7 『人狼騒ぎ~ごはんを求めて幾星霜~中編~』

 およそ一週間前。

 ウィスタリス郊外、もうひとつの玄関口とも言える街道の脇に、食堂を営む建物が建っていた。コックは何度かこの建物を訪れたことがある。

 異世界流通センターの営業としてやって来た諏訪部の、ここが住まいだからだ。


「立派じゃん」

「いくつかリフォームしましたからね。幸か不幸か、一階部分を食堂として使うには十分な広さでしょ」

「わぁ、本当に素敵です! ここにお客様が来て、私が作ったお料理を食べてくれるんですね!?」


 はしゃぐマーヤに、コックは苦笑した。確かに思っていたより広くはあるが、ここに飾り棚やテーブルセットをいくつか設置するとなると、少々手狭になることは容易に想像できる。

 オープン前のまだ何もない状態のフロアを見た限り、コックの見立てでは店内に二十人前後入れば上等だろうと踏んだ。カウンター席、テーブル席、その他諸々を考えるとここは「こじんまりとした食堂」といったところか。


「家具類などは後で業者の方が運んでくれるので、俺たちはその指揮系統をすることになります」

「指揮……、なんだか難しそうな役割ですね。私がやっても大丈夫でしょうか」

「なんてことありませんよ。店内の配置とかはプロのコックさん中心に指示してもらうので、マーヤさんは二階の自分の部屋をお願いします。ベッドやタンスをどこに置いたらいいか、それを業者の方に言えばいいだけです。ほら、簡単でしょう?」

「は、はい! がんばって指揮しますっ!」


 初めてのことだらけで肩に力が入りすぎているのか。引っ越し作業も初めての経験なので、張り詰め過ぎて体調を壊さなければいいのだが……とコックは思う。あえてそういうことは口にしない派なので、その辺りは気遣い上手の諏訪部がなんとかするだろうと、まずは自分に与えられた役割を全うしようと切り替えた。


「さぁ、ボナペティ食堂の準備に取り掛かりましょう!」

「おーっ!」

「……おー」


 ***


 一日かけて引っ越し作業は滞りなく進み、無事に配置だけは済ませることができた。明日には細かいもの、調理器具や食器など。業者を介さず自分たちで動くものだけとなった。

 練習がてら、そして体力をつけるため、何より一日でも早くキッチンの勝手を体で覚えるために。今夜の夕食作り担当はマーヤとなる。

 引っ越し作業で疲れているだろうから、と助け船を出そうとする諏訪部だったが、マーヤ自身がやりたいと強く言ったので止めることは適わなかった。

 お米が炊ける香り、肉を焼く香り、調味料の香り。空腹に堪える美味しそうな香りが辺りを満たす。換気のためコックがカウンター席に近い窓を開け放し、料理ができるまでぼんやりと外を眺めていた。

 なるほど、ここは案外一等地かもしれないとコックが直感する。見晴らしのいい高台にある街道沿い、ウィスタリスはかなり大きな町なのでそれなりに一望できた。建物から高台の崖っぷちまで馬車五台分は距離があるというのに、あらゆる建物から漏れる明かりはまるで星明りのように見える。

 夜空の星と、人工的な星、特に今夜は月明かりによってさらに遠くの方まで見渡せた。

 これなら庭先にオープンカフェとしてテーブル席を設けるのも悪くはないかもしれない。町まで距離があるので、酒飲み客が盛り上がっても騒音騒ぎにならなそうだ。日中は小洒落たカフェ、夜は酒場として経営もできそうだ。


(あー、頭ん中で勝手にイメージしちまう。これも職業病か? 俺らしくねぇ)


 コックは料理人として命を懸けているわけじゃない。食べていくために、料理人という仕事を選ぶしか道がなかった。だからそこまで仕事熱心というわけではないし、働くことが好きというわけでもない。

 それなのにこの食堂が良くなるために何をしようか、どうしたら見栄えが良くなるか。そんなことばかり考えている自分に気付く。

 案外この建物が食堂らしくなっていくことを、自分まで楽しみにしているのかもしれないと。自嘲気味に微笑んでいると、草むらでがさりと音がしたのをコックは聞き逃さなかった。音がした草むらをじっと見つめる。

 ウィスタリスが大きな町だからといっても、この場所は郊外。野生の動物か何かが出現してもおかしくない。ただの野生動物なら……。


(この周辺は比較的穏やかな土地だったって伯爵が言ってたから、まさか魔物ってこたぁないよな?)


