【KAC20234】なんやかんやで深夜のコンビニで遭遇する二人

宇部 松清

第1話

 萩ちゃんとの同棲が始まってからというもの、とにかく毎日が幸せで、ふわふわしている。耳に手をやると、指先に触れるのは、まだつけっぱなしを余儀なくされているピアスだ。まだ少し痛みがあって、違和感もある。萩ちゃんの話では、そのうち痛みも違和感もなくなるのだそうだ。


「寒……」


 コートは着ているけど、それでも身を切るような寒さだ。時刻は0時。明日は――ってもう日付けは変わっちゃったから今日か――は学校も休みだし、ちょっとくらい寝坊したって大丈夫だろうということで、僕はいま近所のコンビニに向かっている。


 萩ちゃんはまだ帰って来ていない。


 今日はゼミの飲み会らしい。といっても、僕も萩ちゃんもまだ二十歳ではないから、ノンアルコールの健全なやつだって言ってたけど。大丈夫かな。ゼミには何度か留年している先輩がいるらしいので、その人に無理やり飲ませられていないか心配だ。


 まぁ萩ちゃんはその辺のあしらいも上手そうだしな。


 別々に暮らしていた頃は、一人の夜が当たり前だった。僕は黙々と勉強をしたり、本を読んだり、借りてきた映画を見たりして過ごしていた。実家にいた頃は、窓を開けて少し身を乗り出せばお隣のストライプのカーテンがチラリと見えた。夏場なんかは窓があいているから、小さな声でその名を呼べば、「どした?」なんて言って、萩ちゃんはひょこりと顔を出してくれたものだ。


 だけど、そんなお隣さんはもういなくて、それがものすごく寂しかった。恋人同士の関係ではあるけれども、学校も、学部もまるで違えばカリキュラムも当然違ってくる。忙しさの種類というか、疲れる部位が違ってくるのだ。僕も萩ちゃんもお互いに別々の夢に向かって頑張っているのに、寂しいなんて僕だけの感情で動いて良いわけがない。そう思って、全部我慢して、数週間後の約束を指折り数えたりして。


 それがいまや、一緒に暮らしているのだ。とはいえ、さっきも言った通りで、僕らは通う学校も学ぶ内容もまるで違うから、生活のリズムだって全く同じというわけにはいかない。萩ちゃんは朝練があるから僕よりも早くに家を出て、放課後も練習があって、バイトもあって、くったくたで帰って来る。そんな萩ちゃんを温かいご飯を作って待つのが僕の役目だ。


 何だか奥さんみたいだな、なんてことまで考えちゃって、ちょっと恥ずかしくなる。


 それで今夜は久しぶりに萩ちゃんの帰りがかなり遅くなるということで、それで、また久しぶりに寂しくなってしまい、居ても立ってもいられなくなって外へ出たのだ。こんな時間に開いているのはコンビニしかない。特に何か買うものがあるわけではないけど、コンビニって、行ったら行ったでついつい買ってしまうんだよね。


 

 家から歩いて5分くらいのところにあるのは24ニーヨンマートだ。萩ちゃんの好きな肉まんが置いてるコンビニである。さすがにそれでここに決めたわけじゃない。たまたま。これは本当に偶然。だけど、24マートに来ると、高校の帰り道に買い食いした思い出なんかが蘇って来て、幸せな気持ちになるのだ。その当時に萩ちゃんがハマってたお菓子とか、つい買ってみたりして。あの時は、そんなものでも、萩ちゃんの欠片みたいなものでもあれば寂しさが和らぐ気がしたのだ。買ってきた小さな駄菓子を机の上に並べて、会いたいの言葉を飲み込みながら、ひとつずつ食べる。そんなことをしていた寂しい日々が嘘のようである。もうそんな思い出や欠片にすがらなくとも、萩ちゃんとは、これからもずっと一緒だ。きっともう少ししたら、「いまから帰る」なんて連絡が来るだろう。


 そうだ、何かお菓子でも買って行こうかな。明日――ってもう『今日』か、今日は萩ちゃんも何も予定がないって言ってたし、お菓子でも食べながら夜通しゲームしたりしても良いかも。


 そんなことを考えて24マートの駐車場に足を一歩踏み入れた時だった。

 お店の脇の駐輪スペースに人影が見えた。


「あれ、萩ちゃん?」

 

 見間違えようがない。

 茶色のふわふわ猫っ毛に、その襟足を少し巻き込んだ、あの特徴的なマフラーは絶対に萩ちゃんだ。コートの下から見えるジャージのズボンは今朝のと色が違うけど、練習で汚れるからと、萩ちゃんは常に着替えを持っているのである。


 その萩ちゃんが、髪の長い女の人と――抱き合ってる?!


 えっ、何これ。

 う、浮気!?


 もしかしてゼミの飲み会なんていうのも嘘で、この人と会ってたとか? そんな!


 こういう時って、どうしたら良いんだろう。

 浮気者、って叫んで、胸倉を掴めば良いのかな。

 それとも、黙って去って、それで、あとで問い詰めれば良い?


 だけど、そんなことしたら、萩ちゃんは僕のところを去ってしまわないかな。僕はそれでもまだ萩ちゃんが好きだ。僕が知らないふりさえしていれば、まだ恋人のままでいられるんじゃないだろうか。そりゃ、嫌だけど。嫌だけどさ。だけど、萩ちゃんが僕から離れてしまうのも嫌だよ。


 どうしよう。

 どうしたら良いんだろう。


 良い案なんか一つも浮かばず、その代わりに出て来るのは涙ばかりだ。見なかったことにするのなら、僕自身が見つかってはいけないのに、足が動かない。何をどうしても止まらない涙をコートの袖でごしごしと拭っていると――、


「あーっ!」


 萩ちゃんの声である。顔を上げて、しまったと思った。ばっちり目が合ってしまったのだ。


「あ、あの、違っ。僕、何も見てないから」


 いまさら何を言うのかと思わないでもなかったし、かなり苦しい言い訳だが、僕が「見てない」と言えばそうなるんじゃないかなんて浅知恵を働かせてしまったのだ。けれども萩ちゃんは、いまの状況を否定するでも肯定するでもなく、必死の形相で僕に向かって叫んだのである。


「夜宵! 良いところに! 助けてくれ――っ!」

「は、はぁ?!」

「ちょ、まずこっち来て! 早く早く!」

「え、あ、うん」


 めちゃくちゃ切羽詰まっている。

 どう見ても、浮気現場を見られた云々の反応ではない。


「あれ、この人」


 駆け寄ってみると、どこかで見たことのある女の人である。


「WALL BOOKS の店員さん?」

「そうだっけ? 俺はほら、こないだのコラボカフェでコースター交換してくれた人だと思ってたけど」

「あっ、言われてみれば! うわ、何であの時気付かなかったんだろ、僕。その節はありがとうございました――じゃなくて。どうしたの? 鼻血がすっごいけど」


 それがな、と萩ちゃんが話してくれた内容はこうだ。


 ゼミの教授が目を光らせていたこともあり、飲み会は本当に健全に終了したらしい。それで、帰る方向が同じ人で固まってタクシーに乗り、このコンビニの近くで降りた萩ちゃんは、僕に「24寄るけど何か買ってきてほしいものはないか」とメッセージを打っていたのだとか(書きかけのスマホ画面も見せてくれた)。すると、たまたま通りがかったこの女の人が急に奇声を発して鼻血を吹き出し、倒れて来たのだという。危ない、と思って咄嗟に受け止めたは良いが、ここからどうしようと困っていたところに、偶然僕が現れた、と。


「あの、こういう鼻血ってよく出たりしますか?」

「い、いえ、あの、まぁ、ここ最近は、はい。あっ、でも心の中で、というか」

「心の中で……? ええと、鼻の粘膜って柔らかいので、ちょっとの刺激でも結構簡単に傷がついちゃったりしますから、そんなに心配ないとは思うんですが、ただ、脅かすつもりはないんですけど、稀に大病の前兆だったりもしますので、気になるようであれば病院で診てもらった方が良いです」

「は、はひぃ……」

「おねーさん、夜宵は医学部生だから安心して!」

「医学部生って言っても、まだ1年生だからね、何にも出来ないよ、僕は。とりあえず応急処置だけですけど。あの、歩けます? 本当はご自宅まで送って差し上げたいですけど、こんな見知らぬ男二人に家を知られるのは怖いと思うので。タクシー呼びましょうか?」

「い、いえ! あの、歩けます! 大丈夫です! 本当に!」


 そう言って、書店のお姉さんは、多少ふらつきながらも早足で去っていった。


「大丈夫かな」

「大丈夫……じゃないかもしれないけど、追いかけた方が怖いだろ、この場合。野郎二人組だぞ?」

「まぁ確かに」

「また近いうちにあの本屋行って、元気に働いてたらオッケーってことで良いんじゃね?」

「そう、なのかな」

「そうだよ。いや、それよりもさ」


 そう言って、萩ちゃんが僕の頬を撫でる。


「何でこんなべっちゃべちゃなの、お前」

「そ、それは――」


 帰りにでも話すよ、と言って、「ちょっと冷えちゃったし、肉まんでも買って帰らない?」とその手を引く。


「だな。食いながら帰るか」


 そう返してきた萩ちゃんは、高校生の時と変わらない、八重歯を見せる満面の笑みだ。


 昔と違うのは、


「夜宵の手、冷てぇ」


 と、つないだ手を離さないでいてくれることだと思う。


 

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