『鵲(かささぎ)になった女』― 日本霊異記『嬰児の鷲に擒(とら)はれて他の国にして父に逢ふこと得し縁』RemiX

小田舵木

『鵲になった女』

 あたしは『さぎの喰い残し』という、いささかあだ名を持つ。

 その由来は聞かないで欲しいが、まあ話し始めたついでだ。語るべきなのだろう。


 ああ。あたしが大学生になった時の話だ。

 その時の先輩に―鷺宮さぎのみやという男が居た。女遊びで名を馳せた男である。

 あたしはかの男に誘われ、ホテルまでは行った。


 だがどっこい。

 彼は―あたしにをかきたてられなかったらしい。

 理由は不明だ。というか。あたしも初めてだったもんで混乱したさ。何をしようが彼の。結局はふたりでAV鑑賞して突っ込み入れて遊んでたな。

 

 そして。

 かの男はかく語りき―「俺、初めて女でダメだったわ」

 この言葉はまたたく間に大学構内を席巻した。そして私には不名誉なあだ名が出来たわけだ。『』。

 最初の方こそ顔を赤くしてうつむいていたが。そのうち慣れた。

 そして。下の名前がさきという事実に引っ掛けて『サギ』を名乗るまでになった。

 我ながらたくましいと思う―


                  ◆


「サギ?」と傍らの女の子が言う。

「あ?」とあたしはこたえる。割と気安い仲なのだ。

「死ぬほど機嫌悪い?」と上目づかいで問うほわほわ少女。コイツは無駄に可愛らしい。小動物的でもある。小さな体にぎゅっとフェティッシュを詰め込んだようなそんな女の子。

「これが平常だっての。あたしは低血圧…朝はキツイ。なんで大学生にもなって、朝から出てこにゃならんのか」

「仕方ないじゃん?うちら落としたもん、この講義」そう1回生の時の取りこぼし。仲良くコイツまで落としてる。

「糞つまんねえんだよなあ…倫理」

「どっかからノート仕入れよう」コイツはそういう要領の良さがある。

「アテがねえ。と言うか人気ねえぞ倫理」圧倒的に人気がない割に我が学科では必修だったりする。

「…ね」と少女。

「意外と鋭いな、あや」そう。かのほわほわは礼という。

「あのね?私だって」むくれる礼。

「お前は何も考えてないかと」嫌味である。こいつはそういうスタンスだタイプの女だ。幼馴染じゃなきゃ友達になっちゃない。一番面倒なタイプの女だからだ。

「ひっど」とか言うだよ。それ。お前の生存戦略を友達にまで実践すな。

「お前は―天然もどきだよ」サマリー要約。コイツはそう。天然もどきだ。仮面の下に抜け目ないモノを飼っている。

「ま、ウダウダ言うのは止めて。行きますか。取り残しの処理…ってサギには嫌味になるかな?」

「やかましい!!」


                   ◆


「良いかい?今から君たちに講義する内容は、だ。倫理とは…道徳とは―そういうものさ。その事を頭に入れて話を聞いてくれ」壇上だんじょうの彼は言う。

 おいおい。お前は道徳のメリットを説く説教師せっきょうしじゃないのか?あたしはそういう突っ込みを頭に浮かべる。

「倫理…いや道徳と今からは言うが。道徳は人間が寄り集まった時に浮上してきたデメリットを隠蔽いんぺいするために編み出された」

「人ってのは残念ながら動物で。利己的な自己保存欲求からは免れ得ない」

「しかし。自己保存欲求を全開で社会にぶつけてみろ。あっという間に社会は崩壊する。リソースを巡る争いが絶えず、殺し合う事になる」

「そこで人類は―他我…他人を創造し、そこに絶対的な裁定者…神を設定した」

「神は絶対的で。そこには救いがある。救いを言質にしたのが宗教」

「しかし。

「なので人類は宗教を拡張し、分離した…

「短期的な利己ではなく長期的な社会を見よ。それが善い生き方だ…そんなカルトが道徳。それは時間をかけ社会に浸透し、道徳的どうとくてき悪を行う事は概して割が合わなくなった」

「そういう仕組み、システムをこれから論じていく…


 おう。コイツはとんでもねーのが来たぞ。


                  ◆


「どう思うサギ?」隣の席のあやは問う。講義の終わり。あの後はオーソドックスにソクラテスやプラトンやアリストテレスの話が続いて。あたしはノートを真面目にとっちゃいたが。まあ、眠かったね。

