第3話 その神、石を忘れる
突如生まれ、力の競り合いで霧散消滅するような神々に、
人間のような親子関係、兄弟関係は無い。
だが、ある神域内に、突如として別の神域を持つ神が発生した時、
元々の神域の神と、その神域内に生まれた神を兄弟神と呼ぶ。
力の強弱を問わず、互いの神域内を通過できる。
ただそれだけのものであって、便宜上兄弟神と呼ぶだけなのだが、
階級に関係なく、許可も必要とせず神域を通過できる以上、
とても繊細な話でもある。
女神アマリリスと女神アユリリスは、
ある日、突然ローククォーツの神域内に同時に生まれた妹神だった。
高い櫓の狭い部屋は主人の力で暖色系のぼんやりとした明るさを保っていた。
外はすっかり暗くなった。
ほーほーと夜の鳥が遠くで鳴いている。
よくできている神域生物だ。
風が爽やかに吹き抜けるが、寒くも暑くもない。
二人は床に座り込んだアマリリスが落ち着くのを待った。
「それで、アユリリスが捕まるってなんのことだ?」
兄神が優しく妹神に問う。
「み、み、みんながね、あの子はおか、おかしいから、」
呼吸が戻らない。
鼻水と涙でぐちゃぐちゃな顔を兄神が自分の袖で拭いてやる。
”あの子はおかしい”
それは妹神が出現して以来、ずっと言われ続けていることだ。
アマリリスとよく似た顔立ちをしている少女は、
一見、何も変わらない。
この世界、誰がどんな姿や能力を持っていても当然である。
「おかしいって、なにが」
訊いたのはなんとなく立ち去れなかったイディオウスである。
ここで、込み入った話になりそうだから帰るね、と言うような神なら
低級神のいざこざに巻き込まれはしない。
彼は対面の兄神の横に座っている。
その尻の下にはあの石を敷いている、と言いたいところだが、
石は少女の下に敷かれていた。
どんな怪我でも治るのなら、気持ちも落ち着くかもしれないと思ったからだ。
「イディオウスはあの子と面識なかったっけ?」
「ないな。誰に追われているのか知らんが、そんなに癖が強いのか?」
癖が強い、と聞いてローククォーツは苦笑いを浮かべた。
「普通の子だよ」
ほんの少し間をおいて、兄神は答えた。
「みんなが、対神なのに一級と三級なのは変だっていう」
妹神が続けた。
同時に等しい神域を持って生まれた二体の神を
原則対神は同等階級である。
アマリリスは三級神だが、アユリリスは一級神だ。
「それは確かに滅多にないことだけど、追われるような理由じゃないだろ」
「あー---、んー----」
歯切れの悪い声で、何かを言いあぐねるようにしてローククォーツは唸った。
すんっと鼻水を吸って、はーと息をついてから、
女神アマリリスはイディオウスを見た。
「あの子がいると、みんながおかしくなっちゃうの」
初めてみる顔だ。
でも兄神さまの神域にいるなら、兄神さまがいつも言っている”いでぃおうす”だ。
銀色の三つ編みが淡い光にきらきらして光っている。
きれいな顔……アマリリスはしばし見惚れた。
「みんながおかしくなる?」
「うん。優しい人が急に怒りだしたり、
強い神さまが突然自分を弱い神さまに喰わせちゃったりするの」
「え、なんで?その子のせいってなんで?」
イディオウスの疑問はもっともだ。
思わず隣の友人を見る。
「二級神メイケスって知ってるか?シンナのとこの従神で、右腕だったやつ」
神々の世界も広い。
いつどの神が消えるかわからない。情報網はいつだって穴だらけだ。
ローククォーツの話はこうだった。
自分の神域で生まれたばかりのアマリリスとアユリリスは、
少し経ってから二人で自分たちの神域区を探しに出て行った。
要するに土地探しのようなものである。
そうして一級神シンナの神域の付近を通ったのだ。
自分の家を建てる時には、立地条件を考える。
強い神のご近所は、なにか大事があればそれは本当に大事になる。
影響も大きい。だから近くはやめておくという選択肢がある。
逆に、ある程度の関係があればその威光を借りて、
そっと近くに建設するものもいる。
そこでたまたま二級神メイケスという大柄な男に出会った。
一級神シンナに古くから従う神の一人で、
その本体は巨大な闘牛とも、巨大な猪とも言われていた。
本当のところはわからない。
二人をみて、
この近くに新参者が居座るのは許さない、という旨の通告をした。
交通量の多い大通りで、大きな信号を渡ろうとしたら
突然少女二人が巨漢から帰れと言われるようなものである。
そんなつもりはない、とアマリリスは相手に道を譲った。
道路があるわけでもないただの広い空間なのだから、譲るも譲らないもないのだが、
世の中にはなぜか隣の人のいでたちが気に入らず、立ち塞がりたいものがいる。
