第5話

 結局、手作り市では千佳と明日香がコンビで出店することとなった。売り場では千佳が積極的に声をかけ、懸命にセールストークをする。

 一方で、明日香は売り場の片隅に腰を下ろし、黙々と布に刺繍を施していた。内気で客との会話もままならない明日香は、自分が作っていることを見せれば良いだろうと言ったのだ。

 「……ほ、ほら、あの、デパートの物産展なんかで職人さんが実演販売しているじゃない? ああいう感じなら、自分でもその場にいられるから……」

 当日の朝、準備中の会場でおずおずとそう言った明日香に対し、千佳は自信満々に「あっそ、じゃあ売り場はアタシに任せてもらうわよ」と答えた。

 「……なによあれ、ホントに面の皮が厚いわね。あの奥さんには悪いけど、売れなきゃいいのに」

 池上が美沙にそっと耳打ちする。そんな様子を見ながらも、スタッフとしての作業が山積みだ。入場受け付けや、売り場の見回り、次回の開催のお知らせチラシの配布に、ホームページに上げるための写真撮影もしなくてはならない。二人の様子は気にはなるが、そればかりにかまけてはいられないのだ。


 「ねぇ、ママ。あの人たちのお店、ぜんぜん売れていないみたいだよ」

 手作り市が始まって一時間ほど過ぎた頃、客として足を運んだ美弥が声をかけてきた。美沙同様、明日香が心配で様子を見に来たのだ。

 千佳の目論見とは裏腹に、千佳と明日香の売り場は閑古鳥が鳴いていた。客は明日香の作品を手に取っては見るものの、次の瞬間にはひどく嫌そうな顔をして買うのを止めるのだ。作品は別に変ったところはない。むしろ、前よりも丁寧な刺繍が施されていて、明日香が頑張って作ったことが容易に想像できる。

 売り上げ不振は何が理由なのか。会場スタッフとして見回る中、一人の中年女性がバッグを手にしているのが見えた。内部を確認しようとしたのか、手を差し込んだ次の瞬間、その客は悲鳴を上げてバッグを床に叩きつけた。その顔は真っ青で、ぶるぶる震えている。

 「どうかしましたか?」

 美沙はすかさず駆け寄り、声をかけた。その客は、泣きそうな声で「中に何かいる!」と言ったのだ。

 「はぁ? 何も入っていませんよ」

 千佳が困惑したように袋を拾い上げる。バッグは空っぽだった。だが、客の手の甲には、ほんの少しだが血が滲んでおり、何かの小さい動物とおぼしき噛み跡が付いていたのだ。

 「お客さん、とりあえず事務室へ! 傷の手当てをしますから」

 美沙はその客を連れて、足早にその場を去った。ふと振り向くと、明日香が黙々と刺繍を施しながら、少しだけ笑っているように見えた。


 「バッグの内側に、スマホ用の内ポケットがあるかな? と思って中を覗き込んで手を差し込んだんです。そしたら、何か猫みたいなぐにゃりとした柔らかい生き物が手に当たって。びっくりしたら、中で目玉みたいなのが光って、手をベロってなめられたと思ったら、チクっとして……」

 「何だこれ。猫?」

 「でも、何もいなかったじゃない?」

 「けど、実際にこうやって噛み傷があるし……」

 「なんだか気味が悪いですね」

 センター長の近藤や池上も心配そうに見ている。美沙は事務室の救急箱から消毒薬を取り出し、応急手当てを施した。傷そのものは非常に小さく、一センチあるかないか。歯形というほどのものではないが、小さな針で刺したような跡が二つ。例えて言うなら仔猫か蛇の牙が刺さったように見えた。

 「動物の噛み傷は怖いですからね。一応消毒しましたが、念のため病院に行った方がよろしいかと思います」

 「はぁ、ご丁寧にありがとうございます。それにしても、何でしょうねあれ。どの作品もステキなのに、手に取った瞬間、なんだかいや~な感じがして。それでも中身を見てみようと思ったらこんな目に遭うとは……」

 女性は何度も礼を述べながら、会場を後にした。


 結局、その日の千佳の売り上げはゼロ。参加者がそれぞれ売り場の撤収作業に取り組む中、彼女は不機嫌さを隠しもしないで不貞腐れていた。

「何で売れないのよ。腹立つ!」

 明日香は何も言わず、陳列していた商品を畳んでは段ボール箱に戻している。あてが外れて悔しそうな千佳とは対照的に、落ち着いた様子だった。参加者が次々と撤収していく中、千佳はその場に明日香を一人残してさっさと出て行った。明日香の作った品物は、全て自分の車に積み込んで、だ。

 「何、あれ? 態度悪っ!」

 池上が憤懣やるかたないといった表情で呟いた。その声が聞こえたわけでもないのだろうが、明日香がにっこり笑ってこちらに会釈をし、そのままセンターを後にした。

 「明日香さん!」

 居残っていた美弥が、慌てて後を追った。程なくして戻ってきた彼女の手には、非常に小さい巾着袋が数個あった。

 「……これ、皆さんへって」

 受け取ったそれは、余り布を使って作ったのだろうか。うねうねとした渦巻のような、蛇のような紋様の刺繍が施され、手に取ると上等な線香のような香りがした。

 「匂い袋?」

 「そうみたいね」

 「お礼だって。明日香さん『心配してくれてありがとう』って。あと、あの人がもうココに来ないようにするからって言ってた」


 

 

 

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刺繍 塚本ハリ @hari-tsukamoto

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