壱10 廃教会の真実①

 かつ、かつ、かつん、と石造りの階段を降る。人が一人通れるくらいの幅しかない階段だ。壁には等間隔で灯りが点いている。その内、鉄扉が見えてきた。ヘルは躊躇なく取っ手を捻って、その中を進んで行く。ずずず、と鉄が擦れる音が響き渡ったけど、奴はどこ吹く風といったように歩みを止めなかった。

 広い空間だ。階段と同様にここにも灯りがある。おかげでなんとなく内装が把握できるけど、石壁しかない。何の変哲もないという言葉が似合っていた。




「おぉいシスタぁ、いんだろぉ」




 ヘルが奥に向かって声をかけた。返事はない。いたとしても素直に応じるとも思えないけど。それにしてもこの剣女、不用心すぎる。



「行ってみるしかねぇか」

「おいもっと慎重になれよっ」

「かかか、大丈夫だよ多分」



 多分じゃ駄目だろうが、なんて言葉を放つ間もなく、ヘルはどんどん奥へ進んでしまう。俺も慌てて後に続く。ところが、突き当りを曲がった所でヘルは立ち止まっていた。勢い余って背中にぶつかった。痛い、めちゃくちゃ硬い背中に顔面から突っ込んでしまった。




「急に止まるなよなんだよ」





 ヘルの視線の先を追う。

 鉄格子が見えた。いやここからでも分かる、牢獄だ。そうとしか形容できない区画が何個も、何個も、何個も、薄暗い空間にひしめいていた。



「なんだよ、ここ」

「まさか教会の下にこんな場所があるとはなぁ」



 何の為に作られたんだろうか。罪人を投獄するのは国の役目の筈だ。一宗教の一教団が有している、なんて話は聞いたことがない。そんなことは情報通じゃなくても知っている。

 しかも、賢神教の人間ですら状況を把握できてない廃教会なのに、こんな牢獄が存在しているのは有り得るんだろうか。ここの存在は国も知らないんじゃないか。




 キィ、と音がした。金属が揺れたような音だ。



「聞こえたか?」

「おう。あっちか」



 音の出所に向かって、ヘルは歩いて行く。臆している様子はない。肝が据わりすぎだろ、と吐き捨てそうになりつつ後に着いて行った。



「うおっ」

「うわっ!」



 牢獄の一区画、その中を見て驚愕した。

 下着姿の男が二人、宙に吊るされていた。天井から伸びる鎖に両手首が繋がれ、二人とも微動だにしていない。急いで安否を確かめると、呼吸はしている。気を失っているだけのようだ。



「こりゃあ酷ぇな」



 彼らの体には無数の切り傷と打撲痕があった。それに何故か濡れている。透明な液体だ、水だろうか。それにしてもこれだけなぶられて息があるということは、そうしている可能性が高いか。




「拷問されたって感じだな、理由は分からねぇが」

「……なんて惨いことを」

「おいクロト、何する気だよ」

「このままにしておけないだろ」




 見てるだけで辛い状態だ。早く降ろしてやらないと。このままじゃ命に関わってしまう。俺が男の腕に触れた、その時だった。




「おやおやぁ、何してるんですかぁ」




 牢の外から聞いたことのある声がした。反射的に振り向くと、ラキネアさんがぐにゃり、と笑顔を歪めていた。嗜虐的とでも表現するべきか、それ程残酷な顔つきに見えた。




に何の用でしょうか」

「……やはりあなたが?」

「ええ、そうですけどぉ」




 笑顔のまま、ラキネアさんは俺達を見ている。信じたくなかったけど、あっさりと認めているし大して気にも留めていないんだろう。




「外で俺に話したことは嘘だったんですか?」

「んー破門されたのは本当ですよ。ああ趣味の話もしましたっけ。他はまぁ嘘、でしたけど」

「じゃあてめぇ、異音騒ぎのことも知ってたのか」

「それはもう。多分わたくしのせいですし」




 ラキネアさんは、吊るされた男の方に視線を移した。嗜虐的な笑顔を更に歪ませていた。




「わたくし、もう一つ趣味があるんです」




 びゅう、と風が吹いた。隙間風ではない。明らかにこの場で突風が吹いたような音がした。恍惚とした表情で、目の前のシスターは舌なめずりをしていた。




「拷問……好きなんです」




 耳を疑った。この人は何を言ってるんだ。




「ご存知ですか、拷問って。とても楽しいんですよ」

「そいつぁ結構だが、音の正体に関係してんのか?」

「ええ、きっとそこの玩具の唸り声でしょう。ここは丁度堂の真下ですから」



 脳が理解をしたがらない。拷問が趣味、って一体どういう神経をしてるんだ。シスターだろうこの人は、破門されたのが本当だとしても、こんな非人道的なことが行えるとは到底考えられないことだ。