「最初ので終わったな」とあたしは評する。アレが講義全体に響いていれば良いが…ま、な。

「あの人代理なんだってさ…本来の担当の」

「へ?んな話してた?」んなもん聞いてないぞ。

「調べてみた…独特なスタイルだったからね」

「お前は手が早いな」とあたしは感心。礼はこういう下調べをしっかりするほうだ。

「名前がまた面白くてね?」あたしは人の名前を覚えない事で悪名高い。

「ん?珍名ってやつか?」

「数字の七に美…さてどう読む?」いたずらっ子の目であたしを見るな。

「ななび?」脊髄反射せきずいはんしゃ解答。脳みそは通過していない。

「しつび…だってさ」と彼女は言うが。

「そいつは兵庫の地名だ…所謂いわゆる地名姓」でもコイツはあたしにとって

「詳しいじゃん。私と同じ出身な癖して」私達は京都で育った。

「ま。色々ある」


               ◆

 その色々とは。

 あたしが孤児だったって事に尽き。その旧姓が七美しつびだったって事だ。

 これは

 この事はあやは知らない。幼馴染とは言え、あたしが養家に3歳で入ってから知り合ったから。


 あたしが養子であるのを知ったのは最近の事。

 ある日親父に呼び出され。そこには神妙な顔をした母が同席しており。

「お前は…元々七美しつびさきと言う」と告げられたのだ。幼少期の記憶というのはあっと言うまに混濁する。養護施設と家の記憶がらしく。

「そう言われたっちゃ―もうあたしは加作かさ咲だ」偶然カササギに似た名前。カラス科の賢い鳥の名。

「それは認めるさ」「私の子だと思う」「だが―は伝えておくべきだと思ってな」

「そうかい?しかし…そんな真実に何の価値がある?」あたしは問わざるを得ない。

「知らずに居るのはフェアじゃない」と父は言い。

「誰に対して、だ?」とあたしは問う。あたし自身に関して言えば、んな情報を得た所で何も始まらない。

貴女あなたを産んだ人間に対して、よ」母はえる。女性らしい視点。

「…産んだ放っぽったアホにか?」とあたしは言う。

「したくてした訳じゃ―ないでしょう?」その言い方だと。母は知ってる事になる。

「お母さん…何を知ってて何を知らない?」そうあたしは問う。答えに期待などせずに。

「知り合いの女の子。馬鹿な大学院生に入れ込んでね…」そうしてその院生は逃げてった、と。

「それを憐れんだ不妊の夫妻は―その子を引き取った…でいいか?」とあたしは問う。

あいだが抜けてるかな…一応せきは入ってたから彼女と彼」

「まだ抜けてる。お母さんとお父さんは、何故なぜ養護施設というワンクッションを挟んだ?」

「…貴女あなたの産みの母は亡くなっている」息と共に言う母。

「―同情し難い。あたしの立場で考えれば」コメント。冷たいかも知れないが、こうとしか思えず。

「理解してあげて、とは言わない」

「子を残して死ぬ人間を受け入れ、母と思えと?冗談がキツイぜ?」私は吐き出す。

「…貴女も分かるわよ。そのうち」なんて母は呪いをのこす。

「…どうかな?あたしはこの通りの性格さ。」子どもを産むこと、それは苦行だ。特にこの今の世界では。人口過密の地球に新しい命はそう必要でもない。国としては納税者を増やしたいだろうが―もうこの星には椅子も資源もないのだ。

「と、思うだろう?若いからだな」なんて父はあたしに言う。

「…案外、私達に組み込まれたモノは重いのよ」なんて母は言う。

「それに抗うのも人間の在り方さ」あたしはうそぶく。

「無理だ。出来るものならやってみろ」と父は反論。

「…やってやるさ」


                  ◆


 感情に任せ、ああ言ったものの。

 あたしには。まったくな事である。

 しかし。あたしの初めては惨敗で終わり。腐っていたのかも知れず。


「ああ。分からんっ」とあたしは独り言。大学のカフェテラス。前にはあやが居て。

「何が?アンタがモテない話?」と軽く打ち返す我が友。

「んあ?子どもを産む是非ぜひってのを考えてた」

「倫理の講義にてられた?サギに聞いてたもんね」いや。講義自体は普通に聞き流してた。気になってたのはあの代理七美しつび氏だ。

「そうそう」とか誤魔化ごまかして。

「…うちら女じゃん?」それは月並みな解答だぜ?礼さんよ。だ。

「その前に人間だろうが」とあたしは言う。性の前にそれがあると信じたい。じゃないと世界はかなりシンプルな二分法で仕切られちまう。今やセクシャルは数あれど、その核心には男女という2つのコアが居座ってる。

