終末に壺から聞こゆ神の声

髙 文緒

第1話 アナスタシアの誕生

 くれ陽子が産気づいたのは、八月二十日の夜のことだった。陽子と夫の宏典は、慌てることなく街の病院へと車を走らせた。車はコミュニティに一台だけある共有のもので、使用の許可を得るためには予約票に日時と目的を書き込まなければならない。宏典は八月七日の昼にはすでに、八月二十日午後九時に車を使用する旨の申請を済ませていた。目的欄には「出産のため」と書かれていた。


 八月二十日の朝、宏典は車を管理する【パンテレイモンの父】に同日の車の使用予定がほかに無いことを確認し、後部座席にビニールシートを貼った。産気づいた妻を午後九時に運ぶ際に、共用物たる車を汚さないようにとの配慮からであった。

 なぜ妻の陣痛がはじまる正確な日時が分かるのか。予約票を提出する際に、パンテレイモンを息子にもつ【パンテレイモンの父】に問われた宏典は、陽子が天啓を受けたからであると答えた。【パンテレイモンの父】は納得し、五指の先だけを合わせて山を作るような合掌をもって返した。


 陽子が天啓を授かったと知ったコミュニティの大人たちが、こぞって話を聞きに来た。陽子と宏典は他の住民たちと同様、岩壁に掘られた横穴を住まいとしている。

 横穴に入り、むき出しの岩壁の洞穴をかがんで進むと、行き当たったところに大人が立って歩けるほどの高さのある空間となる。通称で広間と呼ばれるそこは、蝋燭を照明とし、白い貝殻が床に敷き詰められている。これもどの住まいでも共通のつくりだ。


 白い貝殻の床が、ろうそくの光を淡く反射している。とはいえ部屋は昼も夜もなく薄闇に覆われている。少し離れれば互いの顔の区別などつかない。住民にとって顔の区別というものは尊ばれないもの、むしろ忌避されるものである。横穴のなかではじめて彼らは真に安心して他人と関われる、とも言える。

 広間に入るときには裸足であることが礼儀である。踏み砕かれた貝殻がさらさらと鳴る砂と変じ、裸足のあしうらをくすぐっていく。貝殻の下はむき出しの岩で、粉末状となった貝殻はその冷気を断ち、また洞穴内の湿気を吸い取り清浄に保つと信じられている。それにはなんといっても白い貝殻であることが重要で、しじみの殻などを堆積させたものでは断じてありえない。


 広間に入ると、客人はまず合掌し、主人に勧められる前に椅子に座らなければならない。いつまでもモタモタとしてと座らない客人は、礼を失した阿呆であり、主人に阿呆と認められた客人は座った椅子を蹴って追い出されても文句は言えない。

 貝殻のさりさりと鳴る部屋で、陽子は生成りのワンピースの胴体の部分を突き上げる腹――張り切った布の下には同様に張り切った腹の皮膚があるだろうと想像できるそれ――を撫でさすりながら、硬い長椅子に半ば横になるようにして座っていた。長椅子の後ろには、壁に設置された燭台に立てられたろうそくの灯が揺らめいている。いかにも奇蹟を宿したかのような様子に、着席した客人はまた合掌する。


「あれは八月六日のことでした」


 何度目か分からない語りを繰り返す陽子は、台本を読み上げるようになめらかに切り出した。客人の座るその足元、コミュニティの成人男性が皆履いているやや短めの黒のズボンから伸びる裸足の、足首の骨のところを見つめながら語る陽子の口は自動的に動き、言葉は滔々と流れていく。


