第10話よぎる記憶
何事もなく、音方がこちらに向かってきていた。先程の、猫田が話していた女など現れないと思いながら次の行動はどうしようかと水樹さんと考えていたときだった。いつの間にかそいつはそこにいたのだ。音方の後ろに這いずっていた。俺と水樹さんは叫ぶ。
「音方、走れ!」
「音方君、逃げるんだ」
叫びながら俺たちは音方の所に走り出していた。しかし、音方は状況を理解していないのかただ立っていた。
そして、引きずり込むように橋から女が音方を連れて落ちていった。俺は川の近くまで走る。水樹さんは橋の上から身を乗り出して音方が落ちていった方を見ていた。
少しだけ気になっていたことがある。水樹様が音方を一人で橋を渡らせたことだ。視えるとしても音方は一般人だ。それなのにもかかわらず、こんなに危険なことをさせたのが不思議だった。
何か、考えていることがあるのだろうか。そんなことを考えながら、川に入ろうとしたときだった。水樹様が橋の上から叫んだ。
「真白!そこの岩があるところまで凍らせてくれ!」
水樹様にそう言われて川を見る。そこには大きい岩があった。よくは分からないが水樹様が言ったように凍らせる。
冷たい川の中に手を入れて少しずつ凍らせた。徐々に白くなっていき、川の流れが変わる。凍った川の上を歩いて音方がいるであろう辺りを覗き込む。
「音方!」
名前を叫ぶが音方は見つからない。さすがに暗くて中は見えない。自分が飛び込むしかないと思ったときだった。
水中で何かが光った。直感でしかないが音方だと思った。だから水の中に手を入れてそれに手を伸ばす、必死にこちらに向かって手を伸ばしている音方を引っ張りあげた。
何とか、息をしているようで死んではいなかった。人なんて川で溺れてしまえば簡単に死んでしまう。まあ、死んでいなくて良かったとは思う。音方の安否を確認しているといつの間にか水樹様が横にいた。
「無事だったね」
そう言いながら川に近づいていった。その顔は無表情で音方の無事に安堵している様子でもなく、こんなことをした女に怒っている様子でもなかった。
音方を近くで寝かせながら水樹様を見守る。水樹様が水面に手をかざしたかと思うと水が奇妙に捌けていった。再び、女が現れる。
「どうして、こんなことをしたのですか?」
そう、優しく水樹様は問いかけた。
女は水樹様に向かってくる。しかし、腕を捻りあげて動きを封じる。そして、微笑みながらその女を見る。抵抗は無駄であるという圧力だった。そして、女は言葉を吐き出していく。
「好きだった人がいたの」
そして、女はうつむきながらも話してくれた。その内容は彼女をこうしたのも納得がいくものだった。
橋の上で恋人と待ち合わせをしていた彼女はスマホを見ながら川の方を向いていた。時間になっても現れない恋人を心配に思いながらも待ち続けていたそうだ。
しかし、無理やり川に飛び込まされたらしい。そのときの顔は見れなかったようで、恨みだけが彼女の中に残ったそうだ。そのうちに誰でもかまわずに襲うようになったと。なぜ、自分が死なないといけないのかすら理解しないままこの世を去った彼女の悲痛な叫びだった。
ずぶ濡れで、目を覚まさない音方に目をやる。呼吸はしているが体は冷たい。水樹様も一度音方を見て、その女性に向き直る。
「なんで、音方君を狙った?私や真白も歩いていただろう?」
誰でもいいなら、俺や水樹様でもいいはずなのに特定で音方を狙ったようにも見える。その女性はうつ向いたまま言った。
「全員、私と同じめにあえばいい!」
狂ったような笑みを張り付けて、水樹様を襲う。俺は音方を抱えて少しだけ離れた。再び、二人の方に視線を向ける。水樹様が女性を押さえていた。
「私はここに仲裁に来た。人を傷つけることも、死んだものを貶すこともしない。だから、誰かを襲うのはやめてもらう」
そう宣言をした。俺たちはあくまで仕事をする立場だ。猫田からの依頼はこの村と彼女を救うことだった。だから、水樹様は言った。
「あなたを私が救う。あなたの依頼は何ですか?」
俺たちは彼女を救うために彼女の依頼を達成しないといけないのだ。猫田はなぜか依頼の内容に彼女を入れたのなら俺たちのやることは決まっていた。音方はまだ起きていないため水樹様と依頼を聞き出す。
「私は……忘れたい……もう全部。悔しいし憎いけど……もう私はここにいたくない」
「それが、あなたの願いですね」
きっと疲れたのだろう。誰かを恨み続けることは辛いものだ。それでも橋の上を歩く人間を見るたびに自分だけが不幸なのが許せなくなる。突き飛ばした誰かのことが忘れられなくて恨みとして刻まれる。
誰かは橋の上にいて、冷たい水のなかで一人孤独を味わいながら見上げる。自分を殺した誰かは太陽を浴びながらのうのうと生きている。
「私は……ここに縛られたくない!」
「依頼を受けました」
そう言って、水樹様はその女に触れた。そして彼女は消滅するのだった。その一欠片も残さず消え去った。
「さぁ、依頼人の所に行こうか。真白、悪いけど音方君を運んでくれる?」
何もなかったような笑顔でそう言う水樹様。凍らせていた川を元に戻し、音方を担ぐ。そして、道を進み宿に戻る。その道中、水樹様に気になっていたことを問う。
「なんで音方に一人で橋を渡らせたんですか?」
「……と言うと?」
俺の質問の意味を分かっているだろうと思いながらも具体的に言う。その間、水樹様は前を向き微笑んでいた。
「音方は視えても一般人です。襲われる可能性が十分にあったのにもかかわらず一人で渡らせた理由が分からないんですよ」
そしてしばらく、沈黙が辺りを包む。音方はまだ意識がない。わずかに呼吸音が聞こえていた。
「真白も見ただろう?川の中で光ったものを。私はそれに気がついていたんだよね。だから、死なないことを見越して試したって感じかな」
確かにそうだった。暗い水の中で光ったものがあったのだ。しかし、いったいどこで水樹様はそんなことに気がついたのだろう。そんなことを考えていると水樹様は心を読んだかのようにいった。
「音方君にはじめてあった日に見たのだよ。彼が走ってきた道の木々は少しだけ焦げていた」
「えっ?まさか……」
その言葉の続きを言おうとしたが、水樹様が人差し指を口に近づける。俺は言葉を紡ぐことをやめ、ただ宿に向かって歩いた。
仲裁屋が参ります 天鬼彩葉 @AMAKIIROHA
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