ところが、滅多に言葉を発しない妹は違った。
同時に生まれたが便宜上、生まれつき姉と妹に振り分けられている。
道を譲らず、メイケスの真正面に立ちはだかると、ただ、その顔を見た。
見ただけである。
そうして次の瞬間、メイケスは属する神域に走り去り、
豪速で己の主に勝負を挑んだのである。
当然、主神シンナは怒り狂った。
メイケスにではない。
二人の生まれたての神々に怒ったのである。
メイケスにも負けない身体で男は荒れ狂う。
己に仕えた従神をやむなく光で撃ち抜いた後、
消えた従神への手向けとして、二人の少女に戦いを仕掛けたのである。
一級神が怒り狂って開戦した、とあれば、
ご近所含めたまったものではない。
その場にいた四級以下の低級神などは、
一部ごっそりとその勢いだけで消滅した有様である。
メイケスになにをしたか、と聞かれてもアマリリスは答えられない。
当のアユリリスはなにも答えない。
そもそも二級神は決して弱い神ではない。
そんなに簡単になにかをどうこうできる相手ではない。
光の神シンナはその身を光線に換えて刺し貫く。
桃色の花をもつ木の三級神が一級神に適うはずもない。
だがその前に。
最後にメイケスと話したもう一人のほうが先である。
光は向きを変える。
遠巻きに観戦している誰もが、ああ可哀そうに、と呟く。
だがその顔は決して哀れんでなどいない。
人の不幸は蜜の味。
それが他人事であれば、楽しんでしまえる人がいるのが世の常だ。
ところが。
人型のまま、形を変えぬもう一人に光線が走りその身に入ると、光がやんだ。
光はその身を貫きはしなかった。
しばらく様子をみていたものたちが、なにがどうなったのか、と近づく。
光のシンナはどこへいったのか。
ふいに、光で刺された少女が口をもごもごさせて何かを口から取り出す。
透明な透き通ったガラス玉。
飴玉のような大きさのそれを手のひらに乗せて、ぱっと放した。
空間にひとつのガラス玉が浮く。
次の瞬間に、そこに居た神々はその空間を照らしていた巨大な神域、
大きなテーマパークのようなその一つの世界が、一気に崩壊するのを見た。
まるで大きなガラス細工を一気に床に叩きつけた時のように。
パリィン。
ファシャァ。
シャラシャラシャラシャラ。
そして全てが崩れ、その場に霧散した後に、
ガラス玉自身も中心から全壊して消滅した。
「は?」
ガラス玉とか飴玉だとか、きれいで可愛らしく言っているが
要するにそれは、
「シンナ、あいつ消えたの?」
イディオウスが驚愕するのも無理はない。
一級神が消えるというのは大事だ。
それはこの先低級神が一気に生まれて、
強くなりたいものたちの撒き餌となるかもしれないし、
別の一級神が生まれるかもしれない。
世相が変わるのだ。
「アユリリスが何をしたのか、未だ以て何もわからない。
シンナのほうは単にアユリリスも三級神だと思い込んで甘く見て、
体内で打ち負けたからだろうと推察はできる。
そのつもりで相手の体内に入ってしまえば身の守りようもないしな。
だけど、なぜメイケスが突如シンナに挑んだのか。そこはわからないままだ」
しかも、ローククォーツはその類の話は枚挙にいとまがないのだ、と続けた。
「見ただけ、会っただけ、みんなそう言う。
だが、相手が勝手に今までとは全く違う行動をとったりして、
自滅することが多いんだ」
いつの間にか三人の手元にはとてもいい香りがする飲み物がある。
神域の主作成の、この世界のお茶である。
人に酷似する彼らは、その生命維持に必要のないことまでも、
人間世界に準拠している。
腹は減らないが、気が向けば口からものを食う。
神の力を口から入れて、それらは神の力として吸収される。
目的を持たず、行動だけが残ったような行為。
なぜ人間ごっこがこの世界に根差すのか。
彼らは温かい飲み物でほうっとする。
「アユリリスのね、本当の姿は誰にもわかんないの」
静かな声で、アマリリスが椀を眺めながら呟く。
「私は木だし、弱点は火だし、能力は酔わせるだけど、
アユリリスのそういうのは、本当にわかんないの。
訊いても教えてくれないし、多分、自分もわかってないんだと思う」
なんだろう。
こんなにゆったり話をしている場合ではないのに、とても心が安らぐ。
アマリリスは不思議に思っていた。
「ローククォーツはわかんないのか?」
「わかんないね」
「おまえがわかんないの?!」
「あのな、イディオウスも会ってみるといい。
下手するとおまえ、名前も読めないかもしれんぞ」
一級神が名前を知っていても、能力を見抜けないとなると、
それはやはりさすがに一級神だ。
「それよりアマリリス。捕まるって誰に捕まるんだ?
