第67話 新たな旅立ち
天つ日の計画はこうだ。
まず、茜が沙羅に情を持つようになって、献身的に世話をするようになること。これが上手くいけば、沙羅が鷹山で生活できるようになる。そうすれば、鬼墨の邪気の影響が他の人間に及ばなくなるし、情を以て接すれば、邪気が大きくなることはないと予想していたらしい。
次に天狐の桜。
桜は沙羅に付いた鬼墨の元となった、茜の父・絳祐と親友。そのため「沙羅を殺さない」と分かっていた。沙羅を殺し、鬼墨の器が消えれば、その元となった絳祐が元に戻る可能性も低くなるからである。
つまり、天つ日は、桜の気持ちを利用して「沙羅を殺す」という方向へ持っていくことを回避。その間に「鬼墨の奥深くにいる絳祐の意識」とやり取りを試みていたようで、沙羅の傍に茜がいないときを見計らって、時々呼び出していたそうだ。
とはいえ、天つ日だろうとも、鬼墨のなかに溶け込んだ絳祐の意識を呼び出すのは容易ではなかったらしい。
最終的に、沙羅を
そのあと、天つ日が「
「邪気が大きくなると操っている術者の影響も大きくなる」というのは、もちろん六つに分かれた鬼墨のなかで、沙羅に墨を付けた人物のことである。山小屋の前で戦いをしていた際は、茜の父が邪気を通して茜の体を動かしていたが、邪気が大きくなることで術者の影響力が強くなり、今度はそれを術者が操ろうとしたらしい。そのため、本当は充を助けるだけのはずが、沙羅の首を絞めることにまで発展したのだという。
その術者の影響を最小限にとどめるため、天つ日は「
あれは、「大切な人を邪気から守るため」の「桃の香り」。そのため摂取した沙羅の体から桃の香りがして、邪気のなかに紛れていた絳祐の意識が桃の香りで守られていたために、茜と充の前に現れたのだという。そして、彼の意識の片っぽは充を守っていたというわけである。
天つ
「説明されても、ちんぷんかんぷんだったけど……」
充はため息をつく。何度か説明され、主観の入った桜と兄・類の説明も聞いたが正直三割くらいしか理解していない。もっと術の背景やら邪気のことを知らないといけないんだなと、充は思っていた。
一方の茜はイライラした調子で「理解しなくていいんじゃないか。上手くいってよかったのはいいが、あいつの手のひらの上で思惑通り踊らされたのが釈然としないからな!」と言い放った。天つ日にこんな文句を言える人は、そう多くないだろうなと、充は思う。
ちなみに銀星は、天つ日に逆らえるほど地位が高くないので、言われるがままに動かざるを得なかったという。天つ日の手となり足となっていながら、一番被害を受けたのは彼だろう。
今はすっかり元気で、充ともよく話すようになったが、類が来ると席を外しがちなのが、充のなかで新たな疑問になっている。
充が今回の計画に巻き込まれた理由の一つは、時子の陰謀である。
彼女の言い分はこうだ。
「今まで隠してきたけど、もうそういうわけにもいかないから、手っ取り早く、葵堂の裏事情を知るにはいい経験だと思ったのよ」とのこと。実際今回の一件で充は鷹山のことも葵堂の裏事情も、妖怪たちのこともずっと詳しくなったが、手荒いのは否めない。しかしこれも彼女の愛情なのである。分かりにくいが……。
結果的に、計画は天つ日の思った通りになったが、彼女曰く、「茜が沙羅に情を持つようになるかどうかというのを含め、駒がどう動くのかは賭けではあった」らしい。駒とはつまり、今回の騒動でかかわった全員のことである。
では逆に計画通りにいかなかったらどうしたのか、と言うのも聞いてみた。
すると、一番可能性が低いと考えていたのは、「茜が沙羅に情を持つかどうか」だったらしい。その点、桜が絳祐のことを思って動くことや、銀星が天つ日に従うか否かは、「これまでの出来事から推測すれば容易なこと」と言う天つ日の言い分は、分からないでもない。
しかし、茜と沙羅は初対面。この先どうなるのかは、やってみなければ分からないことだと言う。
そのため、もし茜が沙羅に情を持たず世話を放り出していたら、天つ日は即刻沙羅を
しかし、この一件で分かったことは、天つ日もそこまで薄情ではないということ。確かにすべての人を救うわけでもないし、全ての悪を裁くわけではないが、あまりにもおかしいことについてはやはり突くし、いいものについてはそのまま委ね、口出しはしないようだ、と充は思うのだった。
「まあ、何にせよ、旅ができることが決まってよかったじゃないか」
茜は「うん」と頷いたが、空を仰いで「でも、これからさ」と言った。
「鬼墨を全て見つけて回収する。それがあたしの目標」
「僕は、その鬼墨を元の絳祐さんに戻すための資料集めをすること」
「まさか、天つ日とそんな約束をしていたとはね」
茜は肩を竦める。
「僕だけじゃないよ。桜と銀星にも手伝ってもらってる」
茜はふうと息をはくと、真剣な顔をして彼に問うた。
「迷いはないか? それを調べるってことは、嫌なことも目にするかもしれないぞ」
充はそれに笑って答えた。彼女が心配して言ってくれているのは、よく分かる。そして、そういう半鬼だからこそ、沙羅は茜に心を許しだのだろうと充は思う。
「分かってる。でも、もう決めたことだ。『
「そうか。充は変わったな」
「そう? 君は変わらないね」
「強くなったと言ってくれ」
そう言ってお互い笑い合うと、茜は充に右手を差し出した。
「握手をしよう。絶対に戻ってくる。だからそれまで沙羅を頼んだよ」
充は「分かった」というと、彼女の手を握った。
「とにかく気を付けて。帰りを皆で待っているよ」
お互いの手の温かさが行きかったところで手を離すと、茜は
「行ってくる!」
「行ってらっしゃい!」
鬼墨に関わる新たな旅が、今始まる――。
(完)
人の子、赤鬼の心をつゆ知らず 彩霞 @Pleiades_Yuri
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