「そう八月の六日。かつて広島に原子爆弾の投下された日。この日本国が世界初の被爆国となった日。リトルボーイがやってきた日。わたしは祈りをあげておりました。平らな皆様と同じように。怒りではありません。悲しみでもありません。人は「人」に「させられ続けている」ということです。現在の世界のありさま、それは「そうさせられた」「人」の行いの果てであります。投下される場所として選ばれてしまったのが、この日本国でありました。選ばれたということについて、神に祈っておりました。選んでくださったのは神ですから。爆弾を投下セヨと選ばれてしまったアメリカについても、同様に祈っておりました。手のつけられない赤ん坊のようなあの国が、世界に人間のなんたるかを知らしめました。その役割を負わねばならぬ、オシメのとれないアメリカがただ顔を真っ赤にしてひり出した特大の糞。それを浴びた我らがどうしてただ怒れましょう。悲しめましょう。人は結局、顔を真っ赤にして泣きわめき、糞をひり出し乳を求めるしかないものなのだと、神がお知らせになった八月六日。そうしたわけでわたしは灯を消して、この長椅子に横たわり祈っておりました。神の御心のままに。神に選ばれてしまった全ての人と国に。兵器を開発した人も、投下した人も、選ばれてしまったのですから。例えそれを美談にしていようとも、反省していようとも、どちらも的外れでしかありません。まあ、的は外すものですから。わたしと宏典も五年も的を外しつづけて、ようやっと子を孕んだのですから。蕎麦の実はあんなに簡単に生るというのに。話がずれました。祈りの姿勢が自由とはいえ、横たわっての祈りになったことをわたしは申し訳なく思っておりました。そう、申し訳なく思ってしまったのです。ただあるがままにあることが、わたし達がこれ以上の罪を重ねないためにただひとつ出来ることであるというのに。ああ、開き直りが大事です。知っております。だからわたしは開き直り大の字になって『低気圧かなあ、調子が出ないなあ』を唱えました。唱えれば唱えるほど開き直りに近づけますから。神は自然そのもの。気圧も神の御心。気圧に支配される矮小なオノレを認めておりました。すると目の前に二股に分かれた下向き矢印と丸い爆弾が現れました。そう、見せられたのです。神が【ずつーる】を通じてわたしにお見せになったのですから、わたしは見たのではなく見せられた。全く矛盾のない論理ですね。さて、【零日ぜろにちの庭】の父である信仰者・安達辰馬の見た【ずつーる】がわたしの眼前にも現れたわけです。これは天啓と言っていいでしょう。それから、真理が心に染み込むようにして広がったのです。この矢印は大人と子どもの運命である。爆弾はなにか、そう、胎児です。小さな子どもの描くような火縄のついた丸い爆弾は、八月二十一日に出てくるのだとすぐに悟りました。広島、長崎に続いて、日本が降伏しなければ投下されていたであろう第三の核爆弾。その原料であるプルトニウムの塊――コア――による臨界事故が起こった日。二十四歳の若い物理学者が犠牲になったデーモン・コア事件と同じ日に、彼女は生まれてくる。平らな皆様とわたしを破壊し、創りなおすのです。さあ平らな皆様、コアを処理するのなら今です。恐るべきものが生まれようとしています。今しかないのです。どうぞその椅子の前に置いてありますナイフで刺してくださっても構いませんよ。『させられた』としてもそれが神の心でしょうから。神は迷われない。結果ははじめから決まっている。迷うのは人だけです」


 そこまで一息に語ると、陽子は疲れ切ったように目を閉じた。

 明らかに、陽子の神経は衰弱の症状を示しているように見えた。

 客人の足がさりさりと貝殻の粉をかく音が響く。


 さりさり、さりさり。


 客人はナイフを拾うことはせず、陽子へのいたわりの言葉を残して去った。訪れる客人たちは皆同じような反応を示した。宏典は客人が帰ると毎度、疲れた妻に水を与え、ナイフを拾って壁をくり抜いてつくった簡素な棚に仕舞った。




 陽子は天啓の通り、八月二十一日の午前十一時に女の赤子を産んだ。コミュニティの他の大人たちは、陽子がただ狂ったのではなく本当に天啓を受けていたのかと驚き、互いに合掌しあう。


 赤子はアナスタシアと名付けられ、陽子は【アナスタシアの母】となり、宏典は【アナスタシアの父】となった。コミュニティ第一世代は、子を作り俗世の名を捨ててようやく大人として認められるのだ。


 さて、奇蹟の子アナスタシアは、よく泣く子どもであった。神経質なところがあり、常に抱かれていたがった。 

 コミュニティの大人たちは、協力して子育てをする。自分の子も他人の子も分け隔てなく、コミュニティの子どもとして愛をもって接するのだ。彼らはみな心から子どもたちの世話を楽しんでいた。


 アナスタシアは多くの大人に抱かれ、寝かしつけされ、多くの愛の言葉を浴びて育った。


 彼女は発達が早く、とりわけ言葉の習得には際立った面を見せた。アナスタシアの初めての「なんで?」は一歳半頃のことだった。そして彼女は初めて、口枷をつけられたのだ。柔らかい肌が傷つかないよう、スポンジで包まれた口枷を噛みながら、彼女は涎を垂らしてふぐふぐと音を出した。不満の色はとんと見せず、神経質な赤子だと思っていた大人たちは少しばかり驚いた。


 これは賢い子どもになる、なにしろ天啓があって産まれたのだから。そう大人たちは噂をした。彼女の涎が襟を濡らしたとき、彼女は自分でガーゼを取り、拭いた。

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