「その人間は有精生殖ゆうせいせいしょくを行う、という点から離れられない」それは―うん。否定できない。

「だから?と?」飛躍はしたがラインは突いてる。

「2分の1の蓋然がいぜん性を受け入れるしかない」

「そいつは宿だな」とあたしはシニックに返す。

「分かってるじゃない?宿命なのよ。欲として組み込まれたモノは」

「そいつがんだよ」なんて駄々をこねるあたし。

「…何かあった?」流石さすが幼馴染。よく見てるよ。

「…色々と引っかかる事はある。スッキリしたらお前に話す。今は無理」整理されてない感情が渦を巻いていて。そのまま吐き出そうものなら。礼にかなりキツく当たる事になる。あたしは直情的なんだ。

「…そ」と彼女は言い。食後の冷めたコーヒーをすする。


                 ◆


「あんたに問いたい事がある」兵は拙速せっそくたっとぶ。あたしは段取りより結論派なのだ。

「講義の事か?」七美しつび氏は問い返す。

「いいや。プライベートだな」

「場所を変えた方が良さそうだ」案外物分りの良いやつで助かる。


 かくして。

 我々は喫茶店にいる。京都の中心河原町かわらまちのすぐ側の寺町商店街てらまちしょうてんんがい錦小路にしきこうじにあるコーヒーチェーン。

 そこでブラックコーヒーを啜りながら。対面している。

「で?君は何を問いたい?私に?」そういう七美氏。その顔は険しく。

「…アンタ。結論から入るの好きかな?」とあたしは言う。どうせ段取りを踏んでも無駄ではある。

「仕事としては粘っこく論を立てる方だが。元来、私は気が短い」苦みばしった顔。それはコーヒーが成すものか?はたまた今の状況が成すものか?


「アンタには。子どもが居たはずだな?」そうあたしは言ってしまう。

」そうあっさり認める彼。


「そうかい。名前くらいは―覚えてるんだろうな?」言葉に自然と怒りが乗り。

「覚えているともさ、」微妙な表情で言う七美氏。そこに感情を読み取る余地はなく。


「よお。パパ?」煽るような呼びかけ。

「どうした?娘よ」

「お前は―なんで?」率直な問い。

功利的こうりてきに考えてそうするのがだった」らしい物言いじゃねえか。

「功利的に?その主体は何だ?言ってみろ。社会か?」功利主義の基礎は個人を捨てることにある。

」簡潔な物言いに感情は乗らない。クールぶれるのが羨ましいぜ?それとも何か?だいぶ前のことだから覚えてないってか?

「あたしは―最近事実を知ったが…全く幸福じゃない」納得できない事実で雁字がんじがらめだ。

「私は…。研究に没頭できて。そして咲、。子を大学入れるくらいの甲斐性のある家に。これがを取ってないと言い切れるのか?」

「お前の論には欠陥がある―感情を考慮してない点だ」そう。あたしの気持ちなんてまるで考慮されてなくて。

「その通り。だが。一介いっかいのオーバードクターに過ぎなかった私ひとりで君を育てられたとでも?」ここにも感情が見えてこない。まるでただ事実を述べる七美氏。

「…アンタの言いたいたいことは分かった。が。?」

「あったさ。当時の想定ではあったが」

「かなり厳しく見積もったな?」

「ああ。哲学徒てつがくとが博士を取るのは現代ではかなりギャンブルだ…金を貰って研究するのに何年かかるか分からなかった」

「じゃあ。なんで結婚し。子を成した?」

。運命の成すままさ」

「お前のやり口は最悪だな。そういう都合の良い所で感情論出しやがって」

「…済まないね」彼は苦味を憂いにシフトさせ言う。

「ああ。。やったことには結果が伴う。それを甘受しろや」あたしは責める。都合の良い時にエモーショナルになる『父』を。

「…その覚悟がなかった」絞り出した言葉。

「笑わせるな。お前は最悪だ。理論を傘に逃げるオスの典型例」最後まで感情論で突っ走る気概を持てよ。それがお前が動かされたものだろうに。

「いやあ。今になって娘に責められるとは」

「今になってこそ、だ」

「僕は切り離したはずなんだけどねえ」と彼は一人称を変え言う。

「切り離したモノは生きてんだよ、お父さん?」

「…うん。謝るべきだろうね。君を捨てた件に」エクスキューズ付きの謝罪。

「関しては?」

「僕も譲るつもりはない訳だ。今が最善なのだ、と」

「最善な?視点が違うんだ我々は」あたしはそこまでドライに成りきれない。若いせいか?

