鍋を食べ終わらないと出られない部屋

はに丸

鍋を食べ終わらないと出られない部屋

 『鍋を食べ終わらないと出られない部屋』

 扉にはそのように記載されていた。鋳型で作った意匠のようであり、無駄に凝っている。

「つまり、そこにある鍋を食わぬと我らは出ることあたわぬらしい」

 しんの宰相、正卿せいけいである趙盾ちょうとんが宣言するように言った。その横で士会しかいが頷く。後ろで郤缺げきけつが爆笑をこらえたようで、必死に口を押さえていた。荀林父じゅんりんぽは、中央にこたつと鍋料理ワンセットしかない、真っ白い部屋を見渡し、途方にくれた。

 ナニコレ。

 紀元前600年ごろ晋に生きた彼ら、政治の中核を担うけい、今で言う内閣大臣のメンツが、何故か不思議な部屋にたたずみ、時空をこえた現代日本の風物詩である鍋をつつくこととなっていた。ここまでにいたる記憶が霞んでいる。これは祟りか災いか、天地山川さんせんの神のいたずらか。

「食べ終われば我らは解放され、それが早ければ早いほどまつりごとに支障なし」

 常にためらいなどない趙盾が率先し、端麗なしぐさで、さっとこたつに座した。続いて郤缺と士会がこたつに座し、荀林父も慌てて追いかける。そうして気づく。趙盾の真正面である。士会と郤缺が趙盾を先に、そしてさっさと動いたのはこの場所を避けるためであった。面相は極めて良い、ぶっちゃけ美形の部類に入るが、圧の強い趙盾を真ん前にして食事などしたくはない。荀林父は途方にくれた、二度目。

「この、こたつというもの。ほどよい暖かさがあり、また、この布団が心地よさを助長する。このようなものあらば、自制自律の心が怠けるというものです。我が晋には不要。持ち帰る必要はないな」

 趙盾が布団を軽く叩いたりめくりあげて中を覗きながら言った。

「持ち帰るつもりだったのか、あんた」

 士会が呆れて言った。士会は極めて察しがよく、この部屋は創作の小ネタによく使われる異空間であり、その場限りのことであるとわかっていた。いわば幻影であり、なんらかの都合上、己らが放り込まれたことさえも嗅ぎつけている。それを趙盾もうすうす分かっているであろうに、持って帰るなどと言っているのだ。

「有用なものは手に入れ晋のため使うが正卿たる私の使命です。我が晋は北方に位置し、冬も厳しい。ゆえ、良い暖具かと思いましたが、害が大きく思える。考えを改めた」

 真面目に返し、趙盾が視線を鍋に向けた。出汁が入っているだけで、具は何もない。趙盾は、卓上に具材が用意されているのを見つけ、盛られた皿ごととると、一気に全てを鍋へ流し込もうとした。それを、郤缺が止めた。

「何をなされる、趙孟ちょうもう

「何を、とは。鍋に具材無ければ煮ることかまいませぬ。私は国の音頭をとる身、責をもって具材を入れようとしたまで」

 郤缺は表情薄いまま強く言う趙盾の手を押しとどめ、首を振った。

率爾そつじながら申し上げる。この鍋はまだ火がついておらぬゆえ、我らは食す準備からはじめることとなっております。入れる具材の順番というものは決まっているもの、それをおろそかにしてはなりません。しかし、趙孟は全てを入れ煮込もうとされた。そうなれば、料理としての体裁は無くなり、食べきるも難儀なものになります。正卿としての任とお思いなられたは良きことなれど、しかしここは私にお任せいただけぬか。これでも最も年かさです。お信じください」

 郤缺の言葉に荀林父は胸をなでおろし、士会がめんどくさそうな顔をした。荀林父は具材の順番などどうでもよいが、趙盾が一気に入れ込むことでどう考えても鍋から具材が溢れる心配をしたのである。趙盾のことであるから、きっとむりやりぎゅうぎゅうに押し込んでいたであろう。そうなれば、食べるものが全て崩壊しているような気がしたのだ。対して、士会はそのまま趙盾にさせておければよいのだ、とうんざりした。とりあえず煮詰めた具材を腹に流し込めば終わるのである。それを郤缺が止めた。郤缺という男は極めて敬篤く果断でありながら物事が丁寧、という得がたい友人であるが――時々、くどい。

「火を点ける前に、まずは根菜、白菜の茎の部分。そして鶏肉を入れます。魚も用意されているがこれは下々の食。いかがする」

「全てを食べろということは、具材も全てということでしょう。お入れ頂くよう」

 郤缺の言葉に趙盾が素早く言った。少々、食い気味でもあった。荀林父は国事のためであれば小事を廃する正卿であると、趙孟の態度に少し感動した。士会は魚が食べたいならそう言え、といつもの如く呆れた。

「――それでは、魚を。魚の出汁も良いもので、アラの部分などをお入れしましょう。身の部分は崩れやすいゆえ、あとから入れて食べれば良ろしい」

 郤缺の言葉に趙盾が素直に頷いた。

「しらたきは出汁を吸って妙味が増します。ゆえにこちらも入れる。ここでようやく火が点けられるというもの」

 細々ときれいに配置しながら郤缺は謳うように言い、カセットコンロの火をつけた。カチッという音と共に、ガスコンロ特有の青い火が鍋を温めはじめた。自然に近い発火に頼っている四人にとって、極めて珍しく、しばらくぼんやりと眺めた。火は文明の象徴であるが破壊の象徴である、というのは古代人にとっては現代の私たちよりさらに強くあるであろう。火を囲み異界の儀式をしている気分となった。まあ、単に鍋を食べるだけなのだが。

「……そういえば、よく己らで用意をする、ということを考えついたな、趙孟も郤主げきしゅも」

 妙な空気を払拭するように、士会は言った。本音でもある。貴族であり男でもある士会は、誰が用意するのであろうか、とまず考えていたのである。それは荀林父も同じであった。おおよそ、貴族は身の回りの小事を己でするという発想はない。同じく貴族の郤缺や趙盾が即座に煮炊きを考えたのが不思議であった。

「私は十九才までてきゆうにて母と二人で生きてきた。食べるもの全ては己で用意するものであり、母の煮炊きを手伝うこともあった。鍋あり、小者おらず具材あれば己で入れるが理に適う」

 趙盾が少し不思議そうに言う。荀林父はともかく、士会ほどのものが思い浮かばないのか、という顔であった。

「私は父が逆臣として処刑され、不孝にも後を追わず一時農民として潜んでいた。大夫としてのは守るよう務めていたが、食はどうしようもない、妻だけに任せられようか」

 郤缺がものすごい満面の笑顔で言った。荀林父がお二方の苦労、私にはわからず失礼をいたしました、と丁寧に拝礼しているが、士会は蒼白となった。趙盾はともかく、郤缺の地雷を思いきり踏んだのだと察した。農民に身をやつしていたことではなく、父の生き方に背いている己が許せぬわけだ。そういった空気に気づかず純朴に受け止める荀林父が羨ましい。

 そんな士会に郤缺が冷めた目を向けた。天才すぎる士会のそういった、異常なほどの察しのよさは時々腹立たしい。一応こいつらとっても仲良し友人である。

 そのようなやりとりをしているうちに、ふつふつと小さな泡が立ち、入れた具材がかるく揺れ出した。

「そろそろキノコを入れる儀」

 郤缺がうきうきと皿と菜箸を持ち、言った。いつから儀式になったのか。

「キノコは良き出汁が出るも火が通り過ぎると食感失うもの。今が入れ時というものです。そして、この豆腐は木綿豆腐で崩れにくく味が染みこむほうが味わい深い。このタイミングで入れるのが吉。ただ、鶏や魚から出たアクが気になるところですから、これは丁寧にとっていきます」

「もう、この鶏や根菜は食えるのではないか?」

 士会はすかさず問うた。大きめのものはともかく、小さいものは火が通ってそうであった。入れながら食えば良いではないか、そのほうが早い。兵は速さを尊ぶ。

 瞬間、場が冷えた。

「士季は政事軍事にすぐれ、適材適所を尊ぶ才のある卿。おっしゃること一理あろうが、ここは私が正卿に任された儀ゆえ、信用していただきたい」

 郤缺が柔らかい笑みで返したが、侮蔑の空気がありありと伝わってきた。荀林父が固まる士会にしがみついて、逆らっちゃいけない気がします、と怯えながら言った。士会も頷いた。趙盾だけが空気に気づかず、郤主の差配に従いましょう、と言った。

 沸騰してくると、郤缺は魚の身、薄切りの豚肉や牛肉を入れ、中火にした。

「これらは火が通りやすいもの。アクをとることはやはり肝要。ほら、色が変わりだしましたね。そろそろ煮えますので、葉ものをいれましょう」

 邪魔がすっかり入らなくなった郤缺は楽しそうに語りながら手早く進めていく。白菜の葉、水菜などを咥え、いわゆる寄せ鍋が完成した。

荀伯じゅんはく、器を。お入れ致しますゆえ」

 ご満悦の郤缺に、荀林父はおそるおそる陶器の器を渡した。鼻歌でも歌わんばかりの郤缺が、お玉や箸を使って荀林父のためによそっていく。器には彩り良いようにきれいに盛りつけられ、しっかり牛肉が入っていた。その後、自分のぶんを盛りつけると、郤缺は荀林父に薬味はいかがかと説明を交えながら笑った。上司の趙盾と友人の士会は丸無視である。郤缺は癒やし系荀林父推しの男である。完全に趣味に走ったらしい。

 大雑把な趙盾と切り替えの早い士会は気にすることなく己で器に盛った。士会はバランス良く取り、趙盾は魚と根菜を多くとる。

「宴席の祀りはいかがしましょう?」

 荀林父が問うた。当時の宴席では食すときにやたら煩雑な儀式を交えながら一品一品を食す。

「いらんだろ。辺境の料理だ」

 すでに食べ始めていた士会は、飲み込むと代表して答えた。趙盾も無表情ながら魚を堪能しており、郤缺もしらたきをもきゅもきゅ食べていた。神経が太すぎる三人に囲まれ引きつりながら、荀林父は食べ始めた。

「美味しいですね」

 思わず、口にしたあと荀林父は行儀が悪いと謝ろうとした。が、他の三人は、いい、いい、と適当に手振りして食べ続ける。塩か原始的な味噌などしか調味料の無い古代人である。複雑な味でありながら素材を生かした料理に舌鼓する。

 しばらく食べているうちに、異常に気づいたのは士会であった。

「おかしい。多すぎないか」

 言われ、郤缺も気づく。

「私が差配した量を超えている。

「これ、食べきれないと私たち帰れないんですよね?」

 荀林父が引きつった笑みを見せた。

「……終わりなき食事などありえません。一心に食べましょう」

 表情薄く変えず、趙盾が淡々と箸を動かし続けた。

 最初にギブアップしたのは郤缺であった。

「いや申し訳ない、これ以上は無理というもの」

 そう言いながら、身を傾ける。水を飲もうとしたが、それさえも苦しい。

「仕方が無い。郤主は我らのなかでもっとも経験ありお年を召している。年長の方は食も細くなるというもの、お体を労って欲しい」

 趙盾が出汁を吸って重い味になっている白菜を食べて言った。本人は嫌味ではなく心底ねぎらったらしい。郤缺もわかっているが、殴りたくなった。

 奇跡が起きたように、そろそろ底も見え始めた頃、士会と荀林父が同時に果てた。

「無理です……」

 半泣きで言う荀林父を見て、士会も一気に限界が来てしまった。

「……少し休む」

 往生際悪い言葉を呟き、動きを止めた。黙々と食べ続ける趙盾はもはや声をかけなかった。

 最後の、大根の一切れを食べきった趙盾は

「無事、食べ終わりました。先達の方々があってこそ、私は歩むことができました。これからも、この非才をお導きください」

 そう、見事に美しい所作で拝礼して、食べ過ぎに苦しむ三人を見回した。この後、どのようにして四人が元の世界に戻ったかはわからぬが、とりあえず史書にはそれぞれの人生が綴られているため、問題なかったのであろう。


 以下、余談である。

 この四家で最初に滅んだのは郤氏である。晋の歩みを考えれば、かなり早く滅んでいる。

 その次、はるか後年に荀氏と士氏は同時に滅んだ。ニ家で結託し、趙氏と対立したが、結局負けた。

 趙氏は晋を滅ぼし、国君として独立した。趙盾は戦国七雄のひとつに数えられる趙国の祖として今も伝えられている。

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