いまアユリリスは何処にいる?」
兄神は妹神を心配する。
「あ、うん、みんな」
「うん?」
「たくさんの神さまに嫌われちゃったから、
大きな穴を開けて落とすんだって、みんなに追いかけられてるの。
一緒に逃げてたんだけど、
あの子、自分だけが狙われてるってわかったのか、
私と離れちゃって、兄神さまのところにいるかもって期待もあったんだけど、
でも私が妹の居場所を知ってるだろって思った人たちが私も結局追いかけてきて、」
「ちょっと待って。大きな穴を開ける?」
「ってなんのことだ?」
イディオウスとローククォーツの両方から待ったをかけられて、
アマリリスはきょとんとする。
「ミズタマリに落とすって誰か言ってた!」
そんな。
あほな。
二人の一級神は顔を見合わせる。
簡単に往来ができないことは公然の事実だ。
二つの世界がなんらかのきっかけで接触することを
”
こちらから意図的に架けるなんてことは不可能だ。
しかし。
まずいぞこれは。
「これ、いつの、どのぐらいの規模の話?」
イディオウスが念のために確認を取る。
「多分、緊急で、三級神が一級神に助けを求めるくらいの話?」
ローククォーツはどこか茶化したいようなノリで返す。
「これ、俺、家に帰れる話?」
「既に、ここ、包囲されてる感じ?」
二人でラップバトルでも始めるのか。
沈黙が流れる。
なぜか二人とも顔が引きつっている。
ほーほー。
三日月だけど、月明かりがきれいですね。
満天の星空が輝いて、なんと美しい世界でしょうか。
なんとこの世界、怖い人たちに取り囲まれて、
今にも全方位から攻め入られそうなんですよ。
いやあ困りましたねほーほー。
「って神域生物に声つけて遊んでる場合じゃねえだろ!!」
「いや、もうだってこの数すごいよ。
おまえ自分の神域じゃないからわかんないかもしれないけど」
「兄神さまなら勝てるよね?」
妹神の目が輝いている。
「いやあ、これは、うん、」
勝てないね!
