いとだま

Planet_Rana

★いとだま


 日々と変わらず作業をしていたら、いつの間にか日付が変わっているだなんてよくある話だ。


 違ったのは、「作業」と言いつつ年末番組とソーシャルゲームに時間を費やし、今の今まで一文字も進捗が進んでいないという現状だ。まさに居眠りウサギの所業である。締め切りは勤勉なカメの足で背後から追い立てえっちらおっちら寄って来る。ウサギは走らねばカメに追いつかれてしまうので、ここのところで重い腰を上げ、沼に足を突っ込んだ自身をのろいながら前に進んでみようと思った。思って、それから数時間たつ。日の出である。ただの日の出ではなく、年代わりの一番手――初日の出、というやつだった。


 どうしようもない暮らしの中で、最低限のQOLを維持するだけで精一杯。買えないハガキも、届かない便りも、家計はひっ迫して貯金の「貯める」の「た」の字も満足に発音できないほどなのに、こういう時は見栄を張って美味しいものを用意してしまうのが親ごころらしい。地元の食材と地元の料理。暖かに煮沸した鍋のつゆは食べ始めるころに冷え切っていて、私が食べ始めるころには全員が食べ終えていた。実家暮らしには珍しくもない、いつもの食卓風景だ。


 隙間風がかけこみ、そろそろ手足がキリキリと痛むので長袖を取り出せば、雪のふった庭に出るかのような厚着で家を歩き回る者と遭遇する。毛足の長い靴下に手袋にセーターにカーディガンにダウンジャケット。我が家に耳当てがあったならそれも着けるだろうか。ヘッドフォンを首にかけながら、ぼんやりと思った。袖が余るその服で火を使うなと何年も口にしてきたが、本気で行動を改めてくれたことはない。夏場も手洗いにお湯を欠かさず、窓を開けず、掃除をせず、髪が伸びると文句を言う。そういうことをずっと見てきたものだから、私は同じ屋根の下で済むにあたって諦めの念を抱えている。たまに暇つぶしに編むニット帽と、それを見ている自分が、どうにも同じ文化圏の住人とは思い難い。この島には雪が降らない。あられが降るほど、寒くもならない。ただ、部屋の壁に断熱材が欲しいなと叶わぬ夢をぼやく。


 育てた鶏を食べることも、餌をあげた魚を捌くことも、野菜を洗うことも非日常らしい。栄養管理のために湯がいた野菜に文句を言い、耳が聞こえぬと補聴器を転がした口で言い、目が見えぬと作った眼鏡もせずに言う。あれは食べないこれしか食べないと毎日買い出しに人を送り出し、悪い膝をかばい、運動することはなく、時折隠れて菓子を食っている。

 外出せず、友人は殆ど無く、そして、誰の話を聴かずにこにこと場違いなことを言う。道徳と倫理をはき違えた見当違いなことを、言う。聞けばずっと前からこうだという。そうなのかと苦笑しかできなかった。


 もう幾つになるかも覚えていない。毎日同じ屋根の下にいるのにすれ違っても挨拶は無い。食事を分けているのでたまに人違いに声をかけられることがあるくらいだ。火がつけばたちまち恐ろしいことになるフェザーダウンで、熱湯をシンクに捨て、湯を沸かす。流し場に皿洗いが立っていようが、熱湯を掲げたその視界には誰も入らない。入らないと分かっているし、声をかけても驚かれるだけなので、何も言わずに場所を開ける。


 認識されないこと。理解されないこと。意識されないこと。


 何もかもに慣れてしまったので、もう何も言えないと思った。言わないと決めた。もういいと思った。勉強して応用して対応して何か少しでも変わるかと思ったこともあったが、そんなことはなかった。人はそう簡単にはかわらなかった。


 苦しいとも、悲しいとすらも思わない。優しくされた思い出はない。思い出になるほどのかかわりもない。だから変わらなければいい。ただ、これを改善するには骨を折りすぎた。犠牲と結果が釣り合わない。そう思った。

 ……私はどうしようもなく無力で、足を折られたウサギである。這ってでも前に進むために、カメに追いつかれぬよう筆をとりつづけている。あったことを忘れないように。酷い思い出だろうと誰かが覚えていられるように。何時か読み返したときに、今のおろかな私が思い出せるように。後悔できるように。


 島で生活するのにマフラーはいらない。冬は冷え込むが死ぬほどではない。少しの白湯と冷えた飯があればいい。


 前にあの人の手で編まれたマフラーは帽子になった後にほどかれて、跡形もない。

 年を明かした私の横で。雑な糸玉になって眠っている。




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