「さて、ではこちらからもお尋ねしますが」



 笑顔だった彼女の眼光が鋭くなった、気がした。表情は変わっていない。態度と口調に変化がないのが余計に恐ろしく感じられた。



「あなた方、それを助けに来た、という認識でよろしいでしょうか?」

「……だとしたらなんですか」

「ふふふ、こうします」




 また風が吹いた。今度は足元から、風が

 俺が反応するより先にヘルが動いていた。俺は突き飛ばされた勢いで、牢の外に出てしまった。



「んだこりゃあっ?」



 ヘルの手足と首に、風の鎖が巻き付いている。魔法だ。束縛の魔法がヘルの体を拘束していた。同時に牢の扉が閉められる。完全に囚われてしまった。



「ヘルっ!」

「おや? あまり痛がってないですね。しっかり捕まえている筈ですが。まぁいいでしょう、我慢も長くは続かないと思いますし」



 

 ラキネアさんは俺に視線を向ける。表情は穏やかだけど、内の狂気を滲ませるように、周りに風を纏わせていた。




「さぁ次はあなたです。大人しくしてれば痛いようにはしませんよ、その後は保証しかねますが」





 周りに武器になりそうな物は一切ない。あったとしても、俺の技術では扱えないだろう。だったら状況は変わらない。

 


 俺一人でやるしかない、ってことだ。




「存分に抵抗なさってくださいねぇ。その方がわたくしも楽しめますからぁ」




 ラキネアさんは纏った風を鎖に変えて撃ち込んできた。

 一撃、二撃、三撃、と紙一重で躱す。間髪入れずに次の攻撃が放たれる。鎖の軌道は視認できているから、少ない動作で避けられる。動体視力が向上している気がするのは、普段の体術訓練の成果だろうか。



「当たりませんね。では」



 攻撃が止んだ、と思えば、彼女が手を前に翳している。風の塊が大きく膨れ上がっていく。



斬風砲ゲイルキャノン



 巨大な風の砲弾が石の壁を抉りながら迫ってくる。通路を覆い尽くす程の大きさだ。咄嗟に近くの牢の中に回避した。魔法はそのまま俺の横を過ぎていく。どごん、と大きな音が響いた。突き当りの壁にでも当たったのだろう。




「いいですねぇ、実に壊し甲斐があります」




 ラキネアさんは饒舌だ。余裕綽々といった雰囲気をしている。遊んでいるのか、とさえ思わせる口調だった。




「当たってないでしょう、出て来なさい」




 少し顔を出してみる。さっきの砲弾が飛んできた。とても身を乗り出せる状況じゃないぞ。今の俺には魔法が使えないから体術しか対抗する術がない。剣、は一応持っているが腕前なんか関係なく、結局近付かなければ勝機はないだろう。発展途上でも、俺は体術に頼るしか方法がなかった。それも簡単にはいかない。

 この場所、直線なのがまずい。ラキネアさんは強力な風魔法を操っている。通路全域を覆ってしまう魔法も連発できるくらい、魔力も豊富に備わっているようだ。




「んー勿体ぶりますねぇ、まぁそれも長くは続かないと思いますがぁ」




 その通りだ。このままではジリ貧だ。今は彼女が悠長に構えているだけで、いつ痺れを切らしてこっちに来るか分からない。そうなったら。待て、そっちの方が都合がいいかもしれない

 いやそうだ、誘き寄せればこっちの攻撃範囲に入れられる。体術しかない俺にはそうするしかない。ここは耐久戦に持ち込むか。




「ああ、そういう作戦ですか」




 そう声がした、と思った時には目の前にラキネアさんの姿があった。鉄格子越しに目が合ってしまった。

 待てどう移動したんだ、足音もなかった。これも風を使ったのか。どんな練度してるんだよ。




「わたくし、接近戦ができないとは言ってませんよぉ」



 彼女の手には短剣が握られていた。順手に持ったそれを横に薙ぐ。俺は懐に飛び込むようにして斬撃を避けた。すぐに振り返って、枝のように切れた格子が見えた。切れ味が鋭い、なんていう領域じゃない。何か細工をしているのか。




