転生王子と遠き彼方のハッピーエンド

かける

第1話

 まるで森や林と見紛うほど緑溢れる広い庭。そこでがさりと草むらが揺れ動いた。

「いいか、抜かるなよ」

 隣からかけられた心地よくも低い音色に、アランサスは頭を抱えて溜息をつく。ちらりと横へ流した視線の先には、春の日差しを受けて煌めく長い銀の髪。凛と眼前を見据える切れ長の紫の瞳と美貌を携えた、深い海色のドレス姿がある。

「帰りたい……」

「お前がここで事が始まるっつったんだろ」

 どこからどう見ても麗しきご令嬢は、顔を覆うアランサスに、低い声で刺々しくいって脇腹に肘打ちを叩きこんだ。その容赦ない威力にアランサスは思わずむせる。


 見た目は女神も頭を垂れる美しきご令嬢。しかし中身は男。大国ローゼサスの第一王子アランサスの婚約者。宰相の第五子にして長女のリナ・クロサンドロス――として育てられた五男・リュカが、隣の彼である。

 王族と血縁関係を結ぶことで力をつけてきた宰相家。しかし当代には五人も子が生まれて、ひとりとして女子がいなかった。なので仕方がない、最後の子供は女の子として育てよう――という逆転の発想で、リュカは女子として育てられ、王子の婚約者にしたてあげられたわけである。この剛腕を振るうにもほどがある事情を知る者は、ごく一部のみだ。


 しかし女子として養育されても、リナもといリュカは、中身はすくすくと男子としての自我が育った。ゆえに――

「お前が『転生が』だの『ゲームが』だの、なんたらかんたら言って、ここで運命の出会いがあるからって張ってるのに、肝心なところで間抜けを演じたら、すべて無駄になるだろうが。俺の男としての人生を政治的平和の元、取り戻す。絶対に抜かるな」

「もうそれ、お前が男の時点でいろいろ違ってると思うんだよ……ほんと」

 アランサスは、くしゃりと赤茶の髪をかきむしるように額に手をやった。


 生まれ変わったら、姉の行っていた乙女ゲームの世界の攻略対象キャラクターだった――という状態だった。とはいっても、前世の自分の意識はほとんどない。あるのは知識だけだ。おまけに、前世の自分はどう死んだのか、どう生きたのか、あらゆることが、どこもかしこも抜け落ちていて、ページの足りない本を読むように曖昧だった。

 だが、本当にゲームの世界なのかはいざ知らず、この世が前世で姉がしていたそれによく似ているのは確かだった。そして己も、姉が必死に攻略しようとしていたのを、雑に横目で眺めていた主要キャラクターと同じ境遇のようなのだ。――婚約者が実は女装し続けた男なのを除けば。


「ここにもうじき、お前と運命の恋をすることになる『ヒロイン』が現れるんだろ? 木に登って降りられなくなった子猫を助けに。で、それを助けようと木登りして落ちかけたところを、お前が助ける。なおかつ、その現場を発見した俺が、『ヒロイン』の横っ面をひっぱたき『この泥棒猫!』的なこという。――この概要で本当にいいのか?」

「俺も聞けば聞くほど不安しかないよ……」

「まあ、危機を救う。最悪の恋敵から庇ってやる――というのは、恋のごまかしを与える初歩としてはそこそこ効果がありそうではあるが……総合的に雑な感じがするのが、ちょっと……」

 形のいい眉を寄せながら、リュカは悩ましげに腕を組む。そのどうでもいい苦悩でさえ、魅力ある翳りとして映えるのだから、やはりこの男、顔だけはいいようである。


「俺も脇で人のやるゲーム情報を眺めてただけだから、あんまりはっきりとは覚えてないんだよな」

「この役立たず」

「お前ほんと、一国の王子かつ時期王位継承者へ、そのあるまじき態度は心底どうかと思うんだが?」

「いまさら取り繕う仲でもなし、何を言うんだか。それに、アランサス殿におかれましては……王位継ぐ気あんの?」

「ないですね」

「だろう? だから、俺とお前と我が家の利害が一致するこの作戦なわけなんだし」


 アランサスに王位を継ぐ気はない。優れた異母の弟がいるので、国のためには彼に王位を譲りたい。だが、この国は生まれた順が王位継承権の順番だ。母方の政治的圧もあり、おいそれと譲り渡せるものではない。

 リュカもリュカで、このまま女装し続け、女性として王妃の座におさまれば、最終的にはどうあがいても産めるはずのない子を産んだことにされ、その子の母にされてしまう。そうまで己の生家のために生涯を捧げる気持ちは、リュカには微塵もなかった。だが、実家を見限りたいわけでもない。だからこそ、複雑に絡みあう貴族内の政治的な駆け引きの内で、己が事情だけで婚約破棄など為せはしないのが現状だ。

 そして宰相家はその実、第二王子が王位を継承するならば、彼の母が宰相の妹のため、そちらの方が都合がいい。

 そうしたもろもろの事情を総合し、アランサスの前世の曖昧な知識を元にリュカが考案したのが今回の作戦だ。


 王侯貴族の子息子女が就学のため預けられる大聖堂。三年の寄宿生活が営まれるそこに、此度、異色の少女がやってくる。

「異民の神子様。それが、お前のいう前世のゲームでの『ヒロイン』で、お前と恋に堕ちて、自分の故郷に、身分も何もかもを捨てたお前を連れてってくれるんだろ?」

「そういうルートもあるというだけの話で、そうなるとは限らねぇよ」

「もぎとれよ。惚れた女との幸せ生活」

「まだ恋にも堕ちてないどころか出会ってもないのに、そんな気概わきでるか!」

 高圧的にハッピーエンドの押し売りをしてくる婚約者に、思わずアランサスは声を張り上げた。


 この国、ローゼサスには、時折、神子が生まれ落ちる。それは神の加護を受けた不可思議な力を持つ者で、国に祝福をもたらす存在とされていた。

 しかし此度は、歴代の神子たちと事情が異なったのだ。十数年前に戦火を交わし領土とした、かつての異国の地の民の元から、神子の資質持つ者が現れ出たのである。

 いまだ争いの爪痕が消えぬ間柄の民の子だ。神子として受け入れたいが、力で下した異民が、果たしてローゼサスの力となってくれるのか疑問視する者たちも多い。

 ゆえに、此度の神子は歓迎されると同時に警戒をもって、大聖堂に迎え入れられるのだ。


「神子の力は、俺たちが操る魔法以上に、精神の状態に左右される。神子としての力を我が国のためにふるってもらえるならば、満足を与えるため、それなりな無理難題も叶えられるだろうさ。たとえば、『時期王位継承者と、権力を離れた場所で穏やかに暮らしたい』――とかね。有り得ない話じゃない分、期待も持てる」

 べにを載せた薄く整った唇は、にやりと強かさを湛えて引きあがった。


 神子の恋の我が儘に、すべてを託し、事態を解決する。そのいくぶん強引が過ぎる案が、リュカの作戦だった。

 だが神子が望めば、王位を第二王子に譲ることも、婚約を破棄することも、横紙破りな願いとはいえ、叶えられえるだろう。他のもっと強引で危ない政争の橋を渡るより、ずっと安全で、確実に。


「だけどこの作戦、俺と神子が恋に堕ちないと成り立たないのを忘れるなよ?」

 あまりにも前のめりなリュカの姿勢に、アランサスは苦言のように釘を差した。

「分かってる。だから、『抜かるな』と言ってるんだろ。絶対に、お前に惚れさせろ。そのためには俺も手を尽くしてやるよ。あれだろ? そのゲームだと、いろいろ俺が嫌がらせすることで、ふたりの絆が深まってくんだろ? 任せろ」

 人が悪く微笑んで、ふわりと優雅に、リュカは肩に流れかかった銀糸の髪を背へと払いのけた。叩き込まれた后教育の賜物で、仕草は優美の一言だ。それでいてなお、性根と口の悪さが今の状態なのだから――

「……生まれついての立派な悪役令嬢様だよ、お前……」

「父や兄たちに比べれば、俺なんて可愛いもんですわよ」

 からかうように高音を気取った声に、ちらちらと彼の家族の姿が脳裏をかすめ、アランサスはげんなりと肩を落とした。

「……ごもっとも」

 輝かしい貴族社会の一皮むいた裏側。権謀術数絡み合う戦場を、その剛腕でのし上がり、勝ち続けている一族だ。彼らの底知れない腹積もりの空恐ろしさの前でなら、きちんと悪い顔を示してくれるリュカは良心的だろう。


「とはいえ、向こうがあの手この手で惚れてくれたとしてもさ、俺が相手を好きになれるかってところもあるだろ?」

「なれよ」

「怖っ」

 温度のない眼差しと思いのほか真摯で低い語調に、アランサスは広い己が肩を抱いて震わせた。

「なに? 俺に恋愛の自由はないわけ?」

「お前に許された恋愛の自由なんてもんは、『ヒロイン』とくっつくか、俺と仲良く傀儡夫婦ごっこするかだけだよ」

「……愛人こそが真実の恋だよな」

「前世の自由恋愛思想に毒されて高望みするなよ。生きる今を見つめておけ」

 遠い目をするアランサスに、リュカがすげなく告げる。


 その時、遠くから犬の吠え声がして、リュカは顔半分ほど高い位置にあるアランサスの頭を容赦なく押さえつけた。

「来る……! 伏せろ」

 リュカの囁きと犬の声に、か細い鳴き声が重なる。とたんに、ひゅっと二人の潜む草むらの前を黒い影が過っていって、その先の木の上へ駆け上っていった。

 追いかけてきた犬が、根本に足をかけながらなお樹上に吠えかける。

 その騒ぎの中、草を踏み分ける足音がひそやかに近づいてきた。アランサスもリュカも息を詰める。

 おそらく、ここに来ることになっている『ヒロイン』だ。彼女が犬を追い払って、猫を助けに木に登って、降りられなくなったところを偶然を装ってアランサスが助ければいいのだ。


(ん……?)

 引っ掛かりを覚えて、アランサスは首をひねった。それに気づいて、「なんだよ」と小声で問うてきたリュカへ、疑問のままに言葉を紡ぐ。

「いや……猫を助けるのはゲームで見た展開なんだが……こんな吠えてる犬は、いなかったような……?」

 何にそんなに怒り狂っているのか、牙をむき、涎を散らしながら吠える犬は、近づくのでさえ相当の勇気を要する。それを、ゲーム通りならば、あまり力は強くないはずの『ヒロイン』が、追い払えるとは思えないのだが――

 瞬間。風を切る音が二人の耳をつんざいたかと思うと、音を立てて大ぶりな石が、犬の眼前の幹に力強くぶち当たった。


 驚愕して振り返った犬のわきに、また一石。音を立てて石が投げつけられる。そして――

「犬。私もお前を傷つけたくはない。これで立ち去ってはくれないだろうか?」

 語りかける、穏やかで優しい声。だがそれは明らかに、リュカよりも、アランサスよりも、深く低い響きをもっていた。

 言葉が通じたのか、投石に怖じたか、犬が文字通り尻尾を巻いて逃げ出していくが、草むらのふたりも犬どころではない。有り得ない音声に、勢いよく声の主の方を振り返った。


 そこには確かに――異民の者が、ローゼサス風の日差し色のドレスを纏って立っていた。褐色の肌に、その鮮やかな黄色が良く映える。目を奪う見事な取り合わせ――なのだが、それ以上に目を奪われることが多すぎた。

 背が、リュカはもとより、アランサスよりも頭一つ分は高い。広い背中、しっかりとした肩幅。鍛えられたがっしりとした発育のよい体躯が、ドレスの中できつそうにしている。深い焦げ茶色の髪がうしろでひとつの三つ編みにきっちりと結われ、愛らしい髪飾りをつけているが、そのきりりとした結ばれ方が凛々しさ以上に雄々しさを感じさせる。二重のぱっちりとした双眸と彫の深さが印象的な顔立ちは、端正ながら、武人然とした厳めしさが漂っていた。そして太い首には、覆う飾り布で隠しきれない喉仏がある。


「おと、」

 ばしんっとリュカの掌がアランサスの口元に叩きつけられた。

「ああいう女性かもしれないだろ。可愛い可愛い」

「無理があるだろ、無理が!」

 掌を押しのけ、小声ながらも嚙みつき叫ぶようにアランサスは捲し立てる

「隠しきれない性差の特徴ってのがあるだろが!」

「いやぁ……俺、だいぶ女装向きに生まれてたんだな。彼、苦労してそう。同じ身の上として同情する」

「そこじゃねぇんだよ。え? どういうことなの? 人違い?」

「いや、状況と条件的には、彼が『ヒロイン』」


 犬が立ち去ったあとに歩み寄り、何事か穏やかな低い声が樹上へ呼びかけると、ふわりとそのたくましい腕の中へ、子猫が飛び降りてきた。ごろごろと、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。

「動物に好かれてる。心優しそうじゃん。良かったね」

「なにひとつとしてよくねぇよ?」

 抑揚のないリュカの祝福に、アランサスは眉を吊り上げる。

 と、ひそひそやり合うふたりの頭上に影が差した。そろりと見上げれば、驚きに瞠られた深い藍色の瞳とぶつかる。


「あなた、方は……?」

「細かいことは追々話すんで……ひとまず、結婚を前提にこいつと付き合ってやってくれる?」

「やめろ馬鹿野郎!」

 強引に話を外れてきっている既定路線に乗せようとしてくるリュカに、アランサスは声を張り上げた。当然のように猫を抱く彼には困惑しか浮かんでいないが、こちらにだって混乱しかない。

 にゃあ、と、ゲームとは違い、特に活躍のなかった子猫の呑気な鳴き声が、混沌とした空気の中に愛らしく溶けていった。





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