『鵲(かささぎ)になった女』― 日本霊異記『嬰児の鷲に擒(とら)はれて他の国にして父に逢ふこと得し縁』RemiX
小田舵木
『鵲になった女』
あたしは『
その由来は聞かないで欲しいが、まあ話し始めたついでだ。語るべきなのだろう。
ああ。あたしが大学生になった時の話だ。
その時の先輩に―
あたしはかの男に誘われ、ホテルまでは行った。
だがどっこい。
彼は―あたしに意欲をかきたてられなかったらしい。
理由は不明だ。というか。あたしも初めてだったもんで混乱したさ。何をしようが彼の意欲は戻らず。結局はふたりでAV鑑賞して突っ込み入れて遊んでたな。
そして。
かの男はかく語りき―「俺、初めて女でダメだったわ」
この言葉はまたたく間に大学構内を席巻した。そして私には不名誉なあだ名が出来たわけだ。『鷺の喰い残し』。
最初の方こそ顔を赤くして
そして。下の名前が
我ながら
◆
「サギ?」と傍らの女の子が言う。
「あ?」とあたしは
「死ぬほど機嫌悪い?」と上目
「これが平常だっての。あたしは低血圧…朝はキツイ。なんで大学生にもなって、朝から出てこにゃならんのか」
「仕方ないじゃん?うちら落としたもん、この講義」そう1回生の時の取りこぼし。仲良くコイツまで落としてる。
「糞つまんねえんだよなあ…倫理」
「どっかからノート仕入れよう」コイツはそういう要領の良さがある。
「アテがねえ。と言うか人気ねえぞ倫理」圧倒的に人気がない割に我が学科では必修だったりする。
「…
「意外と鋭いな、
「あのね?私だって何も考えてない訳じゃない」むくれる礼。
「お前は戦略的に何も考えてないかと」嫌味である。こいつはそういうスタンスだと見せかけることで、利益を獲るタイプの女だ。幼馴染じゃなきゃ友達になっちゃない。一番面倒なタイプの女だからだ。
「ひっど」とか言うそれだよ。それ。お前の生存戦略を友達にまで実践すな。
「お前は―天然もどきだよ」
「ま、ウダウダ言うのは止めて。行きますか。取り残しの処理…ってサギには嫌味になるかな?」
「やかましい!!」
◆
「良いかい?今から君たちに講義する内容は、全て嘘っぱちだ。倫理とは…道徳とは―そういうものさ。その事を頭に入れて話を聞いてくれ」
おいおい。お前は道徳のメリットを説く
「倫理…いや道徳と今からは言うが。道徳は人間が寄り集まった時に浮上してきたデメリットを
「人ってのは残念ながら動物で。利己的な自己保存欲求からは免れ得ない」
「しかし。自己保存欲求を全開で社会にぶつけてみろ。あっという間に社会は崩壊する。リソースを巡る争いが絶えず、殺し合う事になる」
「そこで人類は―他我…他人を創造し、そこに絶対的な裁定者…神を設定した」
「神は絶対的で。そこには救いがある。救いを言質にしたのが宗教」
「しかし。宗教は一対一の対話でしかなく。そこに社会的な目線はない」
「なので人類は宗教を拡張し、分離した…ここに道徳の興りがある」
「短期的な利己ではなく長期的な社会を見よ。それが善い生き方だ…そんなカルトが道徳。それは時間をかけ社会に浸透し、
「そういう仕組み、システムをこれから論じていく…諸君。疑い給え」
おう。コイツはとんでもねーのが来たぞ。
◆
「どう思うサギ?」隣の席の
「最初の一発で終わったな」とあたしは評する。アレが講義全体に響いていれば良いが…ま、そんな事はなかったな。
「あの人代理なんだってさ…本来の担当の」
「へ?んな話してた?」んなもん聞いてないぞ。
「調べてみた…独特なスタイルだったからね」
「お前は手が早いな」とあたしは感心。礼はこういう下調べをしっかりするほうだ。
「名前がまた面白くてね?」あたしは人の名前を覚えない事で悪名高い。
「ん?珍名ってやつか?」
「数字の七に美…さてどう読む?」いたずらっ子の目であたしを見るな。
「ななび?」
「しつび…だってさ」と彼女は言うが。
「そいつは兵庫の地名だ…
「詳しいじゃん。私と同じ出身な癖して」私達は京都で育った。
「ま。色々ある」
◆
その色々とは。
あたしが孤児だったって事に尽き。その旧姓が
これは偶然にしては出来すぎてないか?