「それ、ただの短剣じゃ」

「あ、気付かれました? 風魔法を付与してるんです。あまり使わないんですが、こういう時に役に立つんですよねぇ」




 格上、という言葉が頭をよぎる。俺だけで本当に勝てるのか。



斬風散弾ゲイルショット



 息つく間もなく、魔法が放たれる。弾は小さいが避け切れない。何発か被弾してしまった。皮膚が切り裂かれて血が流れる。腕と足に激痛が走った。致命的ではないのが幸いか、いや状況的にはそうとも言えないだろう。




「痛いですよねぇ、いいんですよ泣き叫んでも。そうしてくれるとわたくしも愉しめますからねぇ」

「……誰が」

「おや、ふふふ、良い目をするじゃないですか。賊にしておくには惜しいですねぇ」



 賊、何の話だ。侵入者を形容する言葉なんだろうが、そんなことに気を取られている場合ではない。一瞬でも気を抜いたら命を取られてしまう。散弾が飛んでくる。剣を盾にして防御した。風の勢いに押されて、後ろに飛ばされる。丁度ヘルが拘束されている牢の前だった。



「クロト!」

「……ヘル、大丈夫か」

「てめぇの心配をしろ! クソ、こんなもん」



 遠距離も、近距離も、ラキネアさんの射程距離だ。明らかに俺より強い相手だ。俺個人の実力ではきっとこのシスターには適わない。受け入れるしかなかった。情けない、と言い捨ててやろう。

 



 だから、相棒の力がいる。

 惨めだ、俺がもっと強かったら、と思えばきりがない。




「うおおおおお!」




 突っ込む。無策じゃない。ヘルの牢の前にするんだ。




「おや勇敢ですこと」




 ラキネアさんは冷静だ。短剣に持ち直して、俺に目掛けて振り下ろす。踏み込みを止めて剣撃を回避する。そのまま後ろに一歩下がる。痛みはあるが無視した。短剣の間合いには入ったまま、投げられたら当たる位置を維持して彼女の次の手を待った。




「ふふふ、手負いの獣程怖いものはありませんからねぇ」




 油断しない、という意味だろうか。短剣の間合いだが、彼女は風の鎖を撃ち込んでくる。さっきよりも距離が近い。でも見える。後方に下がる、三回、これはさっきと一緒だ。




斬風砲ゲイルキャノン




 横に転がるようにヘルの牢の反対側、空の牢の中に逃げ込んだ。そのまま再び息を潜める。




「逃がしませんよぉ」




 来た。俺の前に来て、三度短剣の攻撃が迫る。牢から出て逆へ、ヘルの牢の前に位置取った。振り向きざまにラキネアさんの短剣が顔を掠める。ぶぶぶ、と空気が振動する音が鼓膜を揺らした。

 すかぁん、と鉄が切れる音も同時に響く。格子が真っ二つになった。

 これを待ってた。俺は格子を乗り越えて、牢の中に入る。




「ヘルっ!」




 ヘルの手に触れる。瞬間、彼女の体が炎に包まれて、剣に変わった。拘束も解かれて俺の手に収まった。




『やるじゃねぇか』

「……いや、情けないよ俺は」




 ヘルを構えて、ラキネアさんを見据える。

 が、意外にも彼女は風を解いていた。目を丸くして俺を見ている。




「あの、もしかしてクロト・アスカルドさんですか?」

「え?」

「三か月前、ロッソ村であのー、誰でしたっけ、盗賊に与した、あのー」

「……シュウ・モダトですか?」

「ああそう! そのシュウ・モダトを捕縛したっていう」

「まぁ、そうですけど」

「やっぱり! ああ何てこと!」




 急にどうしたんだ。構えを解かないまま様子を伺っていると、ラキネアさんは恭しく一礼をした。



「これは無礼を働いてしまいました。大変申し訳ございませんでした」

「なんなんですか一体」

「ええ、全てお話しします。ええとそうですねぇ、うーん、気が乗らないけど、仕方ないかなぁ」



 何やら思案顔をしたかと思えば、いつの間にか渋い顔になっていた。こんな表情豊かな人だったっけ。




「重ね重ね申し訳ないのですが、わたくしにご同行願えないでしょうか」

「え、どこに」

「ギルドです、フォーディアの」

「ギルド? も、もしかして」

「そうです、わたくしも領使なんです」




 衝撃の事実だ。それは想定外だった。

 俺は気が抜けてヘルを手放した。そのままその場にへたり込んでしまった。



 

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無限魔力のザコ剣士と黒い炎のブジン きんぐこぶら @jacodesu

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