その2



「……というわけで」

 大聖堂の広大な敷地の一角にある寄宿寮。そのゆとりある自室の寝台の上に腰かけて、アランサスはひとつ深いため息をついた。

「乙女ゲーの筆頭攻略キャラに転生したと思ったら、婚約者もヒロインも女装男子でした。どうしてなんだよ、この野郎」

「その……気の毒にな……」

「むしろお前の女運の悪さにどん引きだよ。前世に何しでかしたら、既存恋愛対象がみんな男になってんの?」

「お前らが言うか?」

 頭を抱えた赤髪が恨みがましげな緑の瞳を向ける。

 そこには、書き物机の傍らの椅子に肩身狭そうに大きな身を縮こめる『ヒロイン』殿と、この中で一番小柄なはずなのにでかい態度で長椅子を独占している婚約者様がいらっしゃった。


 ひとまず場所を落ち着いて話し合えるアランサスの部屋に移し、それぞれがそれぞれの実情を包み隠さす告白しあったところであった。アランサスの持ち出した前世の話も、特に虚偽を疑うことなく受け入れ、特殊な用語もすぐに慣れてくれたあたり、『ヒロイン』殿はその体躯に見合う広い心と頼りがいがあるようだ。こんな出会いでなければ、好感を得るままに、よき友となれていたかもしれない。


「でもどうすんの? 俺が男に戻るための前提が覆っちゃったじゃん。役に立たないな、お前の前世知識。期待だけさせやがって」

「こんな不可抗力下で、そうも貶められるいわれは俺にはないと思うんだが?」 

「そのことなのだが……私としては、このままの状態でアランサス殿と結婚し、故国へ戻るとなっても構わない」

「……よし! 解決!」

「してねぇよ?」

 やったね、と言わんばかりのしたり顔で振り返るリュカへ、己でもびっくりするほど冷静に淡々とアランサスは切り返した。


「というか、待て待て。ジェイドだっけ? 事情は聞いたが、人生捨てるの早まるな? こいつぐらいしぶとく好きに生きようとあがいたって、誰も文句いわねぇからな」

 神子の力を対価に、王族と繋がり、かつての故国の固有の領土、文化を侵食されないよう守ることをローゼサスに約束させる。それが、ジェイドの託された使命だった。

 そのため、力が発現した時点で、神子となったのは少女だと偽って噂を流し、王都へ報せた。リュカ一族のやり方を真似し、王族の権威を得ようとしたのだという。いま王家に女児は不在であるから、婚姻を目指したのなら、分からなくもない結論だが――


「よりにもよって、同時期に別々のところで、男を女装させて王族と結婚させようって企むか~? おまけにその対象がなんで俺で被るの」

「お前が第一王子様だからだろ。悔しかったら、二番目か女に生まれて来いよ」

「こんな変えようのない生まれだけで、罰を受けるみたいなことってあるんだな……。王位、いらない……重荷が過ぎる……」

「私と来てもらえるならば、こちらで王位を継がれるよりは自由が利くはずだ。私の方は、王妃の座までは目指していないからな。我が民から后を排出するとなれば、神子とはいえ、さすがに反発も多かろう。それは望むところではない。私たちが望むのは、持続的な故国の安寧だ。ゆえに、ゆっくりとこちら側に王家の権威を取り込めればいい。だから、あなた方が企んでいた、私と婚姻を結び、アランサス殿を故国へ連れゆくというのは、こちらにとっても願うところだ」

 穏やかな低音が、うなだれるアランサスを慰めるよう流れるも、言っている内容は何一つ心癒されるものではない。


「アランサス殿の母君は、我が国の直接の領主となった辺境伯殿の娘ごでもあるしな。他の王子たちよりも縁が深くていいだろう。こちらに来れば、私の周囲は大方事情を知っている。体面だけ保ってもらえるならば、好きなだけ、他に妻子を囲えばいい」

