!」



そうやって村の外を見渡しているとちょうど今外に出ていた大人たちの集団を見つける。運んでいる荷台を見るに木こりの集団、今日ママが言っていた依頼の集団だろう。となりでパンを頬張っていたアレクさんに思わず声をかけてしまう。



「アレクさん! あれ! あれ!」


「おう、朝出発した木こりだろ? 見た感じ今日もいいのが取れたみたい……、なんだ?」



こちらに向かって帰ってきて来る集団の様子がなんだかおかしい。何か慌てているような? 距離が遠すぎて何が起きているのか詳しくわからない。


視覚や聴覚を身体強化で強化することもできるけど、あれは魔力で無理やり強化されているようなものだ。幼いころから感覚器官に負荷をかけ過ぎるのは危険だ、ってことでママからも司祭からも止められてるし……。



「あ! 森からなんか出てきたぞ!」



アレクさんの声で弾かれたように視線を移す。暗く深い森から出てきたのは……、茶色くて大きな塊。



「あのサイズ……、魔猪か!?」


「ポートのおやっさん! 門すぐ閉めれるようにしてくれ!」



クリスさんの声が響き下にいる二人が急いで門を閉める準備に取り掛かる、村の中には戦えない人がたくさんいる。もし帰ってくる集団が慌てている理由が魔物だった場合、みんなを守る責任があるこの人たちは職務を全うしなきゃならない。


思わず、隣で浮かんでいる智天使様の顔を伺ってしまう。この人はなぜこの場所に私を? 子供っぽい人? いや天使だが何も目的もなしで動くことは考えれない。しかも目の前で日常からはかけ離れたイベントが起ころうとしている。



「こっちに向かってきてるぞ!」



アレクさんの声で思考の沼に沈みかけた精神が帰ってくる。軽トラックほどの大きさを誇る巨大な猪がこちらに向かってすごい速度で走って来てる。このまま直進されると確実に村の内、しかもあのサイズがあれだけの速度を出しているとなると丸太を埋め込んだ防壁じゃ耐えられないかもしれない。


外敵がやって来たことを知らせる鐘が私の真後ろで鳴る、戦えない上に私は治癒の魔法が使える。すぐさま後方に下がらないといけないけど今から見張り台に降りて村の中心に避難しようとしても、あの巨大な猪が村に入ってくる方が早い。……この場にいた方が安全だ。



「……! 誰か乗ってる!」



この場から動けずにただ近づいてくる猪から目を離せないでいると、上に誰か乗っていることがわかる。……赤い、髪。



「ママ!」





 ◇◆◇◆◇





娘の、声が聞こえる。


今日の仕事は比較的楽なはずだった。いつものように村の周りに広がる平原を少しずつ広げていく仕事、その護衛。森の奥地に踏み込み生態系の調査や、知能のある魔物どもの巣をつぶすのに比べればだいぶ安全だ。何せ動物も魔物も身を隠せる森林からは基本出てこない。出てくるにしても森の中では生き残れない弱い奴らだけだ。


単に運が悪かったのだろう、たまたま森の外縁部まで来ていた魔猪の気を引いてしまった。それだけだ。


この嫌なほどに広がり続ける森は定期的に木を伐り倒さなければ村が覆いつくされてしまう、生存圏内の確保のためにも、外貨を稼ぐためにも必要な仕事だ。たとえ木を切るときに発生する音が知能ある厄介な奴らをおびき寄せようともやらないといけない。


ま、森から飛び出した瞬間に背に乗れたのは本当に良かった。これのおかげである程度方向をずらせたし、人的な被害は出ていない。危険な外で死人が出るのはしかたないことだが、村全体の空気が悪くなるからね。ユアに嫌な気持ちをさせないように努めるのも親の務めだ。



「さ、そろそろ終わりにしましょうか!」



娘の私を呼ぶ声が聞こえる、高い場所から聞こえたということは見張り台の方に上っているのだろう。身体強化の魔法や司祭からローマの魔法を教わっているみたいだがそれでもまだ子供。もし村の中にこいつが入り込んで見張り台が破壊でもされたらユアの命が危険だ。早急に退治する必要がある。


