第3話 聖人の名を持つ子どもたち
アナスタシアはおかしい。
子どもたちは口を揃えて言う。
アナスタシアはおかしいのだ。
異質な存在を嗅ぎ分ける能力を、人は生まれながらに備えている。とりわけ子どもは敏感で、異質なものの排除に躊躇がないものだ。それはまだ子どもが半ば動物だからである、と【零日の庭】の大人たちは信じている。子どもたちは、人に馴れる段階の動物であると。
子どもたちが執拗に異質な存在を排除するのは、臆病な家畜の段階にある証明だとされている。家畜とは、恐怖を知り、凶事の予感に動けなくなるものだからだ。野生から人に馴れる過程で臆病を植え付けられた動物が、家畜だと信じられている。
アナスタシアは矯正されていない。
動物のなかでも、野生動物である。野生動物から、人とともに過ごせる家畜になり、その後にやっと人になりきれるものだとする共同体内の常識など、彼女はどこ吹く風だ。
アナスタシアのおかしなところは、まず髪の毛をぐちゃぐちゃにしているところだ。櫛を嫌っていて、髪をとかすことを絶対にさせない。他の女の子どもたちは、みな髪を乱れのないみつあみにして、両肩におろしている。子どものうちは髪を切ることをしないので、成長に従いみつあみは長くなっていく。
子ども、とは新しい子どもを作るまえのすべての段階を指すが、スクールへの所属は日本国の定めている義務教育に従う。専用のログハウスを建てて、そこをスクールとしている。
ログハウスの広間は、教室にもなり、食堂にもなり、子どもたちの作業場にもなる。夜には寝室にだってなる。子どもたちはほとんどの時間をログハウスで過ごす。大人たちの住居である横穴の洞窟を利用した住居は、子どもたちの教室兼集団生活の場とするだけの広さを確保するには向いていないのだ。
子どもたちは、銘々の年齢に合わせた教科書を読みながら、大人が用意した課題を解く。課題は大人たちによる手作りで、ひとりひとりの進捗に合わせて課題が作成される。毎日の終わりに大人たちで集まって雑談をしながら、子どもたちのノートを確認し、翌日分の課題を書き入れる。この毎夜の集まりはコミュニティの大人たちにとって、幸福な時間であり、ちょっとした娯楽でもある。
コミュニティの大人たちが信仰の自由を主張し、国に特例を認めさせたのは、子どもたちのなかで一番年長のパンテレイモンが七歳の秋の時分だった。コミュニティの子どもで唯一マチの学校に通った経験があるパンテレイモンは、よく他の子どもたちにマチの学校はどうだったかと訊ねられてた。
「馬鹿ばかりで最悪だ。みんな聞くんだよ『なんであなた達は山に住んでるの?』『大人の男の人がみんな毛むくじゃらって本当?』『なんでパパやママって呼ばないの?』『なんでママと一緒に寝ないの?』」
嫌そうにそう答えるパンテレイモンは最後にこう付け加える。
「あと一番最悪なのは『なんで外人の名前なの?』だな。一番たくさん聞かれたのもこれ」
「うわあ、マチの子どもってそんな風なんだ。なんていうか……アナスタシアみたい!」
「そう、でもアナスタシアがマチに行っても、きっとマチの子どもと仲良くはなれないよ。アナスタシアの『なんで?』はマチの子どももうんざりさせるくらい終わりがないからね」
そう答えたパンテレイモンが気取ったふうに肩をすくめると、他の子どもたちも、きっとその通りだろうと納得した。
スクールに所属するあいだは、子どもは集団生活を行う。アナスタシアが髪を梳かないのも、ぐちゃぐちゃの髪を一つに結ぶだけなのも、そうとしか出来ない子どもだから仕方ないと思われている。すこし知能が低いのかもしれないと、周囲の子どもたちは見ている。
――だって彼女は野生動物だって、大人たちはみんな言っているじゃないか。
スクールはアナスタシアにとって愉快な場所ではなかったが、スクールを休むことも辞めることもなかった。辞めるという選択肢は始めから用意されていないものだが、彼女は自分がその気になれば飛び出せることを知っている。出来るが、しない。それが意思だ。
彼女への注目が、負の方向におおいに高まる瞬間がある。口枷をつけられるときだ。口枷は子どもの矯正器具として、コミュニティでは主にスクールに通い始める前の幼児期に使われる。野生であるうちの子どもたちの口癖、それは「なんで?」だ。
「なんで?」と口にすることは、『あるがまま』の否定だ。あるものはただそこにある、というのがコミュニティの信仰の核である。ただそこにある、を否定することは信仰の根幹の否定であり、コミュニティの崩壊に繋がると考えられている。口枷はコミュニティの信仰と切り離せないものだ。「なんで?」を克服した者こそが真の信仰者に成り得ると、信仰者・安達辰馬はたびたび語った。
そもそもこのコミュニティは辰馬の提唱する保育理念をいただいた保育施設【零日の庭】をもとにしている。
『あるがまま』と『開き直り』。簡単に思えるそれらのことが、どうして出来ないのか。それは「なんで?」という罪の種が人に植え付けられているからである。その芽のまだ弱く小さなうちに、摘み取ることで人は真に自由な開き直りの境地に至る。「なんで?」を封じるべし。「なんで?」を口枷で抑えるべし。それは虐待ではなく矯正であり、箸の持ち方を補助つきの専用箸で教え込むのと変らないことである。
コミュニティにおいて、子どもはスクールに上る前に、箸の持ち方を覚えるように「なんで?」を頭から消し去る術を覚える。スクールに所属する前の小さな子どもたちは、日中大人たちが農業や罠猟、山菜や木の子採りに出る間、コミュニティの現幹部であり、【零日の庭】元園長である【キリヤンの母】がリーダーとなる保育集団に預けられる。そこでほとんど全ての子どもたちが口枷を経験し、そして口枷を卒業する。
それなのになぜアナスタシアは、スクールに上がって四度目の春を迎えても口枷をつけられているのだろうか。例えばそんな歳になっても補助付きの幼児用箸を使っている子どもが居たとしたら、他の子どもたちからおかしな目で見られ、侮られるのは必定と言えるだろう。
「馬鹿のアナスタシアがまた口枷をつけられてるぜ」
キリヤンが隣に座るパンテレイモンの肩を叩いて囁いた。
床に円座になった子どもたちが、壁際に座っているアナスタシアを振り返って見て笑う。忍び笑いが広がっていく。
今日は【ルチアの父】が子どもたちの監督役だ。いまは国語の自習時間で、彼は子どもたちの中心であぐらをかいて、猪用の罠を作っていた。その【ルチアの父】が手をとめて、顔を上げる。
「難しい問題があるなら、手を上げて大人に聞きなさい」
遠回しに私語を注意された子どもたちは、笑いを収めて真剣に自習に取り組み始めた。それでも、【ルチアの父】が再び罠作りに熱中し始めると、密かに後ろを振り向いてアナスタシアの様子を観察する。彼女は口枷など気にしていないという風で、ときおり顔にかかる縮れ髪をかきあげながら、熱心に教科書を読み込んでいた。一文も余さず覚えてしまうのではないかという気迫に、彼女を盗み見た子どもたちは寒気のようなものを覚えた。
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