第9話黒い水の思い


 そして、猫田さんの宿を後にして再び橋に向かっていた。


雨が降るのかじめじめとしていて蒸し暑い。空も一面、灰色に染まっている。でも、日の光が攻撃的な暑さを浴びせてくるよりはいいかと思う。



「猫田さんに聞いた感じ、被害者に話を聞くのは難しい感じだね。女子高生は怯えているらしいし、噂を追うのもね」


同感だ。怖い思いをした人にその事を思い出させるのも酷であるだろう。それに、誰が嘘をついているのか僕らには分からない。


全員が本当のことを言っているのかもしないし、そうではないのかもしれないからだ。噂なんてそんな程度だ。


猫田さんが言っていた怖いもの見たさで来た人もいるのなら、この村以外にも噂が広がっているのだろう。ならば、ネットも信頼できる情報がないのだ。


「まあ、やることは一つだよね。真白?」


「そうですね」


いったいこの状況からどうするのだろうと思っていたのに、二人にはすでに作戦があるようだった。


僕だけが状況を理解していない。これでもはつしごとなのだ。山岸先輩の依頼は、お試しの期間だったのでカウントはしない。そして、考えても理解できなさそうなので二人に作戦を聞くことにした。


「どうやって解決するんですか?なんか、策があるみたいですけど……」


そして、二人とも満面の笑みで告げた。


「肝試しをしよう」


 橋が目の前に迫り、僕たちは本気のじゃんけん大会を繰り広げていた。理由は順番決めだ。水樹さんが言った、肝試しとは一人ずつ橋を往復し、わざとおびき寄せる作戦だった。


「真白、私はパーを出す」


「ならば、俺はチョキです」


二人はそんな心理戦を繰り広げていた。僕はというと恐怖のあまり、まともにじゃんけんが出きるだろうかと不安だった。僕に拒否権はないのでやるしかない。


「じゃあ、やるよ。じゃんけん……ポン」


水樹さんは見事に心理戦で勝ちグーを出していた。僕と真白さんは正直にチョキを出したので負けだ。


「音方、俺はパーを出す」


「僕は行きたくないのでじゃんけんを放棄します……」


「音方君、それは認めないので不戦敗にするよ?」


水樹さんにそんなことを言われてしぶしぶ、じゃんけんをした。結果は、真白さんが本当にパーを出したので僕の負け。なので、順番は水樹さん、真白さん、最後に僕となった。


 そして、水樹さんがニコニコしながら橋を渡っていった。見通しはいいので反対側まで見ることができる。向こう側でこちらに水樹さんが振り返り手を振りながら歩いてくる。黒い髪は横になびき、遠目にも美しさが分かる。優雅そのもので、絵になっていた。


そんな水樹さんが急に真顔になりこちらに走ってくる。何かに襲われたのかと思ったが、特には見当たらない。辺りをキョロキョロと見ていると真白さんが僕の肩に手を乗せた。


「助けなくていいぞ」


「え?なんでですか。逃げてきてますけ

ど……」


そんな会話をしているうちに水樹さんがこちらにたどり着く。息を切らしながら立ち止まった。


「水樹さん、大丈夫ですか。どうしたんですか?」


僕はできるだけ落ち着いたトーンで話す。真白さんあんなことを言ったが何かあったのは明白だ。真白さんは僕たちよりも少し後ろで見守っていた。


「怖かった」


水樹さんが地面に座り込む。そして、顔を少しだけ赤らめながら言った。


「三びきぐらい……蜂がいて追いかけてきたんだよ。私、虫は無理……」


確かに僕も苦手ではあるがそんな全力疾走しなくてもいいだろう。なんだか、心配して損をしたような気がする。まあ、刺されていないようなので良かったが。


「だから、助けなくていいと言っただろ?じゃ、行ってくる」


「いや、真白。蜂だよ?助けてよ」


そんな水樹さんの訴えを横目に真白さんが歩いていった。真白さんの白い髪が揺れるその背中はなぜか少し寂しげに見えた。いつの間にか体制を戻していた水樹さんに話しかけられる。


「大丈夫、安心して行っておいで。何かあっても私と真白がいる」


「ついさっき、走ってきた人に言われても……」


蜂がいてとしても、走って逃げてきた人にそんなことを言われても説得力がない。そんなことを話していると真白さんはすでにこちらに向かってきていた。


「まあ、それもそうだね。でも、音方君は逃げるは得意だろう?」


「別に逃げるのが得意な訳じゃないですよ」

「どうかな。だって、今まで一度も捕まったことがないのだろう?」


 そう言って、水樹さんが笑う。生暖かい風が僕の頬を撫でる。しばらくの間、川の流れる音だけが響いていてやがて、真白さんの足音が聞こえてきた。


「何もなかったです。次は音方だろ」


そう言って、真白さんが物理体に僕の背中を押す。行きたくないなと思いながら一歩、また一歩と足を進める。


川の流れの音がよく聞こえる。心地よいと普段なら思うのだろうが、先程の話を聞いてからだとおぞましく、恐ろしい。

 なんとも言えないドロッとした恐怖が音方を支配していた。


 嫌な汗が滲む。恐怖という感情と共に好奇心が沸き立つ。首は動かさずに視線だけを川に送る。そこには何も無かった。人の姿も恐れていたも、無かった。


ただ、川が流れているだけだ。普通な様子の川を見て落ち着いたのか、あっという間に橋を渡りきった。ソシテ、遠くに見える水樹さんと真白さんをぼんやりと認識しながら二人のもとに歩く。先程の焦りや恐怖は消えていて川の轟音だけが僕を包んでいた。



 そのときだった。水樹さんと真白さんが大げさに動いているように思う。遠くてしっかりと見えない。


何かを叫んでいるようにも見えるが川の音がうるさくて、二人の声を描き消す。よく分からないがとりあえず、二人のところに行こう。そう思い足を前に出そうとしたが誰かに僕の足を握られている。


「っ……」


恐る恐る、足元に視線を向ける。濡れた手が左の足首をすごい力で握りしめている。時間が経つほどズボンが見ずに濡れていき力が強くなる。


怖くて息が早くなる。冷静にと思うほど焦りが生じてからだが動かない。僕の足に掴まる女の手が足に食い込むようでとても痛い。


そして、次の瞬間のことだった。べちゃり。気持ちが悪い音を立てながら僕の背中にそれは手を伸ばして服を掴んだ。恐怖で遅れていた思考が追い付き抵抗をしようと何とか振り向いた。しかし、何が起こったのか分からないまま浮遊感に襲われた。


気がついたときには、息がうまく出来なくて、水のなかにいた。流れが早く、足が地面につくことはない。必死にもがくが、足を掴まれていて上手く、体を動かすことが出来ない。その間も、自分の中に残る空気が失われていく。助けを呼ぶことも、足をつかんでいる女を離すことも出来すに視界がぼやけていく。




 頭のなかで、『死』の言葉が繰り返し囁かれる。もう、ダメなんだと内心諦めて何も考えられなかった。




 「音方!」


誰かが僕の名前を呼んでいる気がする。遠くで聞こえたそれが誰の声かも分からない。


しかし、その声と共に僕を掴んでいたそれが手を離す。何かを苦悶の叫びをあげているようだった。状況は理解できないものの水面に向かって手を伸ばす。白く光るその先へと手を必死に伸ばした。




しかし、そこで僕の意識は限界を迎えてしまった。


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