「度量の広い結婚相手、最高じゃん。お前も愛人こそ真実の愛って言ってたし。良かったな、アランサス」

「リュカ、お前、本当に自分が男に戻れればよくて、清々しいほど俺のことなにひとつ考えてねぇな?」

「当たり前だろ?」

「ほんとお前嫌い!」

 なぜそんな自明のことを問い直すのか心底分からないという幼馴染の顔に、リュカは半ば泣き顔で嚙みついた。


「アランサス殿は、私では不満だろうか?」

「いや不満っつうか、そうじゃなくて……それ以前に、ジェイドが女で通すの……無理がない?」

「…………――やはり」

「自覚はあったんだ?」

 短い沈黙の後の肯定に、リュカが驚きの声をあげた。

「堂々としすぎてて、気にしてないんだと思ってた」

「いやさすがに私もこの仕上がりは、相当、かなり、どう考えても無理があるので、方法を改めようと提案したのだが……こと我らの束ね役である公主殿が『いけるいける、可愛い可愛い』と半ば捨てばち気味に推し進め、周りも同調して『なんとかなる』などと言ってくるので、だんだん全体的にいけそうな雰囲気になり……」

「みんなまずいと思いつつ、場のノリで止められないまま突き進めちゃった政策じゃないんだからさ……」

「ちょっと、流されやすすぎるだろう、お前。心配になる。なぁ、ジェイド、考え直せよ、な?」

「安心しろよ、ジェイド。俺が直々に、それなりに見えるように女装仕込みなおしてやるから」

「リュカ殿の助力とならば頼りになる!」

「なんでそっち側に乗り気なのお前!」


 長椅子でふんぞりかえるリュカに、顔を輝かせ椅子から跳ねるように立ったジェイドはその前で膝を折る。絶対におかしい流れを断ち切るべく、アランサスは切々とその広い背中に言い募った。

「俺はお前の人生考えて止めてやってるの! そいつは自分のことしか考えてないから!」

「お前だって自分のことしか考えてないだろうが、詭弁を使うな」

「誰だって好みの子と結婚したいだろ!」

「その身分、立場で、好きに結婚相手が選べると思うな愚か者が!」

「一番偉いんだから好きに結婚相手ぐらい選ぶ力が欲しい!」

「権威と権力をはき違えるな。権威を利用されるのがお前。権力を揮うのが俺だよ」

「知ってる! それがお前の一族のやり方! だから貴族社会嫌いなんだよ~! 王族になんて生まれるもんじゃねぇ!」

「何人愛人がいても良いように、広い屋敷を用意しよう」

「自由恋愛ねぇ……節操なしのいい言い訳だな」

「それ気遣わしげに提案することじゃないから! それに別に何人も囲う予定はないから! あと本当にリュカは故意に俺を貶める発言やめろ!」


 的外れな優しさと、鼻で笑う端正な横顔に、アランサスは声を張り上げた。本日何度目になるか分からない、深い絶望の吐息を吐き出す。

 性格のきつい美人の幼馴染の婚約者。少々ずれたところはあるが穏やかで優しい恋人候補。――なるほど、意図的にいくつか特徴を取り上げれば、これは間違いなく姉のやっていた乙女ゲームを、攻略対象の王子の視点から見たものに相違ない。だがしかし、いかんせん――大事な特徴はそこではない。


「まったく当てにならない前情報だったな……俺の前世」

「もうお前の前世、役に立たないから思い出すのやめろよ。見てて哀れ」

「しかしある程度当てはまる部分はあるのだろう? なにか今の事態を解決する手掛かりになることがあるやもしれない。思い出せるだけ思い出してもらい、情報を共有するのもよいのではないだろうか?」

「そうは言われても、別に思い出したくて思い出してるわけでもなし……他にいい情報もなし……」

 悩ましげにアランサスは唸った。その瞬間。


 轟音と共に風が巻き起こり、瓦礫が飛び散り、壁を隔てていたはずの隣室が、その壁ごと跡形もなく消え去った。がらがらと崩れ落ちる建物の石材の音が響く中、見通しの良くなった視界に、隣の隣の部屋の有様と、広い空が飛び込んでくる。

 真横の部屋がまるごと、謎の衝撃で吹き飛んでいた。


「は?」

 にわかに影が差し、顔を上げる。陽光を遮ったのは雲ではない。

 二階建ての寄宿舎をはるかに超える巨体。鈍色に光る肌に、六つ深紅の目が並んだ山羊の頭が、三人を見下ろしていた。

「……ただの魔物、魔獣の類にしては、見慣れぬし大き過ぎるようだな」

「おい……役に立たないなりに前世知識になんかないのか。解説」

「お前らなんか冷静ね?」

 前触れのない破壊活動と得体のしれない巨大な化け物の出現にも関わらず、ふたりの顔色も声音も、先ほどまでと寸分違わない。怖じた自分が異常なのかとアランサスは首をひねった。


「しかし前世知識っつても、なんか姉上相手に『ぬるい戦闘』とか馬鹿にして叩かれた記憶しか出てこねぇ、ぞ」

 アランサスの声を、魔獣の猛る叫び声がかき消し、それに揺らされた空気がリュカやジェイドのドレスを煽り、髪を靡かせる。と同時に、今度はアランサスの居室めがけて、拳が叩き落された。

 目を瞠るアランサスの腰を抱き、肩に抱え上げてジェイドが壊れた壁面から地上へ飛び降り、それに銀糸を靡かせてリュカが続く。

 再びの轟音と飛び散る瓦礫の中、リュカが声を張り上げた。


「で? つまりそのゲーム、普通の魔獣討伐以外になんかと戦ってたってわけか?」

「なんで普通に会話続けてるの!」

「いいから答えろよ」

 ジェイドの太い首に抱き着いて震えるアランサスに、無情にもリュカは言い放つ。

 よしよしとその背を広い掌で宥められて、肩から降ろされながら、アランサスは必死におぼろな前世の記憶を辿った。


「なんか話の合間合間に戦闘があったんだよ。神子が狙われて? 不思議な力どうのこうの? 悪い。そのあたりの設定はまったく覚えてないんだが」

「つまり、あれは私を狙って現れたということか?」

「さぁ、だいぶ当てになんない情報だから、実際どうだかな。でも、ともかく……」

 ぱちんとリュカが指を弾くと、その足元から彼を囲んで炎が渦巻き起こった。臙脂の光がぎらぎらと光る紫の瞳で揺らめき、銀糸の上で跳ねる。

「あれは俺たちで倒して片つけろってことだろ?」

「なるほど。では、遠慮なくいこう」

 にやりと笑うリュカに誘われるように口端を引き上げると、ジェイドが耳飾りに手を伸ばした。それを放ると、ひと振りの厳めしい槍と成り代わる。鮮やかに黄色のドレスの裾をさばいて、その穂先を魔獣へ向けてジェイドは凛々しく構えた。


「え~……なんでお前らそんなに好戦的なの……?」

 戦う気概に満ちた、ドレスだけは可憐なお二方へ、その背後に隠れながらアランサスは惑い気味にぼやく。

「お前の前世のゲームに少しでも沿うように事を進めていったら、無事に『ヒロイン』殿とハッピーエンド迎えられるかもしれないだろ?」

「それ、俺は何も無事じゃないからな?」

「いいからお前も協力しろよ」

 抗議の声を打ち消して、リュカは人の悪い笑みでアランサスを振り返った。


「この姿で暴れてるのを見られると面倒だ。周りへのこれ以上の被害も避けたい。辺境伯譲りの守護防壁の魔法。とくと拝ませてもらおうか?」

「あ~はいはい、わかりました。わかりましたよ。都合よく使われてやればいいんでしょ、この野郎!」

 アランサスが手を合わせて打ち鳴らすと同時に、怪物と彼らを囲んで白色の光の壁が瞬きの間に築き上げられた。

「たいして保たないから、お前らとっとと片付けろよ!」

「誰に言ってんだよ」

「任された」

 破れかぶれに叫ぶアランサスに、それぞれに応じたドレスの裾が翻り、怪物へと駆けていく。

 可憐な衣装と雄々しい後ろ姿、重なる化け物の咆哮に、記憶にあった物語とは、ずいぶん違った所に足を踏み入れてしまったものだと、アランサスは苦笑を漏らす。


 二度目の人生でも、ままならない。

(まあ、でもなんとか、俺にとってのハッピーエンドに持っていき……)

 威勢よく跳ね飛ばされた大きな山羊頭と、吹き上がる血しぶきが視界に豪快に飛び込んできた。注ぎかかるどす黒い血の滝に、アランサスは顔をぬぐって、自暴自棄に唇を引きあげる。

(ハッピーエンドに出来んのか……これ?)

 結末は茫洋と覚束ない。だが確実に動き出してしまっている何かの歯車に、アランサスは盛大に肩を落とした。

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転生王子と遠き彼方のハッピーエンド かける @kakerururu

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