というのが先か、轟音が鳴るのが先か。
ドゴオオオォォォォォォン
「人の家を勝手に壊しちゃダメって習わなかったかな……」
ローククォーツは冷静にため息をつく。
いくら一級神でも、数には負ける。
数がそこまで多くなくても、級数が高ければ負ける。
結局は力の総量の合戦だ。
「俺巻き込まれ事故じゃん……」
またか。またなのか。イディオウスはがっくりと肩を落とす。
低級神のみならず、上級神と居ても巻き込まれるのか。
「おまえが帰らないから……」
「そういうこと言う?」
「兄神さまどうしよう?」
この妹神はなかなかに肝が据わっている。
この期に及んで、立っている自分たちとは違って、
座って優雅に茶などをお飲みあそばしている。
号泣していたのが嘘のようだ。
「いや、まあ、守りの神とは俺のこと。
石より硬い樹皮、火にくべられても燃えない枝、水を吸いあげる根、
風を受け止めきる葉、全てを支えきる幹、絶対的樹木!それが俺!」
樹木の一級神が、突然叫びだせば、
「木の中を食う虫には弱いけどね。攻撃は滅法弱いしね」
狼の一級神が、静かな声で刺す。
「おまえね、人の弱点を口にするんじゃないよ」
「で、どーすんの?おまえ自身が固くても、神域の境界が固いわけじゃないだろ」
「俺はこう見えて慎重派なの」
「知ってるよ。俺の石を捨てて来いって言ったもんな」
「しつこい男は嫌われるぞ」
「ほらほら近づいてきてるけど、どうすんの?」
ここはローククォーツの神域だ。
イディオウスには力が使えない。
使えてもそれはタブーだ。
他人の家に雨上がりの地面を歩き回った土足で上がり込み、
許可なしに冷蔵庫を漁り、食べ散らかしてそのまま出ていくようなものだ。
「簡単だ。ここを捨てよう」
「は?」
「囮にして俺たち兄妹はしばらく消えたことにしよう。
適度なタイミングで神域を壊せば信じるだろ」
「それはいい考えだが。俺たちはどうするんだ?」
「俺は慎重なんだ。加えて一級神だ。お前と同じくらい古い神だ。
付き合いも長いしな」
そういうと、狭い櫓の床の一部を踏み抜く。
「ところでイディオウス。
時々道を歩いていて、あれこの建物はこんなところにあったのかと
方向感覚が狂うことは無いか。
裏路地の裏を通ったら見覚えの無いところに出たが、
なんと段差を挟んで家のすぐ裏だった、とか
そういう経験はないか。
まあ、つまりはだ」
踏み抜いた通れるのがやっとの穴にイディオウスの腕を引っ張り落とし込む。
そして妹神も放り込んでから、ローククォーツは自身も穴に飛び込んだ。
単純に考えれば櫓の下まで落ちるだけだ。
だが、違った。
三人は櫓の下の地表を通り抜ける。
どんどん落ちる、どんどん落ちる。
だが向こう側に抜けてしまうと包囲されているのだ。
どすん。
数秒後に三人が転がり落ちた場所は、絶景。
山の頂。
「俺の神域じゃねえか」
「そう!なんと隣だったんだね!」
眉間にしわを寄せてショッキングピンクな友人を見る。
パンクな恰好してなんてことしてくれるんだ。
「……隣ならみんなついてくるんじゃないか」
「はい!穴を閉じたので!もう近道は使えませーん」
「隣じゃなくて、一点つなげてたんだろ」
古い友人だから、対等な友人だからできることだ。
神域と神域の一点を接点としてつなげておき、神域の主に気づかせないというのは。
イディオウスは気づかなかったことが少し悔しい。
この友人は、いざという時に必ず手段を持つ。
思わず口元が笑ってしまう。
いつかはここにも誰かが来るだろう。
神を隠しきるなんてことは、全てが神の力で成り立つ神々の世界では難しい。
事はいつだっていつの日にか露見する。
「とりあえずアユリリスと合流しないといけないな」
「状況をもう少し把握してから考えよう。一級神だ、すぐにどうこうはできんだろ」
「あの、ここがイディオウス様の神域なんですか?
すごくきれいなところですね!」
三者の気が緩む。
今度はイディオウスがもてなす番だ。
こちらの神域でもまだ朝日までは遠い。
絶景を一望できる頂に三つの影。
月は満月。
陽の光を待て。
今度は、動く番だ。
***
巨大な神域が崩れる。
ローククォーツが消滅したぞ、と誰かが叫ぶ。
いいぞいいぞ。
異質なものは排除しろ。
一級神だからって大きな顔してんじゃねえ。
強いだけでえらそうにすんな。
もはや、目的が何なのかはどうでもよい。
お祭りだ。
誰かの消滅を楽しめる立場のものたちが、炊く篝火だ。
おびただしい数の砲撃だった。
すさまじい数の攻撃だった。
自分たちこそがここを崩すのだ、
運が良ければあの強い神を喰らうのだという執念が渦巻いていた。
戦乱と混乱の最中で、
醜悪にもほどがあると言ったのは誰だったか。
時が経ち、ローククォーツの神域だったそこには何も無くなった。
見物人も十分に満足してそれぞれの神域に戻った。
低級神は変わらず漂って好き自由に往来している。
そして、何も残らない跡地にたった一つ、
丸い石が漂っていた。
「石降りて、神震わす」 Uamo @Mizukoshi_27
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