向日葵の咲かない夏 獏

@Talkstand_bungeibu

とある授業にて

『卯月の10日』

土間にて火を焚き、急須のお湯を沸かす。障子戸を抜け屋内に流れ込む風に柔らかい暖かさを感じる。気付いたら羽織物も薄手になっていた。

「お母さま、行ってきます」

戸を閉めながら息子が声を張り上げている。つい最近まで寒いと言って起き上がるのも不承不承といった具合であったが、今ではすっかり外出が楽しみのようだ。

「行ってらっしゃい。先生に迷惑をかけるものではないですよ」

「分かっています。それでは」

息子が出かけほっと一息つくのもつかの間、姑から声がかけられる。

「ヨシ子さん、来月のお田植祭の衣装はどうなっています」

「お義母さま、色合わせが終わりました。丈合わせも終わっております。後は刺繍ですので、再来週には終わると思います。」

「早くしてくださいね。忠道は3日後一度戻ってから、10数えるほど戻らないとのことですので」

そういって折りたたまれた紙面を手渡してくる。広げてみると、なるほど、予定がしたためてあるのみであった。

「すぐに取り掛かります」

そもそもお祭りが近いことは分かっていた。それ故、もっと早く進めたかったのだが、姑の華道に付き合わされ予定がずれ込んでしまっていた。姑は文字が読めなく、私は読める。そうした差を意識してか、どことなく引け目を覚えているようだ。そんな姑も華には優れた感性を持ち合わせているのか、よく楽しんでいるようだ。それは素晴らしいしぜひ学びたいものだが、こうした忙しない時期には止めてほしい。

息子は出かけ、姑の視線からも外れた。残り時間がないので焦る反面、そこに専念できる環境がかえって心を落ち着けているようにも思われる。


針を上に右にと動かしているとふいに昔の記憶が思い起こされた。それはまだ嫁いだばかりの頃だった。縁側で主人と二人して眺めていた庭先の黄色い花。遠く離れたところから持ち込まれたそれは、太陽に向かって真っ直ぐ伸びていた。「二人の生活もより明るいものになるよう、一緒に真っ直ぐ向かっていこうね」と約束しあっていた。あの頃は色んなものが希望に満ちていて幸せだったように思える。


「私はしばらく出かける」

四年ごろ前だろうか。それまでは外では厳しくも真っ直ぐで、家では私のことを気遣ってくれていた主人であったが、外に出かけることが多くなっていた。戻ってきてもしかめっ面で、こちらのことを見向きもしない。舅、姑も当初は親切だったが、その頃には「いて当然」の扱いをしてくるようになっていた。初の息子がまだ乳飲み子であったこともあり、本当に辛かった。私が彼らの生活に組み込まれたからなのか、息子という最優先事項に目が向いてしまったのだろか。いずれにせよ心の頼りであった主人もおらず、黄色い花を見ることもなく日々が過ぎ去っていった。


『文月の4日』

皐月の祭りを迎えて以降、少しは落ち着くように思われたけれども、主人はますます家に寄り付かなくなっていた。以前からよく分からないことを言っていたが、この頃は一層尊王がなんとかという言葉を用いるようになっていた。お国のことを案じており鼻が高いと思わなくもない。しかし、尊王というものは私たちの日々に彩りをもたらしたのだろうか、あの黄色い花のように。


『葉月の28日』

一通の連絡がきた。それは主人の死を知らせるものであった。「日ノ本に散っていった」と主人の勇敢さと生き様を讃えていた。しかし、全く喜びの念も無ければ悲しみもない。私たちが目指したかった「日」はとうの昔に散っていたのだから。郷愁を辿りたく庭先を見る。そこには、あの頃の黄色く真っすぐ伸びた花はもうない。


---以上、薩英戦争当時の徒士の生活参考記録、「ヨシ子の手記」より---

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