桜色の死体

大隅 スミヲ

桜色の死体

 どこかで見たことのある顔だった。

 しかし、彼が誰であるかを高橋たかはし佐智子さちこは思い出せずにいた。


「元F1レーサーだよ」

 そう佐智子に教えてくれたのは、相棒でひとつ年上の先輩刑事である冨永とみながだった。


 世界最速の貴公子。若い頃はそんな異名でテレビ番組などに出ており、甘いマスクであったことから女性人気も高かったとのことだった。

 そんな説明を富永から受けたが、佐智子にはピンと来なかった。でも、確かに見覚えのある顔なのだ。どこで見たのだろうか。佐智子は、元F1レーサーの男の顔をじっと見つめながら考えていた。


「桜色でしょ」

 不意に横から話しかけられた。


 顔を声のした方へと向けると、そこには紺色の作業着に身を包んだ鑑識係の佐藤さとうすすむが立っていた。佐藤は年齢こそは佐智子や冨永と同年代だが、サラリーマンから転職をして警察官になったため、まだ新人と呼べるぐらいに警察官歴は浅かった。

 手には耳かきの後ろについている梵天のような道具を持っている。確か正式名称は、検出けんしゅつ刷毛ハケとかいうもので、指紋採取などの際に使っている道具だった。


「一酸化炭素中毒で死ぬと、皮膚があんな色になるんだよ」

「そうなんですね」

 佐智子が感心しながら佐藤の言葉に頷いていると、冨永がふたりの間に入ってきて質問を口にした。


「やっぱり自殺ですか、佐藤さん」

「まあ、そうでしょうね。練炭もそこに置いてありますし」


 佐藤が指さした先には、練炭の入った七輪が置かれている。部屋の窓ガラスなどはすべてガムテープで隙間を埋められており、これは捜査をするまでもなく、佐藤の言う通り自殺と考えてもよさそうだった。

 しかし、疑うというのが刑事の仕事である。見た目では自殺の線が濃厚であったとしても、偽装された殺人事件であるという可能性も高い。

 富永もそう考えているようで、先ほど機動捜査隊から引き継いだ情報を話しはじめた。


「向かいのアパートの住人が男女の言い争う声を聞いたっていうんですけれど、やっぱり自殺の線が濃厚ですかね」

「うーん、どうでしょうね。そこを調べるのは我々じゃなくて、富永さんたちの仕事じゃないですか」

 佐藤が富永に言葉を返す。特に荒い口調とかではなく、お互いに静かに話しているのだが、逆にそれが怖かった。


 きょうは、やけに二人とも好戦的だな。

 富永と佐藤の会話を聞きながら、佐智子はそんなことを考えていた。


 でも、やっぱりどこかで見たことのある顔だ。

 もう一度、その顔を覗き込みながら佐智子は記憶をたどる。


「なにがそんなに気になるんですか、高橋さん。もしかして、タイプだったとか?」

 冗談なのか本気なのかわからないような口調で佐藤がいう。


「いえ、どこかで見たことのある顔なんですよ」

「え、世界最速の貴公子でしょ」

「それじゃなくてですね……」


 もう少しで思い出せそうで思い出せない。このモヤモヤ感は何なんだ。

 佐智子はストレスを感じていた。


「指輪のCMじゃねえのか」

 隣の部屋から声が聞こえてきた。特徴的な濁声。間違いなく鑑識係のボス猿こと新宿抽象署刑事課鑑識係長の清原警部補の声だった。


「指輪ですか?」

「そうだよ。奥さんに結婚10周年のお祝いにとかいって、指輪を買ってやるCMだよ。あのCMのせいで、おれは母ちゃんに『うちも指輪を買え』ってしつこく言われたからよく覚えているんだ」

「あ……それだ」


 佐智子の脳裏にそのCM映像が流れた。

 彫りの深い顔立ちの男性がスポーツカーに乗って、夕日の見える海岸で奥さんに指輪をプレゼントするのだ。

 そうか、あの時の男の人は元F1ドライバーだったのか。だから、スポーツカーに乗っていたんだ。佐智子の頭の中でジグソーパズルが完成した瞬間だった。



 ※ ※ ※ ※



 玄関のチャイムを鳴らすと、見覚えのある顔の女性が姿を現した。


「警視庁新宿中央署の高橋です」

 佐智子がそう名乗って身分証を見せると、女性は頷いて佐智子と富永を家の中へとあげてくれた。


 佐智子は、彼女を誰だっけと悩む必要はなかった。

 彼女は、元世界最速の貴公子の妻で女優である。そして、あのCMに夫婦で出ていた。

 なによりも佐智子を驚かせたのは、彼女があのCMの頃とほとんど変わらない姿でいるということだ。確かに多少は歳を取ったというイメージはある。しかし、姿形はあの時のままなのだ。


 佐智子と富永は彼女から話を聞くためにやってきた。

 彼女には、元夫殺しの容疑が掛かっているのだ。


 司法解剖の結果、彼女の元夫の胃袋の中からは大量の睡眠薬が検出された。

 世界最速の貴公子は、睡眠薬を飲まされ、意識を失った状態で練炭を焚かれて殺されたのだ。これは自殺に見せかけた他殺だった。


 佐智子は彼女のアリバイを確認しながら、例のCMの話をはじめた。

「わたし、あのCM大好きだったんですよ。スポーツカーで海辺に行くやつ」

 そう佐智子が言った瞬間、彼女は号泣しはじめた。

 佐智子と富永は顔を見合わせ、何が起きているんだと困惑した。


「刑事さん、私が殺しました」

 突然の告白だった。

 彼女は元夫との間にいる、ひとり娘について話し合いをしていた。

 娘は女優になりたいと言っていた。彼女は娘が自分と同じ道を歩んでくれることに感激したが、元夫は違った。猛反対をして、大手事務所などに娘をデビューさせないように圧力を掛けて回ったのだ。

 そんなこともあり、彼女は元夫を憎むようになっていった。


 そして、彼女は最終手段に出てしまったのだ。


 理由はどうであれ、殺人は犯してはならない罪だった。

 彼女の身柄は新宿中央署へと移され、取り調べが行われることとなった。


 自殺に見せかけた殺人事件。

 ワイドショーでは、連日にわたって事件を報道していたが、佐智子たちはその報道を見る暇はなかった。すでに次の事件が発生し、現場を駆け回っているのだった。

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