一度村の防壁にでも頭をぶつけさせ、怯んだところを突こうと思ってたんだが……。やめだ。


全身に魔力を流し身体強化、鉄のように固い魔猪の毛を強くつかむ。あとは一気に体重を後ろにかけバランスを崩させる。



「っと!」



奴を一瞬空に浮かせ、さっきまで上に載っていた自分と奴の位置を変えてやる。速度をそのままに背中からひっくり返る魔物に、足のバネで衝撃を殺し切り着地する私。


これで完全にヘイトは私に移った。



「GBuOOOOOOOOOOOOO!!!!!」



魔猪の土砂崩れのような咆哮が鳴り響く、奴からすれば人間なんぞただ食われるだけの雑魚。自身が転ばされるなど許しがたいことだろう。鼻から出る息は荒く、目はすでに血走っている。明らかに怒っているが……、それが一番都合がいい、こと命の奪い合いにおいて怒りとは最初に捨てるべき感情だ。いつでも冷静に道を探り続ける、彼がずっとそう言っていた。


腰の剣を引き抜き、姿勢を低く保つ。


奴の強みはその重量と速度、そして大きく伸びた牙だ。体毛も非常に硬く、その巨体を支えるために骨も非常に強度が高いだろう。となると単なる刃物として使った場合弾かれる可能性が高い。エンチャントし、急所を一突きするのが最適で一番楽な方法。


魔力をさらにくみ出し、足と目にさらなる強化を施す。構えを刺突に合わせ、施すのは火。



「『火炎フラム』」



あの子にはまだ早いから教えていない、だが聡明な彼女のことだ。気が付けば私の手から離れいつの間にか自立していることだろう。だからこそ私たちゲルマンの火の使い方と、かっこいい母親見せなくちゃね。


必要とするフレーズを極限まで減らし、結果だけを引き出す。その分魔力の消費量も多いが……、今は関係ない。


剣に火炎を纏わせるのと、奴がこちらに向かって動き出したのは同時。


その図体からは想像できないほどの踏み込み、バリスタの矢の速度を超えた突進は鍛えられた兵士であろうと一瞬で腹を突き破られたであろう。……だが遅く、単調。



「……ッ。」



息を軽く吐き、猪の進行方向からずれる。姿勢はそのまま低く。


狙うは下腹部、ここ。


熱い毛皮を焼き切り、肉を貫き、骨の合間をすり抜けた先に到達する感触。心臓だ。


あとはさっと剣を引き抜き、付いた血を振るって払う。


剣を鞘に納めるのと、自身の後方で魔猪が倒れ伏すのが同時。



「ふふ、ちゃんと見てくれたかな?」



少し上を見上げれば手を大きく振りながらはしゃいでいるユアが見える。ふふ、あれだけ喜んでもらえるのならちょっとしたアクシデントもいいものかな?


手を軽く振り返し、魔物の方へ向き直る。今日は護衛依頼だけだったけど魔物退治もしてしまった。それにこのサイズで毛皮へのダメージも少ない。結構肥えてる個体みたいだしこれは結構な稼ぎになったねぇ……。ふふ、当分はユアと一緒にいてあげれそうだ。



「心配性だから、ね。」



毛皮はそのままギルドの方に流すとして肉の方は私たち優先で村と山分け、魔石は私の取り分。思ってもみなかった臨時収入の使い道としてユアに何を買ってあげようかと考えながら木こりたちの集団の方へ歩き始める。通常の依頼の方もしっかり終わらせないと。






 ◇◆◇◆◇






「わ! わ! わ!」


「ユ、ユアちゃんわかったから揺らさないで……。」



すごい! すごい! ママすごい! ね! ね! 私のママすごい! すごいよね智天使様!



『コクコク!!!』



思わず感情のままに隣にいたアレクさんの肩を掴み思いっきり揺らしてしまう。すごいよね! すごいよね! 私のママほんとにすごい! だってあの倒し方すごいんだよ! あんなに大きな猪一撃で倒したんだよ!


そもそもあんな巨体が車より速いスピードで走って来ているのに一瞬で上に飛び乗ってさ! そこから振り落とされないように捕まってさ! さらに重心を崩してあの巨体をひっくり返したんだよ! 普通の人間じゃ絶対できないのをあんな涼しい顔して終わらせたんだよ!


しかもね、しかもね! そのあとの魔法もすごいんだよ! あの火炎の魔法! 普通はただ高火力の火を発生させるだけの魔法なのに! それを剣にエンチャントさせてるんだよ! 炎の移動や形の維持、それに剣が熱で溶けないように魔力でコーティングさせて剣の鋭さの向上と火力の維持もしてるんだよ!


それを戦闘中にしながら身体強化もずっとしてるんだよ!


もっとすごいのは一撃で倒したところ! あんな固そうな毛皮と絶対固い骨の合間を縫って心臓を一突き! すごい! 人間技じゃないでしょ! 私のママすごい!



「……あ、あのユアちゃん? アレクの奴伸びてるからちょっとやめて」


「あ、ごめんなさい。」



パッと手を離すと伸びて口から泡を吐いているアレクさんが床に転がる、興奮しすぎていつの間にか身体強化を発動してアレクさんのことを振り回してしまったらしい。あちゃ……、やり過ぎちゃった。


急いで倒れちゃった彼に対して治癒の魔術をかけて蘇生を試みる。私のせいで、となると申し訳ないですからね……。いつも使う魔法とは違う奇跡、脳内の感覚を切り替える。



「『治癒』」



温かい光が私の手に灯され、それによってアレクさんが癒されていく。今回は多分軽い脳震盪なのでそこまで長時間の治癒は必要ない。ほんの十数秒光を当て続ければ自動的に光が収まる、これ以上回復できない場合はこちらから継続の意思を表さない限り勝手にやめてくれる。便利。



「と、これで完了です。時間がたてば起きると思いますので!」



それだけ言い残し、見張り台の二人を置いて急いで下に降りる。ママが帰ってくるのだ、せっかく門の近くに来ているのに出迎えないのはダメ。というか私がとってもお出迎えしたい気分。楽しそうにフワフワ隣を飛ぶ智天使様も同じようだ。


梯子を下りきる前に飛び降り門の方まで走り寄る、門の方ではすでに木こりたちの受け入れ作業が始まっている。警戒用の鐘が鳴らされたせいか、村の中に残っていた兵士や冒険者の人たちもこっちに来ている。あの魔猪もすぐに運び込まれるだろう。


最初は敵が来たと皆引き締まった顔をしていたが、何事もなかったように帰ってくる木こりたちと物資。それに背後に倒れ伏すあの大きな猪を見ればすぐに弛緩し宴だ宴だと騒ぎ始めた。確かにあれだけ大きな猪が仕留められたことは私の記憶の中にはない、今日宴で村のみんなに分配したとしてもかなり残るだろう。それに仕留めたのは私のママ、優先的にお肉を回してくれるだろうし当分食卓が豊かになりそう!



「あ! ママ!」


「迎えに来てくれたの、ユア?」



それまで装着していた革製の手袋を外し、細いけど力強い掌で思いっきり頭を撫でられる。えへへ! うれしい! ……ん?


顔に手を当てる、無茶苦茶笑ってる。さっきまでの言動を思い出す、無茶苦茶はしゃいでる。


は、恥ずかしい……。



「ふふ……、まぁたまには年相応でもいいんじゃない? 急ぎ過ぎてもいいことないでしょ? よっと!」



脇に手を入れられ、母の肩に乗せられる。



「こんなに大きいのは久しぶりだからね、今日は宴だ。少しぐらいだったら神様も許してくれるでしょ。……ま、私たちが言うことじゃないのかもしれないけどね。」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

せいじょのたまご サイリウム @sairiumu2000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