「咲。倫理なんて学問をきわめてみろ…どんどん人の視座しざを失うんだ」

「扱うモノが人と人との取り決めだからな。どうしても

「そう。人でありながら人の視野から逸脱いつだつする。と言うかマトモな感性してると保たないんだよ」お腹をさすりながら言う彼は酷く縮こまって見え。

「そしてお前は理想のために感性を捨てた?」その

「ああ。切り離して。忘れようとしたさ」


                   ◆


「その事に一抹の罪悪感を感じながら、か?」ここで話は割れてくる。

「ああ。そういう感情も。そこに拘泥こうでいしている暇はなかったが。時間は簡単に過ぎゆく」

「…追われて。慌てて結論を出した」

「生と死は待たず。


「あーあ」とあたしはこぼさざるを得ない。「子に取っちゃなんだ…理性でそう割り切られてもな」


「親は…ただの人間だ。買い被るな」

「買い被らざるを得ない。なんせ親だ」なんて論も糞もない嘆願たんがん。父親にすがる娘。


「…重ねて済まないね。僕の弱さの故さ」今まであたしは彼を責め続けたのだろうか?そう思うと―ただただ虚しく。


「…もう。良いさ。あたし達は今の状況にならざるを得なかった」諦め。諦観ていかんの一手。

、そうだな?」

「ああ。理解するのは止めときたいな。アンタみたいに神を気取る気はサラサラない」あたしは凡庸で迷う人で良い。

「こっちには来るな。咲。ロクなもんじゃない」そういう七美氏はとても寂しそうで。

「そうかい…じゃあさようなら。

「さようなら。加作かささき…うん良い並びじゃないか。七美しつび咲なんて言いにくくていけない…」


                  ◆


 かささぎ。かの鳥は営巣の際、一度きりの巣を作る。しかし。つがいは一生添いげるのだと言う。

 その名を曲りなりに背負ったあたしも一生を添い遂げられる人間を見つけられるのだろうか?

 それは分からない。


「あーあ。分かんなくなったよ」あたしはあやつぶやく。

「良いじゃない。分からなくて」にこやかに言う彼女が少し恨めしい。

「分からない事がかゆく感じるのはあたしだけか?」あたしは割り切れる物事を好む。

「分からないモノと添い遂げるのが人生じゃない?」達観したモノの見方がムカつく。

「お前は良いな。お気楽で」

「それは違う。

「それこそスッキリしない」

「人生ってそんなに単純だった?」

「いいや。でもよお」なんて子どもの駄々じゃねえんだから。

「…ま。悩みなさいよ」

「…いやな。決着は着いてる」

「前悩んでた話?」

「そう」

「詳しくは聞かないけど。お疲れ様」礼はこういう所に聡い。気が廻る。

「ああ。疲れた。何だろう。

「それが他人だとは思わない?」

「…それがでもか?」あたしは事実をこぼす。

「親でもよ。遺伝子を半分貰ったからって言っても、組み換え考慮こうりょしたら別の生きものである事は明白でさ。

「それって―とても寂しい事だとは思わないか?」せめて分かり合いたかったんだ。私は。

「だけど…知る喜びがあるじゃない」お前は。大人だよな。

「全部分かりたいってのはワガママか?」

「ええ。甘え」

「お厳しい」

「そうやって不完全な私達だから。こうやって語り続ける」

「全てが分かるなら―語りは要らん」

「分かってるじゃない」

…納得はしていない」

「まだまだガキね」

「まだ二十歳になったばっかだっての」


                 ◆


 本名でもあだ名でも『サギ』を背負うあたしは今日も自分を騙す―『詐欺サギ』。


 理解出来もしない事を理解したフリをして。今日も今日とて生きるのだが。


「どうにも…納得いかんよなあ」そう呟けば。

「そうね。せいぜい生きなさいな」と礼が応える。


 物事が解決することは―ない。のだから。

 それでもなお続けたいと願うのは、何故だろうか。

 積極的に死にたいと思えないからか?それとも未来に期待する故なのか?


 『お父さん』。あたしは貴方が選んだ未来で今、生きている。と思いながら。


                ◆

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