この事は
あたしが養子であるのを知ったのは最近の事。
ある日親父に呼び出され。そこには神妙な顔をした母が同席しており。
「お前は…元々
「そう言われたっちゃ―もうあたしは
「それは認めるさ」「私の子だと思う」「だが―真実は伝えておくべきだと思ってな」
「そうかい?しかし…そんな真実に何の価値がある?」あたしは問わざるを得ない。
「知らずに居るのはフェアじゃない」と父は言い。
「誰に対して、だ?」とあたしは問う。あたし自身に関して言えば、んな情報を得た所で何も始まらない。
「
「…産んだもん放っぽったアホにか?」とあたしは言う。
「したくてした訳じゃ―ないでしょう?」その言い方だと。母は知ってる事になる。
「お母さん…何を知ってて何を知らない?」そうあたしは問う。答えに期待などせずに。
「知り合いの女の子。馬鹿な大学院生に入れ込んでね…」そうしてその院生は逃げてった、と。
「それを憐れんだ不妊の夫妻は―その子を引き取った…でいいか?」とあたしは問う。
「
「まだ抜けてる。お母さんとお父さんは、
「…
「―同情し難い。あたしの立場で考えれば」コメント。冷たいかも知れないが、こうとしか思えず。
「理解してあげて、とは言わない」
「子を残して死ぬ人間を受け入れ、母と思えと?冗談がキツイぜ?」私は吐き出す。実感を。
「…貴女も分かるわよ。そのうち」なんて母は呪いを
「…どうかな?あたしはこの通りの性格さ。子など成さんかも知れん」子どもを産むこと、それは苦行だ。特にこの今の世界では。人口過密の地球に新しい命はそう必要でもない。国としては納税者を増やしたいだろうが―もうこの星には椅子も資源もないのだ。
「と、思うだろう?若いからだな」なんて父はあたしに言う。
「…案外、私達に組み込まれたモノは重いのよ」なんて母は言う。
「それに抗うのも人間の在り方さ」あたしは
「無理だ。出来るものならやってみろ」と父は反論。
「…やってやるさ」
◆
感情に任せ、ああ言ったものの。
あたしにはちゃんと性欲はある。まったく残念な事である。
しかし。あたしの初めては惨敗で終わり。腐っていたのかも知れず。
「ああ。分からんっ」とあたしは独り言。大学のカフェテラス。前には
「何が?アンタがモテない話?」と軽く打ち返す我が友。
「んあ?子どもを産む
「倫理の講義に
「そうそう」とか
「…うちら女じゃん?」それは月並みな解答だぜ?礼さんよ。子宮があるから、なんて、言質として3流以下だ。
「その前に人間だろうが」とあたしは言う。性の前にそれがあると信じたい。じゃないと世界はかなりシンプルな二分法で仕切られちまう。今やセクシャルは数あれど、その核心には男女という2つのコアが居座ってる。
「その人間は
「だから?たまたま女に生まれたあたしらは子を成したがると?」飛躍はしたがラインは突いてる。
「2分の1の
「そいつは宿命的だな」とあたしはシニックに返す。
「分かってるじゃない?宿命なのよ。欲として組み込まれたモノは」
「そいつが気に食わねえんだよ」なんて駄々をこねるあたし。
「…何かあった?」
「…色々と引っかかる事はある。スッキリしたらお前に話す。今は無理」整理されてない感情が渦を巻いていて。そのまま吐き出そうものなら。礼にかなりキツく当たる事になる。あたしは直情的なんだ。
「…そ」と彼女は言い。食後の冷めたコーヒーを
◆
「あんたに問いたい事がある」兵は
「講義の事か?」
「いいや。プライベートだな」
「場所を変えた方が良さそうだ」案外物分りの良いやつで助かる。
かくして。
我々は喫茶店にいる。京都の中心
そこでブラックコーヒーを啜りながら。対面している。
「で?君は何を問いたい?私に?」そういう七美氏。その顔は険しく。
「…アンタ。結論から入るの好きかな?」とあたしは言う。どうせ段取りを踏んでも無駄ではある。
「仕事としては粘っこく論を立てる方だが。元来、私は気が短い」苦みばしった顔。それはコーヒーが成すものか?はたまた今の状況が成すものか?
「アンタには。子どもが居たはずだな?」そうあたしは言ってしまう。
「居たね」そうあっさり認める彼。
「そうかい。名前くらいは―覚えてるんだろうな?」言葉に自然と怒りが乗り。
「覚えているともさ、咲」微妙な表情で言う七美氏。そこに感情を読み取る余地はなく。
「よお。パパ?」煽るような呼びかけ。
「どうした?娘よ」
「お前は―なんで母親ごとあたしを捨てた?」率直な問い。
「
「功利的に?その主体は何だ?言ってみろ。社会か?」功利主義の基礎は個人を捨てることにある。
「我々3人の家族にとって」簡潔な物言いに感情は乗らない。クールぶれるのが羨ましいぜ?それとも何か?だいぶ前のことだから覚えてないってか?