 コックの背後では食事を楽しそうに作るマーヤ、店内のどこに何を置くか書類を眺めながら浮かんだアイデアを書き込んでいく諏訪部の姿がある。

 幸い今夜は満月、天然の明かりが庭先周辺を照らしてくれた。コックはずっと草むらから視線を逸らさず、じっと動かない。すると一瞬だが、キラリと何かが光った。

 小さな二つの光が草むらの中から、まるでコックを見つめるように微動だにしない。しかし一瞬、明滅したその光の正体が何者かの目だとわかった。

 夜間にも活動する動物の目には「タペタム」という反射層が備わっている。タペタムは網膜の裏側にある鏡のような組織で、網膜で吸収しきれなかった光を反射させて網膜に返し、視神経に伝えることによってわずかな光を二倍にし、暗いところでも鮮明に見えるようにしている。

 人間にはタペタムがないので、草むらに隠れている何者かが人間である可能性はこれでなくなった。

 野生動物なのか、魔物なのか。どちらにせよあの目の大きさからして小型であることに間違いはない。コックは窓を閉めると、食堂となる出入り口や裏口のドアの施錠をする。


「急に戸締りなんかして、どうしたんです?」

「ここは町の郊外、街道沿いだ。用心に越したこたぁねぇだろ?」

「ここはそんなに物騒な場所なんですか?」


 不安そうにするマーヤにコックは不器用な笑みを作りながら、心配ないとだけ告げる。


「んなことよりメシだメシ! ハラぁ減っちまったぜ!」

「マーヤさんの手作り料理は絶品ですからね。冷めない内にいただきましょう!」

「どうぞ、今夜はハンバーグです! ポテトサラダとオニオンスープもありますよ!」

『いただきまーす!』


 ***


 明日の打ち合わせ、寝る準備。ようやく就寝となった午後十時。

 部屋数の問題で諏訪部と同室となったコックは、静かに体を起こしリビングへ向かう。窓から外をのぞくが、特に変わった様子はない。

 一階にあるキッチンへ行くと、コックはなんとなく直感で余ったハンバーグを冷蔵室から取り出した。これはコックがわざと取っておいたものだ。

 それを持って裏口から外へ出て、草むらと裏口のちょうど中間となる庭に置く。それから中へ戻って明かりを付けずに待つ。窓から姿を見られないように、壁際に身を隠して。


 数分だった。静かな夜に聞こえる奇妙な音、何かをがっつくような音。コックはそっと窓から外を見ると、ハンバーグを無心に貪る子犬が目に入った。


(なんだ、ただの野良犬かよ。びびって損しちまったぜ)


 はぁ、と安堵の息を漏らすコック。力が抜けると急に眠気が襲って来た。このまま部屋に戻って寝ようかと思ったが、皿をそのままにしておくわけにいかない。

 野良犬とはいえ嚙まれたりすれば一大事だ。せめてその子犬が去るまで待とうと、窓際でじっと様子を窺っていた時。すっかり平らげた子犬が顔を上げ、口の周りを舌でべろんべろんと舐め回しているところ、互いにばっちりと目が合った。

 反射的に小さい声が漏れるコック、同時に驚きと共に飛び上がる子犬。しばらく見つめ合った後、子犬はそのまま走ってどこかへ行くと思っていた。

 するとその子犬は信じられないことに、コックに向かって頭を下げる。会釈するように、まるでお礼を言うかのように、こくりと頭を下げたのだ。ただの犬っころが会釈するところなど見たことがないコックが呆けていると、さらに子犬は空になった皿をくわえて裏口のポーチに置くと、そのまま走ってどこかへ行ってしまった。


 たった今見た出来事が、まるで夢のような展開だったのでコックは数分ほど口をあんぐりと開けたままで茫然としていた。ようやく我に返り、裏口に置かれた皿を回収。

 念のため煮沸消毒するが、ふと不安がよぎる。自分としてはここまですれば平気だ。残飯でも美味しく食べることができるくらい、汚いものには慣れていた。

 しかしマーヤを始め、食堂を訪れた客はどうだろう。衛生面に関してはグロモント伯爵から口うるさく言われたものだ。例え綺麗に洗ったとしても、清潔な人間は動物が舐め回した皿を不潔だと思うだろう。どんなに消毒しても、きっと気持ちがそれを許さない。

 花が小さく描かれた皿はとても可愛らしいものだった。だが、皿一枚無くなったとしても今なら誰も何とも思わないだろう。

 コックはこの花柄の皿を、先ほどの子犬専用のものとして保管することにした。何も知らない二人が、間違ってこの皿を客に出してしまわないように。コックは自分の荷物の中に忍ばせる。


 ***


 それから毎晩、コックは二人に内緒で夜食を作るようになった。肉料理メインで、できるだけ味を薄くする。その度にかぐわしい香りで吐き気を催したが、空腹で苦しんでいる者を見過ごすことはどうしてもできない。

 雨の日は丸テーブルに諏訪部が仕入れたビニール袋を広げて被せ、その下に食事を置いた。薄汚れた白い子犬は、毎晩匂いにつられてやって来ては綺麗に平べ礼をする。

 そんな夜が、一週間ほど続いた。


 ボナペティ食堂オープン前夜、ちょっとした前夜祭として夕食はほんの少し豪華になった。骨付きチキンはもちろんコックお手製だ。塩分の摂りすぎは動物にとって命取り、できるだけ味付けを控えたのでほとんど素揚げのようなだが。

 鶏ささみを蒸したものにトマトも添えて、それを皿いっぱいに盛り付けて出してやる。

 いつも同じような時間に現れる子犬は、これまで食べて来た料理とは比較にならないくらい豪華であることに尻尾はぶんぶん忙しなく振り回した。

 嬉しそうに、美味しそうに貪る姿を見てコックも喜びを隠せない。


「腹が減ってたらつらいよなぁ。食べられないのって苦しいよなぁ」


 ふっとよぎる、幼い頃の記憶。

 スラム出身の彼は親に捨てられ、飲食店から出たゴミを漁る生活を強いられていた。ひもじいのは常で、餓死寸前にまで陥った経験もある。食べられるものはなんでも食べた。それが例え腐ったものでも、魚の皮でも、野菜や果物のへたでも。

 そうやって飢えを凌いできた彼を救ったのは、皮肉にも究極シェフというギフテッドを自分が持っていたという事実だった。その日食べるものすら手に入らない彼が手にした、世界最高峰のギフテッド。

 それが発覚してから群がるように甘い言葉をかけてくる、欲深な料理関係の人間たち。しかし貧困のせいで彼の舌はすっかり死んでいたことで、一人また一人と彼を見捨てていく薄情な者たち。

 そんな彼に最後まで手を差し伸べた人物が、グロモント伯爵だった。彼を救い、食べ物と着る物と住む場所を与えた。仕事を与えた。役割を与えてくれた。


 だから彼は飢えた者を見捨てない。伯爵が自分にそうしてくれたように、コックは食べられない苦しみを持ったマーヤを見捨てなかった。

 そして食べ物を得られない子犬のことも、決して見捨てたりしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ボナペティ食堂へようこそ! 遠堂 沙弥 @zanaha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