刺繍

塚本ハリ

第1話

 一目惚れだった。色も、デザインも、まったくもって好みだ。お弁当用バッグにちょうどいい。

 「どうですか? こっちのナプキンもセットで三五〇〇円です」

 売り子の女性が声をかけてきたが、声を掛けずとも「買い」だと思った。濃い藍色の丈夫そうな木綿地で作られた、小ぶりのミニバッグ。よく見ると、同じ色の細い絹糸で、細かい紋様が刺繍されている。紋様は幾何学模様のような、ちょっと変わったデザインだ。昔、青森県に旅行した際に見かけた伝統工芸の「こぎん刺し」にも見えるし、北欧のそれっぽくも、北海道のアイヌ刺繍にも似ている気がする。

 おそろいのデザインのナプキンは、これまた細かい刺繍を施している。弁当箱を包むのにちょうどよいサイズだし、そのままランチョンマットにもなりそうだ。敢えて布地と同じ色の糸を使った刺繍なので、ぱっと見には濃紺の無地に見えるが、手に取れば細工の細かさに舌を巻く。むしろこのクオリティでこの価格は破格ではないだろうか。

 「これは、あなたが作ったんですよね?」

 「ええ、力作なんです」

 美沙の問いに、にっこりと笑みを浮かべて売り子の女性が答える。年のころは三十路半ばか。人懐こそうな笑顔、整った顔立ち。明るく染めた髪や華やかな化粧、手入れされたネイルなどを見ると、この素朴な作品を作るような感じには見えない。なるほど、人は見かけによらないものだ。そういえば、テレビで見た強面プロレスラーが、大の甘党なスイーツ男子だっけ。何事も、偏見は良くない。

 「これ、ください」

 「はい、ありがとうございます」

 こうして、その手作りのミニバッグとランチョンマットは、橋本美沙のものとなったのである。


 きっかけは娘の美弥の弁当箱だった。この春、めでたく志望校に合格した。が、小中学校時代とは異なり、高校はお弁当持参である。これから毎日お弁当作りかと思うといささか気が重い。それでなくとも気難しい年ごろだ。「どんなお弁当箱にする?」と聞いても、スマホ片手にこちらを見やることもなく「なんでもいい」と素っ気ない態度だから腹立たしい。

 そうはいっても作るのはこちらである。せめて多少なりともモチベーションの上がりそうなものを用意したいと思うのが親心だろう。もちろん昨今は百円ショップなどがあるし、昔と違ってこじゃれた雑貨屋も多い。だが、どれも一長一短で、どうしても気に入るようなものが見つからなかった。

 「どうしたの? ため息なんて」

 職場で同僚に声をかけられて、自分がため息をついていたことに気づいた。

 「いやぁ、娘のお弁当がねぇ……」

 「あー、合格したんだもんね。おめでとうございます」

 「でも、今までずっと給食で、お弁当なんて遠足くらいだったから。毎日毎日、三年間続くのかと思うと……」

 「なーに言ってんの! アタシんとこなんて三匹のバカ息子、もう適当だったわよ。ご飯炊いて、焼いた肉でも上にのせてりゃ十分。それに三年間なんて、あっという間だもん。そんなに難しく考えるこたぁないのよ」

 同僚の池上佳恵は豪快に笑う。まさに肝っ玉母ちゃんだ。

 「あの~、すみません。来月の『手づくり市』の申し込みは、こちらでよろしいでしょうか?」

 「あ、ハイハイ。こちらですよ」

 二人の世間話を打ち切ったのは、受付窓口に訪れた年配の女性。着物をリメイクしたらしいワンピースを着ている。

 「では、こちらにお名前とお電話番号を……。ところで、素敵なお召し物ですね」

 「そう? ありがとう。うふふ、。もう着なくなった着物で作ったのよ」

 女性はくすぐったそうな笑みを浮かべている。

 「……はい、確認いたしました。それでは当日、よろしくお願いいたします。こちら、当日の注意事項などをまとめたチラシです。一応ここにも書いていますが、搬入は朝の八時半からです。あと、私どもでは両替できませんので、お釣り用の小銭などを忘れないよう、ご注意くださいね」


 美沙と佳恵の勤め先は、市内に五つある地区センターの一つ、中沢地区センターだ。三階建ての建物には、ちょっとしたコンサートができる小ホールと体育室、小さな図書室、和室、調理室、会議室などがある。美沙たちの仕事は、センター内の管理業務全般だ。地域住民のための健康診断や、最近だと新型コロナウイルスのワクチン接種会場、マイナンバーの申し込み会場にも使われた。また、社交ダンス愛好会や韓国語講座、ヨガサークル、アマチュア合唱団など、地域の人々が参加できる講座や催しの企画・運営にも携わっている。

 先ほどの女性が申し込んでいたのは、来月の第三日曜日に開催される「手づくり市」だった。隔月で開催されるイベントで、今では地元のハンドクラフト好きに評判の催事だ。人気になったのは昨今の手づくりブームも大きいだろう。また、公共施設を利用しているので参加費が割安なのも一因だ。来月で五回目の開催になるのだが、最近は区外どころか市外からの参加者も増えている。

 美沙は丹念に申込書をチェックする。記載漏れはないか、扱う商品は何か。ものによっては販売が許可されないものもあるので要注意なのだ。

 先ほどの婦人は着物をリメイクした洋服を販売するらしい。他にも手作りの人形や、籐で編んだ籠など、様々なものが売られる予定だ。

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