「あたしは―最近事実を知ったが…全く幸福じゃない」納得できない事実で
「私は…幸せだった。研究に没頭できて。そして咲、君はいい家に入れた。子を大学入れるくらいの甲斐性のある家に。これが全体の益を取ってないと言い切れるのか?」
「お前の論には欠陥がある―感情を考慮してない点だ」そう。あたしの気持ちなんてまるで考慮されてなくて。
「その通り。だが。
「…アンタの言いたいたいことは分かった。が。そこに長期的な視野はあったのか?」
「あったさ。当時の想定ではあったが」
「かなり厳しく見積もったな?」
「ああ。
「じゃあ。なんで結婚し。子を成した?」
「そこに論は立たない。運命の成すままさ」
「お前のやり口は最悪だな。そういう都合の良い所で感情論出しやがって」
「…済まないね」彼は苦味を憂いにシフトさせ言う。
「ああ。済まない。やったことには結果が伴う。それを甘受しろや」あたしは責める。都合の良い時にエモーショナルになる『父』を。
「…その覚悟がなかった」絞り出した言葉。
「笑わせるな。お前は最悪だ。選りに選ってのタイミングで理論を傘に逃げるオスの典型例」最後まで感情論で突っ走る気概を持てよ。それがお前が動かされたものだろうに。
「いやあ。今になって娘に責められるとは」
「今になってこそ、だ」
「僕は切り離した
「切り離したモノは生きてんだよ、お父さん?」
「…うん。謝るべきだろうね。君を捨てた件に関しては」エクスキューズ付きの謝罪。
「関しては?」
「僕も譲るつもりはない訳だ。今が最善なのだ、と」
「最善な?視点が違うんだ我々は」あたしはそこまでドライに成りきれない。若いせいか?
「咲。倫理なんて学問を
「扱うモノが人と人との取り決めだからな。どうしても神を気取る必要が出てくる」
「そう。人でありながら人の視野から
「そしてお前は理想のために感性を捨てた?」そのオマケが産みの母とあたしか。
「ああ。切り離して。忘れようとしたさ」
◆
「その事に一抹の罪悪感を感じながら、か?」ここで話は割れてくる。
「ああ。あったねそういう感情も。そこに
「…追われて。慌てて結論を出した」
「生と死は待たず。感傷に浸ってようなら置いていかれる」
「あーあ」とあたしは
「親は…ただの人間だ。買い被るな」
「買い被らざるを得ない。なんせ親だ」なんて論も糞もない
「…重ねて済まないね。僕の弱さの故さ」この台詞を言わせたいが為に今まであたしは彼を責め続けたのだろうか?そう思うと―ただただ虚しく。
「…もう。良いさ。あたし達は今の状況にならざるを得なかった」諦め。
「私達は分かりあえない、そうだな?」
「ああ。理解するのは止めときたいな。アンタみたいに神を気取る気はサラサラない」あたしは凡庸で迷う人で良い。
「こっちには来るな。咲。ロクなもんじゃない」そういう七美氏はとても寂しそうで。
「そうかい…じゃあさようなら。お父さん」
「さようなら。
◆
その名を曲りなりに背負ったあたしも一生を添い遂げられる人間を見つけられるのだろうか?
それは分からない。未来とは不確定なものである。
「あーあ。分かんなくなったよ」あたしは
「良いじゃない。分からなくて」にこやかに言う彼女が少し恨めしい。
「分からない事が
「分からないモノと添い遂げるのが人生じゃない?」達観したモノの見方がムカつく。
「お前は良いな。お気楽で」
「それは違う。あくまで考えた上での結論」
「それこそスッキリしない」
「人生ってそんなに単純だった?」
「いいや。でもよお」なんて子どもの駄々じゃねえんだから。
「…ま。悩みなさいよ」
「…いやな。決着は着いてる」
「前悩んでた話?」
「そう」
「詳しくは聞かないけど。お疲れ様」礼はこういう所に聡い。気が廻る。
「ああ。疲れた。何だろう。分かりあえない人間と出会ったのは…初めてだ」
「それが他人だとは思わない?」
「…それが実の親でもか?」あたしは事実を
「親でもよ。遺伝子を半分貰ったからって言っても、組み換え
「それって―とても寂しい事だとは思わないか?」せめて分かり合いたかったんだ。私は。
「だけど…知る喜びがあるじゃない」お前は。大人だよな。
「全部分かりたいってのはワガママか?」
「ええ。甘え」
「お厳しい」
「そうやって不完全な私達だから。こうやって語り続ける」
「全てが分かるなら―語りは要らん」
「分かってるじゃない」
「言葉の上ではな…納得はしていない」
「まだまだガキね」
「まだ二十歳になったばっかだっての」
◆
本名でもあだ名でも『サギ』を背負うあたしは今日も自分を騙す―『
理解出来もしない事を理解したフリをして。今日も今日とて生きるのだが。
「どうにも…納得いかんよなあ」そう呟けば。
「そうね。せいぜい生きなさいな」と礼が応える。
物事が解決することは―ない。物語ではないのだから。
それでも
積極的に死にたいと思えないからか?それとも未来に期待する故なのか?
『お父さん』。あたしは貴方が選んだ未来で今、生きている。何時か分かりあえる日がくれば良いと思いながら。
◆
『鵲(かささぎ)になった女』― 日本霊異記『嬰児の鷲に擒(とら)はれて他の国にして父に逢ふこと得し縁』RemiX 小田舵木 @odakajiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます